第7話 図書館の妖精
「林は、なんで図書委員に?」
ものはついでと本を元の位置に戻す手伝いをしながら、俺は横の林にそう問いかけた。俺の場合は半分以上押し付けというか、多分誰もやりたがらなかったから入れられたんだろうが、全員が全員何かしらの委員会に所属する……ということもまた、ない。
図書館にいる林は聖性が、というのは冗談で、どこか教室にいる時よりも伸び伸びとしているように見える。
「えっ、ほ、本が好きだからです……」
「そっかー」
「そ、そうです」
なるほど本好きなら図書委員の仕事も苦にならないだろう。しかもこの蔵書数だから読むものにも困らないに違いない。立ち止まった林の指示を仰ぎ、決まった場所に本を返却する。普通科しかないのにそれはプログラミングの専門書だった。
誰が読んだんだろうか。
「ちなみにどんな本を読むんだ?」
「えっ……」
びくっと林の手が震え、手渡されかけのプログラミングの続刊が重たい音を立てて床に落ちた。少し踏み込み過ぎてしまっただろうか。俺はすぐにしゃがんで逡巡しながら本を拾う。
「いや、話したくないならいいよ」
すっと本を棚に戻す。これが最後の本だった。
じゃあ、と言いかけた口を俺はつぐんだ。
「植物図鑑とか絵本とか、人体……工学の本とか、です」
何か重要な秘密を明かすように、林の瞳は小さく揺れていた。赤みが差した頬と決意した風に結ばれた口元。手は不安そうに握り合わされている。それは妖精というよりは、水浴びを見られてしまった清純な乙女みたいな印象を受けた。
俺はむず痒さとなぜか覚えた罪悪感を、努めて理性で押さえ込んでなんでもない体を装う。
「なんか……林らしいチョイスだな」
「そ、そうですか……?」
前二つは林の雰囲気と合っているように思える分、最後の人体工学がすごくちぐはぐであるように感じられた。しかしそれについて追求するのは可哀想な気がしたし、これで切り上げてさよならと言える雰囲気でもない。
「うん。俺は本そんなに読まないんだけどさ、もし良ければ何かオススメない?」
だからそのままの声のトーンで話を切り替える。どこか拍子抜けな表情を浮かべた林は、今度は眉根を寄せてむつかしいとばかりに顎に手を当てた。難しい、ではなく『むつかしい』。
図書館の妖精でも人に本を勧めるのは難事のようだ。
妖精だからこそ人の感性に合わせるのがむつかしいのかもしれない。
そんなことをつらつらと考えていたら、林は腕を下ろして自らの指をもにょもにょと絡める。
「……わたしが好きな本でも良かったら」
「どんな本?」
「一応、絵本です」
そう言って、林は書架の迷路を先導し始めた。理工系の棚を過ぎて文化、歴史、社会も過ぎて、美術と文芸の間で道を折れる。威圧感のある分厚く背の高いものが多い画集と、薄く背の低い代わりにみっちり本が詰まっている文芸の棚は、対比的でありながら林という図書委員を通じて共存しているようだった。
「これです」
「確かに、絵本だ」
外国の作家の翻訳書籍なのだろう。絵柄はどこか異国風で可愛らしさの中にニヒルな影を含んでいるのが印象的だ。木をくり抜いたうろのような部屋で黒と灰のシマシマの猫が、どこか憂いを含んだ顔でベッドから起き上がる絵が描かれている。
タイトルは『夢から覚めるまで』。
奇しくも、林の名前が入っている。
著者近影に書かれた情報によると、リチャード・オー・なんとかという作者はイギリス出身のようで、タイトルと表紙にあらわれた本場のブラックジョークがいかにもらしかった。
「子供の頃に読んだらトラウマになりそうな本だ」
「わたしは小さい時に読んでしばらく、考えてしまいました」
「なんかごめん」
「いえ、良い思い出です」
他人に勧めるということはそうなのだろう。俄然中身が気にはなったが我慢して本を閉じる。読むのは帰ってからでもいいはずだ。
「これ借りるよ。……手続きってどうやればいいんだっけ?」
「ふふふ、教えてあげます」
林に図書館の利用カードを作ってもらって貸し出し手続きを行う。貸し出し期間は二週間。複数人で運営しているようで、林はちょくちょく図書館にいるらしい。
「読み終わったら感想を聞かせてもらってもいいですか?」
その提案に二つ返事で答える。
「もちろん」
図書館の妖精と知り合ったからか、その日の居心地はそんなに悪くなかった。
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