第2話 桐ヶ谷あかりの告白
始業式の間も、クラス分けが発表されてHRで委員決めが始まっても、俺は上の空で例の手紙のことを考えていた。幸いなことに紺野は別クラスになって、つるんでいた大半とも教室が別である。
いつの間にか割り当て人数の多い文化祭実行委員の下っ端Bに俺は割り当てられていた。聞こえはいいが、一週間続くお祭り騒ぎの縁の下を支える役、と言い換えればその大変さが分かろうというものだ。クラスの出し物にも出づらくなるため好き好んでやりたがる物好きは少ない。
「おーい、春人どうしたんだそれ」
「ああ、しばらくぶりだな優馬」
大量に配られた教材やらプリントやらをロッカーに放り込み、うちいくつかを予習用に持ち帰ろうと選別していた時、そう声をかけられた。横を見るとオレンジに髪を染めた塩顔の
「結局一回も誘いに乗らなかったなあ、お前。心境の変化でもあったん?」
「……見ての通りだ」
「ほっほ〜。勉強頑張っちゃう的な?」
近づくと髪と同色のカーディガンが眩しい。ロッカーに肩肘をついてニヤニヤとこちらをバカにする風の優馬はその実、あのグループでは一番テストの成績が良かった。
「そんなとこだ。親がうるさくてな」
「あ〜、一人暮らしだもんなあ。その分成績取れよってコト?」
「大学は国公立にしろって」
「うへえ」
あながち嘘でもない。なぜならそのような旨のことは入学してから何度も聞かされているし、ご丁寧に昨日の晩にもメールで「二年生からは気を引き締めるように」とお達しがあった。優馬はそこそこ不自由しない家族だから私立でもどこでも行けという方針なんだろう。
底抜けな色彩の割に中身が詰まっている優馬の頭は、そんな建前などお見通しだと目だけで語っていた。追求してこないあたり春休みの件も察しているようだ。
それが嬉しくもむず痒い。
「んな訳で、俺は勉強に専念するよ」
「おけおけ。あいつらにも言っとくわ〜」
んじゃな〜とスマホをいじりながら軽い足取りで去る背中を見送り、ロッカーに鍵をかけてバッグを肩にかけた。ごそごそと懐から例の手紙を取り出す。
「あいつらのイタズラって線はなさそうだな、これ」
行こうか非常に迷う。しかし、待たせている以上すっぽかすのは不義理であるようにも思える。自然と足は屋上に繋がる階段へと向いていた。多くの高校が屋上出入り禁止にしていたり、あるいはソーラーパネル置き場にしていたりする中で、明新は大胆にも年中解放している。重たい鉄扉を押し開けると風がビュウとなびいた。
もっさりした前髪が眼鏡越しに暴れる。それを抑えながら鉄扉を閉め、辺りを見渡す。
「ああ、
委員長キャラ、とでも言えばいいんだろうか。艶のあるよく手入れされた長い髪とスッキリと通る鼻と顎のライン。キリッと尖った目は強い意志を感じさせ、一年生の頃は学級委員長としてクラスを牽引していた。気の強さが特徴で優馬なんかを煩く叱っていた姿を覚えている。優馬と同じかそれ以上に好成績の持ち主でありながら弓道部にも所属していたはずだ。まさに文武両道である。
そんな桐ヶ谷はこちらを見て不審げに眉をひそめた。
「誰かしら。人を待っているから、用がないのなら帰って欲しいのだけど」
人違いか? と勘ぐったが俺は今の姿が春休み前のそれと全く違うことを思い出す。逆に優馬はよく見つけたものだ。いや、同じクラスだから名前で分かるか。
いちいち釈明するのも面倒なので、俺は手紙を開いて見せた。
「案外可愛い字、書くんだな。もっと習字みたいな字だと思ってたよ」
「なっ! なんであなたがそれを!? 田崎くんの下駄箱に入れたはずなのだけど!」
「俺がその田崎くんなんだが」
「嘘!?」
もしや田崎くん違いなのかと考えるも、下駄箱は三年間共通である。間違えようもないだろう。俺はため息をつきつつメガネを外し、前髪をかきあげ顔を露出させる。
「ほら、これでいいか」
「ほ、本当に田崎くんなのね……驚いたわ」
どうやら同一人物だったようだ。さっさと済ませようと俺は今更のようにまごつく桐ヶ谷に切り出す。
「気持ちは嬉しいけど、今は付き合ったりする気にはなれない」
「……へっ」
「あれ? 告白じゃないのか?」
なら別に手紙という遠回しな方法で人気のない屋上なんかに呼び出すこともないだろう。最悪クラス割を見て直接顔を合わせればいいだけの話だ。というか確か同じクラスだったはず。
桐ヶ谷は顔を赤らめながらヤケになったように叫ぶ。
「そうよ! なんで私が言う前にそれを言うの! それとあなた今付き合っている人いないでしょ!? なんでよ!」
「先に言ったのはすまん。告白は嬉しい。だけど桐ヶ谷も知ってる通り失恋したばっかで立ち直れてない。つーか、今それを受け入れてまたフラれたらって思うと怖い」
それが正直な気持ちだった。ちょっとキツイところがあるものの、それを差し引いても桐ヶ谷は美人だ。こうして表情をコロコロと変える、普段とは異なる姿もギャップがあっていいと思う。
きっとなんて言葉がいらないくらい引く手数多だろう。
また紺野と同じ様に離れていってしまうかもしれない。
「そ、それは確かにそうかもしれないけれど……!」
悔しそうに桐ヶ谷が歯噛みする。
「だろう。だからしばらく恋とかは」
あとひと押しと思って告げようとした言葉は、しかし桐ヶ谷のそれに阻まれた。
「なら、私の好きで田崎くんを満たしてあげる! 私は千尋さんみたいな不義理はしないと誓うわ!!」
迂闊にもぐらりと心が傾いてしまう。仕方ないだろう、俺が紺野を好きだった気持ちは確かにあって、それが抜けた穴が未だにポッカリと空いている。そこにちょうど良く桐ヶ谷が収まってくれると言っている。
傾かない訳がない。揺らがない訳がない。
「桐ヶ谷……」
だけどすんでのところで俺は春風に打たれ、正気に戻った。空も暗くなり始めている。まだ日は短くすぐに夜がやって来るだろう。
彼女の熱は本物だ。薄っぺらなものを知ってしまったからこそ、俺には分かった。
だからここで断ち切ることもできずに。
「……寒いから、続きはカフェかどこかでしようぜ」
俺は帰宅を促した。
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