第44話 笑って、笑って~金井七海の法廷闘争


 「ご足労ありがとうございます。本来はこちらから出向くべきなんですけど、まだ何かとバタバタしていまして。申し訳ない」


 I市役所5階にある市長応接室。遠く太平洋まで見渡せる眺望の良い部屋で、福田禎一が忠司と七海を待っていた。どこか姉妹都市の民芸品やら、表敬訪問した芸能人だかの色紙が置かれ、いかにも市のトップの応接室といったしつらえだ。


 福田は結局、この部屋の主だった柿沼源次郎を大差で破り、市長選で初当選を果たしていた。それから2カ月近くたつが、さすが市長ともなると忙しいらしい。建設会社のトップなのだから建設部門は問題ないとしても、市役所には他に農林水産、保健福祉、産業経済などさまざまな分野を所管する部署がある。そちらの方面は一から覚えなければならないだろう。


 天気やら何やら通り一遍の時候のあいさつが済むと、早速、福田が本題を切り出してきた。「訴訟では身を引いていただき、ありがとうございました。今日はそのことに関連して、弁護士を入れずに忌憚のない話をしたくてお呼びした次第です」。そう、忠司と七海は、S地裁に提起した損害賠償請求訴訟を降りていた。


 二人が提起したのは、障害者就労支援施設「うみどり福祉会」の通所者のうち、犠牲者11人の遺族が起こした集団訴訟だ。法律上は「訴訟分離」と言って、他10遺族分と審理を分けた上で、金井夫婦だけが福祉会側と和解する形を取った。代理人の米田には、集団訴訟という性格上、1遺族だけ和解してしまうと困ると言われたが、実質的な運営者だった福田の母君代の死に様を知った以上、福祉会側をさらに追及する気持ちは失せてしまっていた。「大変お世話になりました」。親身になってくれた米田には、そう言って頭を下げるしかなかった。


 S地裁の審尋室で和解してからいくらも経たないうちに、福田の会社の秘書から連絡が入った。個人的なお話をしたいのだが、ことは市の方向性とも関わるから、市役所においでいただきたいということだった。和解したとはいっても、訴訟の原告と被告がサシで会うことは極めて稀だ。直前まで裁判所で争うほどこじれた関係だったのだから、それが普通だろう。七海は不審がったが、市長応接室という場所に一度行ってみたいと忠司が言いだし、結局応じることにした。忠司のこうしたミーハーぶりは困ったものだが、石橋を叩いて渡らないタイプの七海にしてみれば、「迷ったらGO」が口癖で深く考えない忠司は割れ鍋に綴じ蓋というやつなのだろうと思う。


 芸能人の色紙にチラチラと視線を泳がせる忠司を尻目に、七海が詳しい用向きを訪ねると、福田は意外なことを語り始めた。震災後に閉鎖したままとなっている、うみどり福祉会を再開させたい。ついては、忠司の了解の下ではあるが、七海に運営をお願いしたい。君代がいなくなってしまった今、障害者と接した経験のある人間が必要で、女性の通所者もあるだろうから、女性が担うのがベストだと考える。行政とのパイプや実務は福田建設から人を派遣するので、通所者対応がメーンだ――。福田の提案は概ね、そういった趣旨だった。


 「私が? どうして私なんですか?」。唐突な指名に七海は戸惑い、素っ頓狂な声を上げてしまった。福田は右手を挙げてこれを制し、説明を続けた。


 「I市は県庁所在地のS市に近いとはいえ、元が田舎集落の合併市だから血のつながりの濃い地域で、どうしても障害者が一定数、生まれてきます。自分も息子の隼人がそうでした。だから、どうしてもこの分野を充実させたいのですが、行政がすべて担うのは難しい。どこか一元的にやれる団体に委託し、障害者が安心して生きていける仕組みを作りたいのですが、もちろん誰でもいいわけではありません」


 福田はそう前置きした上で、胸の内を明かした。「市長としてではなく、福田禎一としてしゃべります」


 「分がってっこどもあんだべげっと、俺は母子家庭で育ったんだ。母ちゃんに認められでえ、禎一、よぐやった、って言われてぐて頑張ってきたんだ。んだがら、母ちゃんが心血注いだ福祉会ば訴えられだら引げねがった。んだげっと、このI市の障害者福祉の現実を一番分がってんのも、あんだだぢ原告さんだぢなんだよな。俺と同じぐ、何十年も苦労してきたんだおん。息子や娘さ守るためにな。したっけや、こないだの準備書面ば出した後、あんだら夫婦だげ降りるって言うべ? うぢの弁護士さ聞いだっけや、母ちゃんの死に際を知って、とっても責めらんねって考えだがらって。死んじまったがら分がんねんだげっと、母ちゃん、震災前までホント一生懸命やってけで、そんでも自分がこごで死んじまったら、みんなば守らんねって思って、あいなぐもがいだんだど思うんだ。それがちっとでも分がってくれる人さ、頼みでなって思ってやあ」


 市長だ、社長だという仮面を外した人間福田禎一の吐露につまされ、七海は顔を覆った。それを見た福田は七海の肩をたたき、こう励ました。


 「七海ちゃん、笑顔、笑顔!」


 七海の一人娘の琴美に、君代がよく語り掛けていた言葉だった。在りし日の君代がしのばれ、七海は突っ伏して応接テーブルを濡らした。


(続)


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