第45話 幕間~金井七海の法廷闘争
ようこそおいでくださいました、私が理事長の金井七海です。応接室のような場所は特にないので、すいませんが職員室でも構いませんか?
それで東北新聞さん、今日は福田市長のご紹介ということでしたが、どんなことをお聞きになりたくて? 私、理事長なんて肩書ですけど、業界事情や事務手続きなんかは疎くって。あら、訴訟のことだったんですか。ホント、よくよく市長は変わっている人だわ。あはは。私、市長のこと訴えていたんですよ。よく、訴訟のことを聞きたいって人をつなぎますよねえ。笑っちゃう。
でも次長さん、記者さんの方がずっと訴訟には詳しいでしょう。私なんて、代理人の米田弁護士にお願いしていただけで、法律関係は分からないもの。え? どうして和解に応じたか、ですか。なるほど。結局、私たち夫婦だけでしたもんね、和解したの。先日、訴訟が結審したという記事は拝見したんですけど。どっちが勝つのかしら。
まあまあ、すいません。取材なんて初めてですから、話があっちこっち行っちゃって。判決がどうなるかなんて分かりませんよねえ。はははは。いや、もうホント、おかしい。前の理事長を訴えた私が、理事長としてうみどり福祉会の中にいて、その訴訟について取材受けているんだもの。なんか、おかしくって。
はあ。でも、この福祉会の建物って、私たちにとって希望の象徴だったんですよ。次長さん、障害者の親が普段、何を考えているか分かりますか? 徹頭徹尾、子どもたちの将来のことなんです。自分たち親が死んだ後、どうやって食べていくのか。住むところはあるのか。老いたら誰が面倒を見てくれるのかって、そればっかり。だって、普通の人ならば自分で何とかできるとしても、あの子たちは稼ぎがないんだから。
そんな親たちを、何とかなるかもしれないって気持ちにさせてくれたのがここ、福祉会なんです。農業なんてやったことなかった琴美ーー私の娘ですが、その琴美が楽しそうにホウレンソウを収穫するんです。それを袋詰めして、段ボール箱に入れて、スーパーまで運んで。1か月にたった3万7500円ですけれど、工賃としてお給料をいただいて、とっても喜んでいました。
あの子、福祉会に入るまではそれほど笑わない子だったんです。小さいころ、私と夫の不注意が元で障害を負ってしまって。顔立ちはかわいらしい方だと思うんですが、感情を表に出すほどの出来事に出会ってこなかったんでしょうね。それが、働く場所を与えられ、少ないながらも報酬を得た。普通の人と同じように扱ってもらえたことが、何にも代えがたい喜びだったんです。
その笑顔を後押しした人もいました。福田さんて、ご存じのようにとても忙しい方ですから、ここの実務はお母さんの君代さんが担っていました。ここで喜びを体感するまで、ほかの子たちもやっぱり表情に乏しかったんですが、君代さんはいつも、「笑って、笑って」って励ましていたんです。福田さんの長男の隼人君にも障害があって、彼を成人させるまで育てた人でもあるので、私たち保護者にもとても良くしてくれて。思い悩んだ時なんかに、よく愚痴を聞いてもらいました。
一言で言えば、君代さんは羅針盤みたいな人だったんです。障害者の保護者としての先輩で、通所者みんなのお母さん。その人が必死で生き残ろうともがいた証が、第三準備書面なんです。お読みになりました?
そりゃあ、琴美が亡くなった当初は福祉会を恨みました。どうして内陸部にいたのに、海手へ戻ったのって。大津波警報が出ていたのは分かっていたでしょうって。でも、それって、生き残った私たちだから言えることなんですよね。あの大津波以前に、津波って言われてどれだけ本気で備えた人がいたでしょう。せいぜい、漁港の岸壁の海水が何十センチか上がるくらいだって、高をくくっていましたよね。震災後の考え方を、あの時に当てはめるのは酷だと思うんです。それに、何よりも、必死で生きようとした君代さんへの冒涜のような気がしちゃって。私、君代さんの最期、知らなかったから。
ねえ、次長さん。今、お座りになっている椅子、通所者の子たちも座るんですよ。昔からそう。障害児って、ふとした拍子に不安にかられちゃって、暴れることもあるから。君代さんがこの椅子に座らせて、子どもたちにこんこんと語って聞かせるんです。「大丈夫、大丈夫。笑って、笑って」って、こう、ぎゅっと抱きしめながら。落ち着くまでそうしてあげるんです。
実は私もしてもらったことがあるんです。
さっき、不注意で障害を負わせたって言いましたけど、琴美は内臓逆位で生まれてきました。ご存じですか? 臓器がすべて逆側に付いているんです。それを手術した時に執刀医に伝え忘れて…。
私、ずっと自分を呪ってきました。先天的なものならば、まだ諦めの付きようもあります。でも、あの子を、琴美をそうさせたのは他でもない、私なんです。謝ったって謝りきれない、とんでもない過ちを犯したって。琴美がここに来て、初めてのお給料もらって喜んでいるのに、それを見て私、泣いてしまって。もう、取り乱すほどにね。琴美が笑顔になったのは良かったけれど、本当はもっと別の世界がこの子にはあったのにって、普通に学校に行って、恋愛して、就職して、働いて、お母さんになってって、できたのに私がーー、って思って嗚咽が止まらなくなって。
そうしたら、ちょうどその椅子に座っていた私を後ろからぎゅっと抱きしめてくれたんです。君代さん。「大丈夫、大丈夫。笑って、笑って」って。背中、暖かいって思ったのを覚えています。
琴美も、君代さんもいなくなっちゃったけれど、今度は私の番だと思うんです。これからも障害児とその保護者がいっぱい、いっぱい悲しむことがあると思うんですよね。その時、誰かが後ろから抱きしめてあげないと。君代さんの代わりに、「大丈夫、笑って」って言ってあげないと。
私ももう、五十路です。それほど先は長くないけれど、最後の最後まで精いっぱい頑張るつもりです。そして、いつか琴美と君代さんのところに行く日が来たら、私、頑張ったよって。いっぱい、いっぱい抱きしめたからって。大丈夫、笑って、ってたくさん伝えたよって、報告したいんです。そうしないと、琴美に顔向けできないもの。私が生き残って、君代さんが亡くなった意味がないもの。
(金井七海・完)
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