第43話 被告の街頭演説~金井七海の法廷闘争


 大音量で名前を連呼するだけの選挙カー。顔も見たことがないのに「よろしくお願いします」と言い募る厚かましさ。七海は選挙というものが総じて嫌いだった。


 そんな七海が最近、足を止める候補者がいる。いや、足を止めるどころか、聴衆の中に分け入っていって、前列の方で訴えに耳を傾ける。時には日に二度もそうすることがあった。


 マイクを握るのは、I市長選に出馬した福田禎一。うみどり福祉会の理事長で、県内トップクラスの建設会社、福田建設の社長だ。そして、七海が提起した損害賠償請求訴訟の被告でもある。どんなことを訴えているのか――。いつもならば聞きもしない政見に耳を傾けるのは、ひとえに訴訟に対する態度を決めるためだった。


 市長選が始まって3日がたつが、七海は告示日の1カ月ほど前に開かれた第三回口頭弁論に強く気持ちを揺さぶられた。福田の母で、うみどり福祉会の実質的運営者、君代の死に際を記した準備書面が原因だ。「君代さんは死んだ。私は生き残った。どっちも必死に生きようとしたのに」。自分は生かされた命なのだと考えると、福祉会側への怒りより、このまま裁判を続けることへの疑問が勝るようになった。


 「みなさん、ご声援ありがとうございます。福田禎一でございます」。ぼんやり訴訟のことを考えていたら、応援弁士の何とかという市議会議員の話が終わり、候補者本人の街頭演説が始まった。演説自体はもう何度も聞いたが、福田はどうしてか、これまでのところ東日本大震災に関する考えを語らなかった。もちろん、東北新聞の質問に答える形で紙上では話しているのだが、七海は福田の口から直に聞きたかった。


 「選挙戦も早いもので、もう折り返しです。みなさん、今日は何の日かご存じですか? 正確には昨日です。11日。月命日でした。忘れていましたか? いや、そういう方も多いでしょう。あれから何年も過ぎました。でもね、少なくとも私たちは忘れちゃならないと思うんです。だから、月命日が過ぎるまで、震災について拡声器でがなり立てることは控えていました。選挙カーは被災地も、墓の前も通ります。月命日を控える中、そこで声を張り上げるのは、どうしても嫌でした」


 突然の告白だった。津波で被災したI市において、復旧・復興施策は避けて通れない課題だ。言わば「一丁目一番地」の話を、選挙戦がスタートしているのに封印していたというのか。


 福田は続ける。


 「正直なところを申し上げます。市長の椅子とか、バッジとか、どうでもいいです。活躍を見せたかった母ちゃんも、もういませんし、生きている限り守り抜くと誓った一人息子もあの世に旅立ちました。でも、あれほど多くの犠牲を払ったのに、それが忘れ去られ、ただの昔話になってしまうのだけはどうしても嫌でした。建設会社の社長なんてやっていますと、工事の発注箇所やなんやで、お役所の考えがだいたい分かってきます。県やI市は別として、少なくとも国はもう、忘れようとしてますよ。『もういいでしょ』と言わんばかりです。そう言わせないために、身内が犠牲になった物言う被災者として、国と対峙したいのです」


 元よりかなり大柄の偉丈夫が、本音をせきららに語る様子は聴衆を否が応でも引き付けた。中卒の15歳で身を興した立志伝中の人物だけに、福田家の悲劇は市民みんなの知るところだったことも大きい。確かに、この男ならやってくれるのではないか―—。その場の空気は福田に支配され、選挙の趨勢は実質的に決まったようなものだった。


 最後に福田は、こう付け足して演説を終えた。七海は、発言があたかも自分に向けられたような気がして、胸の前で両手を握りしめ、うなだれた。


 「皆さん、ご存じでしょうが、私は今、訴えられています。うみどり福祉会の理事長なのに、通所者の安全配慮を怠って、津波に遭遇させ、死なせた、と。弁護士には訴訟に影響するから余計なことを言うなって言われましたが、これだけは言いたい。通所者が乗っていたバスには私の息子もいた。どこの世界に、息子の安全に気を配らない親がいますか! あの時、ここにいるみんな、その瞬間をどうやって生きるかって手を助け合ったでしょう。みんな必死に生き抜いた。なのに、時が過ぎれば、あいつが悪い、こいつのせいだって。本当の敵は、もう昔のことでしょって忘れようとしている世間なのに。もう二度と、仲間が死なない街を造ることが大事なのに。誰かを非難することで留飲を下げている場合じゃないと思いませんか」


(続)


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