第31話 突き刺さる漁船~氏家悠吾の奉職
その日、中学の卒業式を終えた氏家は3年も通った場所を離れがたく、式があった体育館脇で級友らと無駄話に花を咲かせていた。輪の中にいる連中は、高校から別々になる者も多い。中学というより、地元を離れるような気分になっていたのだろう、1時間以上は残っていた。
そんな感傷が、氏家の身を助けた。
突然、体育館に至る通路に設置してあった木製の渡り廊下が縦に揺れた。氏家は最初、誰かがいたずらで渡り廊下の端を踏み、てこの原理で持ち上がったのかと思ったが、続く横揺れでただ事ではないと察した。「伏せろ!」。誰かが叫び、皆でうつぶせになって手で頭を守った。
「ボン!ガラガラガラガラ!」
揺れが続く中、氏家からは死角になっている体育館の壁の裏の方向から、途方もない爆音がした。「ズン!」。さらに、何か巨大な物が崩れ落ちる音もした。女子生徒たちが悲鳴を上げ、氏家ら男子もおののいた。
地震が収まった後で音がした方を見に行くと、体育館のコンクリート壁が割れ落ち、鉄筋がむき出しになっていた。「こっち側でダベってたら、つぶれて死んでたな」。同級生の一言で想像力がいや増し、氏家はひしゃげた鉄筋を見ながら背筋を凍らせた。
そこにサイレンが鳴り響いた。氏家らは辺りを見回したが、学校の校内放送ではないようだ。とすると、後は隣接する町役場の放送しかない。これが避難訓練の時に役場の職員が話していた緊急放送か――。経験したことのない状況が続き、氏家の心臓も早鐘のように鳴り響いた。
「津波警報が発令されました。海沿いにいる方は高台に避難して下さい。役場付近にいる方は、そのまま動かないでください」
役場の女性職員だろうか。やけにゆっくりとした話し方の声が、帰宅しないよう求めた。氏家らが住む、ここS町は、役場や学校といった行政、文教施設が高台にあり、その高台を囲むように住宅地が点在する土地だった。
「帰るなったって、もう帰っちまった奴らの方が多いんでね?」。別のクラスメートの意見に氏家も頷いたが、緊急放送が告げる通り、津波が来るのならば留まっていた方が正解だ。目算だが、学校周辺は氏家宅より二十数メートルは高い。9年間、毎朝、あれほど呪った劇坂が、この時ほど頼もしく思えることはなかった。
「しまった!弟!帰っちまったかもしんねー」
氏家は道路向かいの小学校に通っている弟の存在にハタと思い至り、見に行くことにした。「大丈夫だって。津波ったって、いっつも、ちょこっと波が高くなるだけだっちゃ」と級友の言葉が追い掛けてきた。
確かに、いつもは警報が出ても津波高は数十センチで心配損だったが、この日ばかりは嫌な気がした。体育館の壁が崩れ落ちたのを目にしたばかりだったかもしれない。小学校側へとダッシュした。
「おっ、お前、兄ちゃんお迎えじゃん」。3年前まで慣れ親しんだ校舎に入ると、弟は友人と一緒だった。小学校もこの日、6年生の卒業式で、送り出す側だった弟もセレモニー後の片付けに駆り出されていたようだった。氏家は大きく息を吐き出し、警報が解除されるまで校舎にいるよう弟に言い含め、中学校側に戻った。
小学校から中学校へと、町道を渡ろうとした時だった。町内で最も見晴らしの良い場所で、晴れた日には遠くに風光明媚な松島の群島が見えるのだが、その松島よりも南側、太平洋の方向から大量の波が押し寄せてくるのが見えた。
波頭こそ白いものの、海にいつもの青さはなく、強いて言えば真っ黒だった。それがテトラブロックを越え、岸壁を呑み込んだかと思ったら、漁港内の海水がまるで漫画のように数メートル持ち上がり、係留された漁船を浮き上がらせた。津波はその漁船ごと上陸。漁協事務棟や付近に停めてあった車にぶつかっていった。
「ヒッ」
漁船が事務棟に突き刺さる様子を目撃し、氏家は小さく悲鳴を発した。事務棟の3軒隣が、氏家の生家だった。
(続)
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