第28話 美智子の前進~江藤美智子の遍路道
「津波殉職者の『前進』に敬礼」
2016年11月、地元の東北新聞に、そんな見出しの囲み記事が載った。写真はI警察署の署長室前。壁面に政彦が木製プレートを掲げ、妻の美智子がその様子を見詰める1枚だ。二人の後ろには大勢の署員がいて、プレートに敬礼する姿が映り込んでいた。
記事に書かれた出来事があってから、10日ほどが経過していた。美談だとして、東北新聞を見た他のマスコミから取材依頼が殺到。孝則の犠牲を風化させたくなくて、できうる限り応じてきたが、それもようやく一段落したようだ。
あの日、孝則に「前進」の言葉を贈った上司も駆け付けてくれた。話には何度も聞いていたが、顔を見るのは初めてだった。政彦が「ようやくお会いできました」と水を向けると、上司は顔をくしゃくしゃにし、人目もはばからず号泣した。
「私が悪いんです。私が殺したようなもんなんです。前進、前進て、それだけで、前途ある若い命を散らせてしまった。5年間、1日だって江藤のことを忘れたことはなかった」
手をついて詫びる上司に、政彦はあえて軟らかい調子で言葉を掛けた。
「孝則は警察に入るまで、いわゆる『外のメシ』を食べたことがありませんでした。学生気分が抜けないまま、私の手伝いをしていただけです。あなたが、初めて社会人としての基本を説いてくれた。感謝こそすれ、謝られる理由はないですよ」
震災当時、I警察署長だった弟の良彦が上司の脇の下に両手を入れ、立たせる。背中をたたいて、「もう、あれがら、いっぺえ泣いだべ。今日は泣ぐ日でねど。孝則って立派な署員がいだごどを讃える日なんだど。あ、伯父の俺が言うのはおがしいが」と続けた。湿り気を帯びた空気が明るいものに変わるのが分かった。
プレートの奥の部屋、署長室には孝則を含め、あの日に殉職した6人の遺影が飾られていた。年齢も階級も、家族構成もさまざまで、中には警察に対していまだに心を開かない遺族もいると聞いた。ただ、政彦は5年たっても毎月、月命日に署幹部を寄越す警察の姿勢に感じ入るものがあったし、弟をなじる気もなかった。
「5年経ったとか、7回忌になるとか、数字の上での節目は遺族に関係ないです。今だって孝則がカンナを掛けているような気がして、隣の作業台を見るんです。でも、私たちは生きている。あいつが悪かったんだ、あの時こうしていればって、過去にとらわれているだけでは、私たちまで海に引きずり込まれる。そんなこと、孝則が望んでいる訳ないと思うんですよね」
泣き伏した上司への言葉だったが、本当は美智子に向けたものだった。
帰路の車中、美智子に水を向けた。
「勝手に話さ進めで、悪がった。うまぐ言えねんだげんと、もう、こごらで終わりさしねが。俺だづもそろそろ、前進さすねが」
新聞記者に感想を求められた時を除き、ずっと黙っていた美智子が口を開いた。政彦に、というよりも、自らに語って聞かせているようだった。
「警察署の構造なんて知らないけど、たぶん、あの壁なのよね。涼太がハイハイした、立った、歩いた、って良彦さんに報告に行ってた署長室の壁。あそこを何度も、孝則が笑顔で通っていったのよね。私たちが見たこともない、うれしそうな顔だったって、良彦さん言ってた。今日もあそこにいたのかもね。たぶん笑っていたよね。『母ちゃん、何ずっと暗い顔してんのや』って言われちゃうかもね」
♢
翌日、美智子は庭にある物置に箱を二つ、収めた。自分と政彦の白衣と菅笠などが入っている。
お遍路はしばらく、お休みすることにした。遍路道はあと半分、残っている。孝則に「中途半端は良くない」なんて言われそうだから、心の整理が付いたら、また出掛けるかもしれない。そのあたりは深く考えず、行きたくなったら行くことにした。とりあえず、義務感で巡るのはもうやめた。
「さて、と」
美智子が腰を上げ、母屋に向かうと電話が鳴った。今日は朝から引っ切りなしだ。また、どこかからの取材依頼だろう。孝則はまだまだ、親に楽をさせてくれそうもない。
(続)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます