第16話 災害対策本部~福田禎一の街づくり


「津波、S病院くらいまで来てます!」


政策企画課の課長補佐が金切り声を上げた。I市役所きっての政策通として鳴らし、おそらく40代のうちに課長に上がるだろうともっぱらの評判だったが、危機対応には向いていないのかもしれない。緊急時にも関わらず、福田はそんなことを考えた。


こうした有事に備え、役所というところは、あらかじめマニュアルを定めている。災害の度合いに応じて対策本部やら警戒本部、情報収集室、連絡室などといった部署を立ち上げ、外部機関を集めて情報を一元化。本部長や室長の号令の下、問題に対処する。今回も地震発生後、警察や消防、建設業協会に消防団、NTT、電力会社、学校関係者が集まってきていた。


福田もI市建設業協会の会長として顔を出した。まだ正式名称は決まっていないが、市長をトップとする対策本部になるのだろう。そう思っていた矢先、6階建ての市役所の東側の窓から海を見ていた課長補佐が巨大な黒い壁を目にし、会議室に駆け込んできたのだった。


市役所よりも高層のビルなど、そうはない田舎街だ。平地を呑み込んでいく津波をまざまざと目撃した課長補佐の驚愕は理解できたが、S病院は海岸から6キロは離れている。「あんなところまで水が来たってかぁ…」。前代未聞の事態に、頭が追いつかなかった。


国や県、I市など発注者が異なるとはいえ、福田建設は海岸堤防や藩制時代の堀の護岸、県道・市道敷設と市内の公共工事の多くを手掛けてきた。S病院の建屋もそうだ。市内の建造物の位置はおおむね頭に入っていただけに、信じがたい思いもぬぐえなかった。


突如、消防署長の携帯が鳴った。その後も断続的に鳴り続け、寄せ波で家屋が浮き上がった住民からの救助要請が相次いでいることを署員が伝えてきた。NTTや電力会社も現場からの情報を基に、不通や停電の知らせをホワイトボードに書き込んでいく。知事からの災害出動要請で自衛隊が駆け付けた頃には、会議室は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。


まだ警察署長が声を発しないので誰も口に出さなかったが、最悪の事態を想定せずにはいられなかった。6キロも内陸まで津波が入り込み、家屋が流され、電話も電気も使えないのだ。市民の死―。おそらく不可避に違いないだろうが、認めたくなくて、情報連絡に追われることで考えないようにしていた。


「本署より入電。本日16時半すぎ、沿岸部のT小学校付近で農業用水路に突っ込んで横転したバスを巡回中の署員が発見。津波が内部まで浸入し、数十人の死者が出ている模様」


100人近い人間が出入りしているというのに、喧噪が一気に収まり、会議室は静寂に包まれた。誰もが一時、呆然とした表情を浮かべて声の主―警察署長を見詰めた。「ほかにも沿岸部で複数の死者がいるとみられ、現在、詳細を調査中」。警察署長が続けた重々しい言葉が再生ボタンになったかのように、入室者が一斉に動きだした。


警察署長が福田に近づいてきた。確か江藤と言ったはずだ。去年の4月に異動してきた生活安全畑の警察官で、転任のあいさつでゴルフが趣味だと話していた覚えがある。まだ調査中の事案だと前置きした上で、その江藤が部下が走り書きしたメモに視線を落とした。



「先ほどの横転したバスですが、車体に、うみどり福祉会という塗装が見られるとのことです。第二波、第三波の恐れがあるため、現時点で内部を確認することができず、同会関係者が搭乗しているかどうかは不明です」


スッと胃の辺りが凍りつくような感じがした。江藤の言葉は一人息子の死を意味していた。


(続)


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