第17話 警察署長の慟哭~福田禎一の街づくり
「うみどり福祉会には、ご母堂とご子息もいらっしゃるとか。ご無事をお祈り申し上げます」。江藤が続けた。
「まだ分からんじゃないか!だいたい、母ちゃんにはさっき会った!バスには乗っとらんはずだ!」
福田は自分でも驚くほどの大音声で叫んだ。20以上前にバブル経済が弾け、不動産投資のツケがたたって会社が傾きかけた時でさえ顔色を変えなかった男が、身内に不幸の可能性が指摘されると我を失った。
「最初に不確かな情報だと申し上げたはずです。とはいえ、知り得た情報を、特に人の生き死にに関わることを、席を同じくする人間に秘すことは私にはできない」。たたき上げて警視正まで上り詰めた人間は、努めて冷静だった。
江藤はまるで独り言のようにつぶやいた。「現実はいつだって冷徹です。こちらの想像を越えていく」。緊急時にこのような対策本部に詰める人間――端的に言えば人の上に立つ人間は、どのような事態に遭遇しても動揺してはいけないのだと、福田はあらためて肝に銘じた。
「会社って言葉だど、よそよそすぐ聞ごえっけどな、法人て言い換えるとどんだ?会社っても結局は人なんだど。一番上の人間がワタワタしちゃなんね」。ふいに、若い時分に耳にした親方の説教がよみがえってきた。
思慮を欠いた発言への謝罪と、気遣いへの感謝を口にすると、江藤は一笑に付した。「なに、福田さんの所のことが人ごとだとは思えませんでね」。I警察署でも、地震後に沿岸部へ避難誘導に出動した署員6人と連絡が取れない状態なのだという。
そのうちの1人は甥っ子で、まだ34歳。両親を心配して家業の木工所を手伝っていたが、自分に似たのか正義感が強く、一念発起して30歳で奉職したのだと、江藤はぽつりぽつり話してくれた。
「孝則っていうんですが、おととし、子どもが生まれたばかりでしてね。市内の官舎に嫁さんと3人暮らしでした。髪の毛が増えた、寝返りができた、お座りができた、立った、しゃべったって、いちいち署長室に報告に来ましてね。何度も執務中だと叱ったものでした。孝則の嫁さんにも兄貴夫婦にも、私、何て…。孝則のことは生まれた時から見てきたんです。警察に入ってからはそれこそ、兄貴以上に。人の死にはずいぶんと向き合ってきましたが、身内のこととなると、こんなにもつらい…」
激高した福田は我が身を見る思いだったのだろう。怒声が飛び交う会議室の片隅で心の内を絞り出し、江藤はうつむいて口を覆った。冷静さの裏には激情が渦巻いていた。
その晩、会議室に詰めた面々はめいめい、床や廊下などで横になった。
津波がいつ押し寄せるか分からず、暗くなったこともあって、停電で真の闇に包まれた沿岸部には近づけずにいた。その間も救助要請や国・県からの連絡が引っ切りなしに続いたため、交代で仮眠を取りつつ夜明けに備えることになった。もっとも、ほとんどの人間が家族や会社のこと、もっと言えば、これからこの土地はどうなってしまうのだろうと考えて、眠るどころではなかった。
夜が明けると、深刻な実態が次々と浮かび上がってきた。沿岸部は各地が水没したままで、ところどころに遺体が見られた。数人などというレベルではない。死者は数百人単位に上るだろうとの江藤の報告を聞いて、福田は思わず頭を抱えた。
そこに携帯が鳴った。マナーモードにしていなかったことを会議室のメンバーにわびつつ、廊下に出て通話ボタンを押すと妻の幸の金切り声が響いた。
「あんた、お義母さんが!」
一夜明け、市役所近くにある福田建設に残っていた幸は、沿岸部の自宅の様子を見に行った。自宅は一階の屋根付近まで水が来た跡があったが、びくともしていなかった。ただ、母の君代が自宅南側にある農園でビニールハウスの骨組みにもたれかかるようにして倒れていたという。
取るものもとりあえず、会社にあった現場巡回用のRV車を飛ばして駆け付けたが、母は息をしていなかった。一晩、水に漬かっていたらしく、青白い顔をしていた。それなのに、まるで微笑んでいるような穏やかな表情をしていた。
(続)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます