第9話 福田建設~日下洋子のウエディングドレス
「あなたの家を、理想の形に福田建設」
夫の隆にキャッチフレーズ入りの名刺を差し出した男は、社名をそのまま体現したような、がっちりした体躯と福々しい顔の持ち主だった。福田禎一と名乗った。洋子と隆はN市北西部の丘陵地帯に土地を買うと、その足で福田建設へと向かったのだった。
市内にも地元新聞社とテレビ局の冠が付いた住宅展示場があり、主に東京に本社を置く十数社ものメーカーがひしめき合っていた。土地購入前に一度覗きに行ってみたが、「被災者向けバリュープラン」「今なら坪単価35万円」などの売り文句を記した桃太郎旗やチラシが至る所に並び、辟易とした。
「震災特需ってやつか。何だかやりきれない気持ちになるなあ」。隆のその一言は、その当時の地元住民の気持ちを代弁するものだった。
国内建設業は折から続く不景気のあおりを受け、財政規律を守ろうとするがための公共事業縮小の余波もあって、多くが立ち行かなくなりつつあった。建設事業に見切りをつけ、異分野に乗り出す会社も無数にあった。東北地方の沿岸部で広範囲にインフラや家屋をずたずたにした東日本大震災は、降って湧いたような好景気に違いなかった。
実際、土や建設資材を運ぶダンプカーの運転手は引く手あまたで、1日に5~6万円以上が保証されたと聞いた。おかげでS市繁華街の飲食店は建設業者でプチバブルの様相を呈した。人気店ともなると地元住民が予約も取れない有り様で、「景気が良いのは結構だけんとも、地元からすりゃ『何だかなあ』って感じだわな」と悪態も聞こえてきた。
洋子が家を購入しようとした頃は、そうした熱も冷めていた。東京でオリンピックの誘致が決まったためで、選手村建設だとかで潮が引くようにバブルのあだ花は見られなくなった。人の不幸を金に換え、移り気にまた別の土地へと飛んでいく。そんなようにも映る建設業者に大切な家を任せようとは、露ほども考えなかった。
幸い、勤めていた会社の社屋を手掛けた会社が地元の中堅建設だった。住宅部門もあるというので打診したところ、社長自らが話を伺いたいと言ってきた。福田だった。
「いやあ、震災前は公共事業もあまりなくってね。そっちばっかりじゃ食っていけないってんで、住宅部門も立ち上げたんです。でも、この忙しさでしょう。開店休業状態ってやつになってたんですが、ご事情を伺ったものですから」
ずいぶんと如才ない社長だ。寡聞にして知らないが、建設会社の社長というのは、こうしたタイプが多いのだろうか。ぷるぷると揺れる福田の耳たぶを見詰めながら、洋子は作業着に身を包んだ男が次第に好ましく思えてきた。自身もN市の南隣、I市の沿岸部で被災したという点も、洋子たちの思いを酌み取ってくれそうに思えた。
「二度と津波が来ないように山の上に土地を選んだ、と。だから後は、とにかく地震に強い構造で、ということですね。分かりました。それで、奥さんのご両親の仏間も造ってほしいということでしたが、一つご提案があるんですよ」
福田はそう言って、簡易版だとする設計図を示した。見ると、玄関を入ってすぐの右手に仏間がある。仏間に沿って、玄関から奥のリビングまで伸びた廊下。その行き当たり、仏間と廊下の隅に、両者をつなげる三角形のスペースが設けられていた。吹き出しに、「壁面:透明アクリル」と指示されている。
「ここにマネキンを置いて、奥さんのウエディングドレスを飾りませんか。玄関を開けるたびに目に入るし、何より、遺影からも見えるでしょう」
奥さん、感激するのは完成してからにしましょうやと、福田がハンカチを手渡してきた。アイロンの効いた、きれいなワイン色の1枚だった。
(続)
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