第7話 芳江の嫁入り~日下洋子のウエディングドレス
母の芳江は、お気に入りのワイン色のセーターを身に着けていた。「華やかで女性って感じの色じゃない?」。その色がとにかく好きで、洋服はもちろん、靴や傘、財布、キーホルダーとそろえ、出掛ける時はどれかしらを持っていったものだった。
「避難するっていう時にも、そのセーターを選んだのね」。赤系統の色味だけに、皮膚の白さが際立つ。幸いなことに父の喜一郎と違って泥や傷は見当たらず、洋子は胸をなで下ろした。男だからいい、というものではないにせよ、顔に傷ができるのは同じ女として耐えがたい気がした。
近所にあった工務店の重機の下で見つかったという芳江。津波の通り道となったのだろう、その重機の下では何人もの住民が折り重なるようにして亡くなっていた。ちょうど、あの歩道橋の階段のような場所だったのだろうか。犠牲者の中には幼馴染の紀美子さんもいたと聞き、洋子はほんの少しだけ救われる気がした。二人して避難の途中だったのだろうか。
顔にかかった髪の毛を耳にかけてあげながら、洋子は芳江に話し掛けた。「最後まで紀美子さんと一緒で良かったね」。白い皮膚は氷のように冷たかった。
芳江は1949年、今も暮らすN市沿岸部に生まれた。父親は漁師だったが、芳江が四つの時、漁に出たまま帰らぬ人となった。「漁師は板子1枚下は地獄だがんね」。達観したような母親の態度に違和感を感じたものだったが、酔っては暴れ、母親を困らせる男だったと後に聞き、妙に納得した。
父親の死で家庭には穏やかな時間が流れたが、当然ながら家計は逼迫した。公園の水を飲んで空腹をまぎらわせるほどで、小学生にしてハンカチに刺繍を施す母親の内職作業を手伝うようになり、結果として裁縫の技術が身に付いた。刺繍に集中している時だけは空腹を忘れることができたのも大きかった。中学を出るとすぐ、隣町のS市の縫製会社に就職したのは自然な流れだった。
漁師町の子どもは小中とも全員、同じ学校に通った。芳江も喜一郎の3学年下で、同時期に学び舎で過ごした。もともと喜一郎が見初めたらしく、醤油や卵など大友雑貨店の商品を差し入れては気を引こうとしたと聞いた。プレゼント作戦が功を奏したのは1975年のことだった。
芳江は喜一郎と一緒になると縫製会社を辞め、雑貨店を手伝いながら店裏の離れで裁縫教室を始めた。まだまだ着物が幅を利かせていた時代。近所の奥さん連中に洋裁を手ほどきするというのがウリだったが、内実は専業主婦の息抜きの場所だった。
カラフルな布を裁ち、きれいな洋服に仕立てていく様を見るのは幼い洋子にとっても楽しく、成長するにつれて入り浸るようになった。今のアパレル系商社勤めの原点はおそらく、この場所にあったのだろう。
洋子の結婚が決まると、芳江は自分の着物の中でも一番のお気に入りを解いてウエディングドレスに仕立てた。明るい銀色に近い白地に、オレンジの差し色が入った華やかな布地で、洋子も一目で気に入った。芳江の嫁入りに際し、祖母が注文した着物だったという。
「母さんの家、貧乏だったんだけどね、お父さんと一緒になる時におばあちゃんがくれたの。生活は苦しくても、娘の晴れ着代だけはため続けてくれてたんだね。私それ聞いて、自分の娘にもこれ着せるんだって決めてたの」
その芳江は今、同じく冷たくなった喜一郎のそばに横たわる。あまりに多くのことが重なりすぎたし、在りし日の思い出は濃すぎて、飲み込めるはずなどない。病気煩いの末にというケースと異なり、事故死は突然なだけに遺族が受け入れられないものだと聞いたことがあるが、二人の肌の冷たさは疑いようのない現実でもあった。
両親も、帰る家も、思い出の品も全てなくなってしまった。洋子の家にしまってある、あのウエディングドレスを除いて。
(続)
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