14 真奈
『追い詰められて立ちすくむ時、袋小路に閉じ込められた時、未来に希望が見えなくなった時。真夜中の祠においで。心からの祈りを捧げれば、親切な神様がきっと助けてくれるから……』
そんな都市伝説があることを真奈も知っていた。
「実をいうとね、私は『真夜中の祠』の案内人なんだ。今のママさんになら、きっと鳥居は現れる。神さまにお伺いを立てて助言してもらってはどうかね?」
老人は、『真夜中の祠』の参拝の作法を真奈に教えてくれた。
そして、そこでなにが起きるのかも……。
「『真夜中の祠』では、ふたつの人生を夢で垣間見ることができる。ママさんは見せられたもののうち、自分に都合のいい人生を選べばいいんだよ」
なんの問題もなく幸せになれる人生を選べればいいが、実際には見せられた人生がふたつとも厳しい場合もある。その時は、不幸を回避するよう自分で頑張るしかない。
「辛い人生を回避する道筋を見つけられるよう、あえて神さまは結論だけではなく、その道程まで夢で見せてくれる。怖がらず、疎まず、真摯に神さまからの助言を受け取っておくれ。……できればママさんについていってやりたいんだが、私はこれから入院でね。いつ退院できるかわからないんだよ」
老人は少し寂しげに笑う。
そして『真夜中の祠』に行けば、きっと他の案内人がいるはずだから、その人の指示に従うようにと……。
「ママさんとお嬢ちゃんが、良い人生を送れるよう祈ってるよ」
老人が優しい手で娘の頭を撫でる。
都市伝説に関しては眉唾物だと思ったが、老人の優しさだけは本物だろうと真奈は思った。
やめようやめようと思っても、どうしても病院に行きたくなってしまう。だが、これ以上娘を害したくない。
追い詰められた真奈は、夫が仕事でいない夜に、老人から渡された地図を頼りに『真夜中の祠』に行ってみた。
灰色の鳥居をくぐると、そこには高校生ぐらいの不機嫌な顔をした女の子がいて、早く祈るようにとやけに急かしてくる。
追い立てられるまま、真奈は老人に聞かされていたようにニ礼ニ拍手一礼して、神さまに祈ってみた。
そして、夢をふたつ見せられた。
ひとつ目は、夫にすべて打ち明ける夢だった。
全てを聞いても、優しい夫は真奈を責めなかった。その代わり今の真奈は病気だと指摘した。代理ミュンヒハウゼン症候群というらしい。
夫は真奈に治療をするようにと勧め、自分は子育てをサポートする為に迷うことなく勤務時間が不規則になりがちな刑事を辞めて民間の警備会社に就職しなおした。
医療と夫のサポートを受け、真奈は癒されていった。
と同時に、夫に対する申し訳なさも募っていた。
民間の警備会社に就職した後、夫はその人当たりのよさを買われて、防犯の講演やマスコミ対応など広報の仕事に携わるようになっていた。以前より勤務時間も短く、残業もほとんどない。それなのに、夫は酷く疲れているように見えた。
それも当然だ。夫は刑事という仕事に誇りを持っていた。生きがいだったのだ。それを失って平気でいられるわけがない。
真奈自身も、仕事を辞めなくてはならなくなった時とても辛かった。
真奈の場合は自業自得だったけど、夫はそうじゃない。
自分みたいな愚かな妻を持ってしまったせいで、夫は天職ともいうべき仕事を失ってしまったのだ。
夫への申し訳なさが募っていくにつれ、また真奈の精神状態は不安定になっていった。そしてその矛先はまた娘に向かってしまう。
幸い、すぐに夫が気づいて、真奈から娘を引き離してくれた。そしてまた、治療のために病院に通う日々。そんなある日のことだった。
「また繰り返したようですね。あなたは母親失格です」
交差点の信号待ちをしていた真奈の耳元で、男の声が聞こえた。と、同時に背中を強く押されて、車道に突き飛ばされる。
右側からは青信号で直進してきたトラックが走ってきて……。
そして、ひとつめの夢は終わった。
ふたつ目の夢の真奈は、夫に打ち明けずにひとりで鬱々と悩み続けていた。
いけないいけないと思いつつも娘を害して病院に通う日々。そんなある日、娘の主治医にこっそり話しかけられた。
「悩んでいるんでしょう? 内緒で相談に応じますよ」
綺麗な顔をした優しげな医師の言葉に真奈は飛びついた。
そして誘われるまま出向いた先で、なぜか急に眠りこんでしまった娘を医師に奪われた。そして娘の命と引き換えにビルから飛び降りるようにと強要された。
娘を盾に取られては逆らえない。真奈は言うことを聞くふりをしながらビルの非常階段を昇り続けた。そして娘を抱いたまま後ろから昇ってくる医師の隙を狙い、娘を奪い返そうと飛びかかった。ふたりはもみ合い、もろともに階段を転げ落ちていった。
ふたつの夢を見終わって、現実に戻った真奈はそのあまりにも酷い内容に呆然となった。
「もういいでしょ? 用が済んだらさっさと帰って」
不機嫌そうな案内人の女の子は、そんな真奈の背中を押して『真夜中の祠』から追い出してしまう。
(私、死んじゃうんだ)
しかもふたつ目の夢の中では、たぶん娘も死んでいた。
帰りのタクシーの中で、真奈はぎゅっと娘を抱き締めた。
(この子だけは守りたい)
それを思えばひとつ目の夢を選ぶべきなのだろう。だが、そちらを選ぶと夫が刑事を辞めてしまう。真奈の耳には、夢の中で聞かされた馴れない仕事に疲れた夫の溜め息が耳に残っている。
真奈には、夫の生きがいを奪うことなどできそうになかった。
となると、選ぶのはふたつ目の夢。
(あのお医者様の誘いに乗らなければいいのよ)
なぜあの医師が真奈を殺そうとしたのか、その理由はわからない。だが、とりあえず夢で見た最後の悲劇を避ける方法だけならわかってる。
それに、今の真奈にはひとつ目の夢の中で、代理ミュンヒハウゼン症候群の治療を受けた記憶もある。診察を受けなければ薬は手に入らないが、カウンセリングの内容は覚えている。その記憶を利用すれば、なんとか自力で治すこともできるのではないか。
真奈はそんな甘い目算の上で、ふたつ目の夢を選んでしまった。
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