13 真奈
小さな頃から真奈はいい子だった。
成績優秀、運動も良くできて性格も明るく皆からとても好かれていた。
常にトップの成績を維持したまま大学を卒業し、就職した先でもすぐに頭角を現した。文具の開発部門で働いていたのだが、入社三年目で若い女性ならではの視点で発案した商品が大ヒットしたのだ。
「素晴らしいよ。これからも君独自の視点で良い商品を発案していってくれ」
「真奈さんは女性社員の希望よ。これからも先頭に立って頑張ってね」
皆から賞賛されて真奈は嬉しかったし、素直に頑張ろうとも思えた。
その後、ちょっとした事件に巻きこまれ、そこで知り合った刑事と恋に落ちて結婚した。子供が早く欲しかったから、すぐに妊娠して産休にはいることになった。
「産休が明けたらまたバリバリ働いてくれよ」
「出産して復帰したら色々大変になるだろうけど、今まで通り協力するから」
応援してくれる男性社員には「はい」と明るく答え、不安になるようなことを言う子持ちの女子社員には曖昧に笑って答えておいた。
順調にお腹の子は育ち、無事に出産した。
「うん、問題ありません。順調ですね。夜泣きはどうですか?」
「聞いていたほど酷くありませんが少しだけ……。それと、ミルクを飲む量が少ないような気がして……」
「体重は標準値に達してますから大丈夫ですよ。神経質にならずおおらかに見守ってあげてください。お母さんの不安を子供は敏感に感じ取りますからね」
一ヶ月検診で、この調子で頑張ってねと優しげな女医に言われて、真奈は「はい」と頷いた。
だが、心の中は不安でいっぱいだった。
(本当にこれで大丈夫なのかな?)
真奈はいつも優等生で、同年代のみんなの先頭に立っていた。
だが、子育てはそううまくはいかない。
産まれたばかりの娘は小さくてどこもかしこもふにゃふにゃしていて、いつ何時どうにかなってもおかしくないひ弱さだ。
娘が可愛いからこそ真奈は不安だった。
自分の育児は間違っていないか?
娘は順調に育っているのか?
いつも優等生でトップを走り続けてきた真奈にとって、順位表や成績表という目に見える形での評価がないことがストレスになった。
毎日終わりのない育児に追われながら、不安ばかりが育っていく。
そんなある日のこと、真夜中に娘が急な発熱に見舞われた。夫は仕事で不在。心配で心配で、真奈は不安に耐えきれなくなった。朝まで待てずにタクシーを飛ばして夜間診療に駆け込んだら、医者に誉められた。
「いい判断でしたね。普段から娘さんを良く見ていたから異常に気付けたんでしょう。朝まで待っていたら障害が残っていたかもしれませんよ」
真奈は娘の熱が下がったことより、医者に評価されたことのほうが何倍も嬉しかった。自分の育児は間違っていないと認めてもらえたような気がしたのだ。
それがはじまりだった。
気づいた時には、娘のほんのちょっとした変化でも病院に入り浸るようになっていた。
(こんなんじゃ駄目だ)
わかってる。
わかってるけど、もう一度だけ誉めて欲しい。認めて欲しい。
それなのに、あれ以来一度も誉めてもらえていない。それどころか、こちらの精神状態を心配される始末だ。
「初めての子育てで少し神経質になってるのかな。子育て経験のある病院のスタッフとお話してみますか? 気が楽になるかもしれませんよ」
医者に勧められるまま何度か病院のスタッフと話すことで、真奈の病院通いは治まった。
だがその後、歩き始めた娘がうっかり腕に火傷してしまい、治療の為に何度も病院に通うことでまた再燃する。
「うん。綺麗になおりましたね。これなら小学生になる頃には残った火傷跡も綺麗になおっているでしょう。お母さんもよく頑張りましたね」
「そうか、傷跡は残らないのか。ありがとう真奈。大変だっただろう」
更に医者と夫に誉められたことでたがが外れた。
(ごめんね。今回だけだから……)
病院に通うためには、娘が病気にならなくてはいけない。
その為に、真奈は何度もしてはいけないことをした。
可愛い娘、大事な娘。守りたいと思っているはずなのに、今回だけ、一度だけと自分の手で娘を害してしまう。
病院通いを続けた為に、気づけば娘は病弱だと言われるようになっていた。そうなると乳児院に預けることもできず、育休が明けても真奈は会社に復帰することができず、結局退職することになってしまった。会社を辞めた事で、真奈の精神状態は更に悪化した。
(私、なにやってるんだろう?)
大事な我が子を害して病院通い。
それなのに、望む褒め言葉を貰えることはなくなっていた。むしろその逆で、度重なる娘の病気や怪我に最近では疑いの目を向けられているような気がする。
わかっているのに、やめられない。
「ママさん、表情が暗いよ。なにか悩み事があるのかい?」
そんなある日のこと、もうすっかり通い慣れた病院で会計を待っていると、グレイヘアの上品な初老の男性に声をかけられた。
おじいさんは、にこにこと穏やかな微笑みを浮かべていて、今は亡き優しかった祖父にどこか似ているような気がした。
「よければ、この暇な年寄りの話し相手になってくれないかね? おお、可愛いお嬢ちゃんだ。子は宝だねぇ」
皺の多い手が、そうっと娘の頭を撫でる。
その優しい手つきを見て、真奈は頭を殴られたようなショックを受けた。
(なんで私、この子を傷つけたりできたんだろう?)
そうだ。子は宝だ。傷つけたりしてはいけない。守らなければならないものだ。わかっていたはずなのに、やめられなかった。
「私……なんてことを……」
気づかないふりをしていた罪悪感が一気に襲ってきて、胸が苦しくなる。耐えきれずに真奈はぼろぼろと涙を零した。
「落ち着いたかね?」
「はい。……ご迷惑をおかけして……」
「気にすることはないよ。人生色々あるものさ」
真奈は老人と共に、病院に併設されたカフェにいた。
娘は老人に抱っこされてすやすやと眠っている。
老人は、いきなり泣き出してしまった真奈を慰めながら会計を済ませてくれて、ここまで連れてきてくれたのだ。
「どうして泣きたくなったのか、聞いてもいいかい?」
「……はい」
真奈は優しい老人に促されるまま、涙の訳を全て話した。
自分の愚かな行為を、誤魔化さずに全て打ち明けた。
「そうかい。この子を……。それは辛かったねぇ」
老人が優しい手つきで眠る娘の頭を撫でる。
「すみません」
「私に謝る必要は無いよ。辛かったのはお嬢ちゃんだ。それにママさんだって辛かったんだろう?」
はいと頷きかけて、やめた。
娘を害した自分に頷く資格はないと思ったからだ。
「酷いことをしてるってわかってたのに止められなくて……」
「そうかい。会社を辞めてしまったのは勿体なかったねぇ。自己肯定感というんだったか……そういうものを得る機会が少なくなってしまったのが、一番の原因みたいだからねぇ」
(そっか。そうだったのかも……)
老人の言葉は、すんなり真奈の心に入ってきた。
確かに老人の言うとおりなのだろう。
だが一番の問題は、自己肯定感を得られなければ自分を保っていられない心の在り方だ。
「カウンセリングに通ったほうがいいんでしょうか」
「そうだね。そのほうが良いかもしれないね。――話は変わるが、ママさんは『真夜中の祠』という都市伝説を知ってるかい?」
「え?」
上品な老人の口から都市伝説なんて言葉が出たことに驚いて、真奈は思わず首を傾げていた。
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