12 橘

 真夜中過ぎ、電話を掛けるにはふさわしくない時間帯だったが、桐子のスマホに連絡を取るとちょうど夜勤中だったらしくすぐに出てくれた。

 事情は後で説明するから、樹が自宅にいるかどうか確認して欲しいと頼んで通話を切る。それから数分後、焦った様子の桐子から折り返しの連絡が来た。


『樹が家にいません!』


 何度電話を掛けても応答がない。母子家庭で不安なこともあり、樹のスマホにはGPSのアプリを入れてあったそうなのだが、なぜかその所在地も表示されないのだそうだ。


「樹君は、『真夜中の祠』に行ったのかもしれません」

『は?』


 スマホの向こうで桐子が意表を突かれたようにぽかんとしているのがわかった。


「とにかく、説明は後で。すぐに『真夜中の祠』に向かってくれませんか? 私もすぐに向かいますから」


 通話を切り立ち上がると、隣の高木も一緒に立ち上がった。


「なにかあったんですよね? 一緒に行きますよ」

「俺も一応『真夜中の祠』の関係者なんで同行します」


 預けてあったコートを手に桜居もやってくる。


「ありがとう。ただし、万が一なにかあったら俺の指示に従って欲しい」

「了解」


 高木がふざけて敬礼をして、場の雰囲気が一気に和んだ。

 コートを羽織り、外に出た。

 日中はずいぶんと暖かくなったが、夜はまだまだ寒い。

 橘はタイミング良く走っていたタクシーを拾うと、桜居と高木になにが起きているのかを説明した。


「待ってください。『真夜中の祠』のある場所に行っても、中には入れませんよ。樹君をどうやって保護するんです?」

「出てきたところを保護するしかないだろうな」


 佐野を追っていた刑事達は、今ごろ佐野が立ち寄りそうな所をしらみつぶしに捜しているはずだった。佐野が消えた地点を見張っていてくれと頼んだところで、意味のないことだと切り捨てられて終わりだ。


「中で何事もなければいいんですけどね」


 桜居が心配そうに言う。橘も同じ気持ちだ。


「こう、悩み事を一心に唱えてたら、中に入れてもらえないかな?」

「悩み事って、たとえばどんな?」

「職場の同僚に告白しようかどうか、悩んでるんだけど」

「おまえなぁ……。その手の軽い悩みで『真夜中の祠』の鳥居が現れるわけないだろ?」


 若者ふたりの会話に苦笑しているうちに、タクシーは目的地に到着した。

 

「相変わらずぴったりくっついてやがる」


 ビルとビルの狭い隙間を見て、桜居が忌々しそうに呟く。

 その隣で、橘はを見上げていた。


「橘さん、どうしたんですか?」


 高木に声をかけられても動かない橘を見て、桜居がはっとした。


「もしかして、見えてるんですか?」

「……ああ、そのようだ。灰色の小さめの鳥居がここにある。先日通りがかったときにはなかったのに……」

「今だってそんなのないですよう。えー、いいなぁ。ちなみに、どんな悩み事があったんです?」

「悩み事なんて……。仕事関係以外にはない。あ、いや、子供の名づけに関して悩んでたか……」


 産み月に入る前に、男女三つずつ名前の候補を考えておくようにと妻から言われているのだ。


「橘さんって、けっこう奥さんの尻に敷かれてますよね」

「そんなこと話してる場合じゃないって! 橘さん、樹君を保護してあげてくださいよ」

「あ、ああ、そうだな。樹君の母親、水瀬桐子さんが来たら事情を話してやってくれ。彼女は前に話していた『真夜中の祠』の四人目の関係者だ」

「これはまた……特大のですね」

「そうだな。――じゃあ、行ってくる」


 苦笑する桜居に手を振って、橘は鳥居に向かって歩き出した。


「中でなにがあったか後でおしえてくださいね」

「がんばってー」


 若者ふたりの応援を背中で聞きながら鳥居を一歩くぐると、ふたりの声がぴたっと聞こえなくなった。慌てて振り返ったが、鳥居の外に彼らの姿はなぜか見当たらない。遠い車の音は聞こえているのに不思議なものだ。

 気を取り直してまた中に向き直る。

 そこには、灰色の石が敷き詰められた参道とその正面に小さな祠。

 そして参道の中程に倒れ伏している者がひとり。


「あ、よかった。おじさん助けて!」


 泣きそうな顔で駆け寄ってくるのは、樹だ。

 無事なその姿に心底ほっとした。


「水瀬樹くんだね?」

「うん。僕のこと知ってるの?」

「ああ、よく知ってる。君のお母さん、桐子さんとも知り合いだよ。橘だ」

「橘さん。あ、あのね、あのおじさん、急に倒れちゃったんだ」


 樹ははっとしたように、振り返って倒れ伏している者を指差した。


「やっぱり佐野か……」

「橘さんの知り合い?」

「ああ、そうだ」


 頷くと、樹は警戒するように一歩後ろに下がった。


「どうした?」

「えっと……あのおじさん、僕の首を絞めようとしたんだけど……」

「なんだと。大丈夫か?」


 慌てて近づき両手で樹の頬をつかんで顔を上げさせる。

 白い華奢な首には、指の痕らしき赤い痣がはっきり見て取れた。


「痛みは?」

「ちょっとだけ……。でも大丈夫。一瞬だったから……。それより、びっくりしたよ」

「だろうな。未然に防げなくて悪かった」


 わしわし頭を撫でると、樹は安心したようにほっと小さく息を吐いた。


「橘さんは信用しても大丈夫な人だよね?」

「ああ。おじさんは警察官だ」

「よかった。あのおじさん、あのままにしておけないから困ってたんだ。なんとか動かそうとして引っ張ったんだけど、全然動かなくて……」

「動かない?」


 担ぎ上げることはできなくても、小学六年の男の子なら引きずるぐらいならできるはず。

 まったく動かないとなると、そこには何らかの力が働いているはずだ。


「『真夜中の祠』の神さまの仕業か……」

「多分そうだと思う。……ねえ、橘さんも『真夜中の祠』に祈りにきたんだよね?」

「いや。俺は樹君を助ける為にここにきたんだ。『真夜中の祠』に頼るほど追い込まれてはいないよ」

「じゃあ、あのおじさんを外に連れだしてあげてよ。こんな寒いところに倒れてたら風邪引いちゃう」

「……そうだな」


 自分を殺そうとした男を気遣うとは優しすぎるのではないか。少し心配になるぐらいだ。


「とりあえず一緒に外に出るか。お母さんも待ってるかもしれない」

「え! なんで⁉」

「たぶん君がここにいると、俺が連絡したから」

「えー、橘さん酷い」

「酷くない。真夜中にひとりで出歩いてる君のほうが酷いよ。お母さんに心配かけるもんじゃないぞ」


 橘は倒れ伏している佐野に近づいた。


「急に倒れたって言ったね? 頭が痛そうだったり、どこか苦しそうな様子を見せなかったか?」

「ないよ。急にばったり倒れちゃったんだ」

「そうか」


 それなら場所的にも病気が原因ではないのかもしれない。

 『真夜中の祠』の神さまが、樹を守ろうとして手を下した可能性のほうが高そうだ。

 脳梗塞などの病気ではないのなら動かしても大丈夫だろうと、橘は佐野の身体に手を伸ばす。

 そして担ぎ上げようと腕に触れた途端、

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