10 佐野

(つけられているようですね)


 深夜、地図を片手に街中を歩く佐野は、背後から聞こえてくるかすかな靴音に苦笑を漏らした。

 マンションの近くには普段見かけない車が停まっていたし、ここ数日はいつも誰かの視線を感じていた。

 確実に警察からマークされている。現状、逮捕するにたる証拠がないというところか。下手に尾行をまこうとすれば逆に自分の首を絞めることになるだろう。

 無理にあがいてまで逃れるつもりのない佐野は、尾行を無視して歩道を歩く。


(……ここか)


 ちょうど地図で示された場所に、灰色の鳥居があった。

 時刻は十二時過ぎ、良い頃合だ。

 『真夜中の祠』のことは看護師達とのおしゃべりの中で聞いたことがあった。もしも樹があの都市伝説を信じてここに通っているのならば、やはり真夜中に訪れる必要があるだろうと佐野は考えていたのだ。


(さて、樹君はいますかね)


 こんな時間帯にこんなところで子供に声を掛けたりしたら、もうそれだけで警察に逮捕の口実を与えかねない。

 万が一、警察に拘束されそうになった場合は樹を人質に取ればいいと、ポケットの中にしのばせた折りたたみナイフをコート越しに確かめる。

 そして、子供をこんな真夜中に家の外に出したを警察に呼び出させて、自分の手で始末をつけるのだ。


(今度こそ、をしっかり懲らしめなくては)


 佐野はゆっくり灰色の鳥居をくぐった。

 中は短い参道の突き当たりに小さな祠があるだけで、がらんとしていた。

 そして祠の前には、少年がひとり所在なさげに立っていて、佐野を認めると人懐こい顔でにこっと笑った。


「よかった。呼び出されて来たのに、誰もいないから不安だったんだ。いつもと逆なんだもん」

「君は、樹君だね?」

「そうだよ。おじさん、僕のこと知ってるの?」

「ああ、よく知っているよ」


 そう、から守るために、産まれた時からずっと密かに見守ってきた。

 佐野にとって樹は、なによりも大切な、幼い頃の自分の身代わりだったのだ。


「さっき呼び出されたって言ったね? 誰に呼び出されたんだい?」

「『真夜中の祠』の神さまだよ。曾お祖父ちゃんからこの祠のこと色々聞いたせいか、神さまから説明係に選ばれちゃったみたいなんだ。――おじさんもなにか迷ってることがあるんだよね」

「いいえ、迷いはありません」

「そうなの? おかしいな。ここは迷ったり困ってる人しか入れない場所なんだけど」


 樹は不思議そうに首を傾げている。


「特に入場制限はされていないようでしたが」

「そういう意味じゃないよ。ここの入り口の鳥居はね、神さまに招かれた人にしか見えないんだ」

「見えない?」


 奇妙なことを言う子だ。

 そんなことあるわけがないのにと佐野は思わず振り返ったが、そこに尾行していたはずの刑事の姿はない。

 ここには隠れる場所がないから、多分表で待っているのだろう。


「そんなことより、お母さんは知ってるんですか? 君が真夜中に出歩いていることを」

「お母さんには内緒なんだ。おじさんはお母さんのお兄さんに顔が良く似てるし、もしかして僕の親戚なのかな? できれば、僕がここにいることはお母さんには内緒にして欲しいんだけど……」


 お願い、と樹は両手を合わせた。


「困りましたね。子供が出歩いていい時間帯ではないのですが……。やっぱり、母親が夜に家にいないと子供に悪影響がでるものなのでしょうか」

! 僕がひとりで勝手にやってることなんだ! んだよ」

?」

「うん、そうだよ。僕だって、夜中に出歩いちゃいけないってわかってるんだ。でも神さまに呼ばれると、どうしても行かなきゃいけないって気分になっちゃうんだよ」

「神さま……ですか。そういえばさっきもそんなことを言ってましたね。その『神さま』と名乗る人物に会わせてもらうことはできますか?」

「会うのは無理だと思う。声だけなら、祠に祈れば聞こえるのかも……。僕は会ったことも、声を聞いたことないんだけど」

「声を聞いたこともない? ですが、さっき神さまに呼ばれてるっていいましたよね?」

「うん。どうしても眠れなくて、ここに来なきゃいけないって気分になるんだよ。それでここに来ると、必ず『真夜中の祠』に用がある人と会っちゃうんだ」


 そして『真夜中の祠』に祈る為の作法や、祈ったことでなにが起きるのかをその人に説明しているのだと樹は言う。


(なるほど。確かに悪いのはじゃなかったようですね)


 『真夜中の祠』の神さまの実在を信じている様子から見ても、

どうやら樹自身がおかしくなっていたようだ。

 子供を育てる為に母親が働いている時間帯、ひとり家を抜け出して奇妙な妄想に耽っているのだから。


(この子はにふさわしくない)


 は真面目な働き者で子供思いの良い母親なのに、樹はそんな母親の信頼を裏切って奇妙な妄想に耽り深夜徘徊を繰り返している。


(なんて悪い子だろう。僕だったら、絶対にを困らせたりしないのに……)


 暴力をふるう父親がいない理想的な家庭で、理想的な母親と幸せに暮らす。

 樹を幼い頃の自分の身代わりだと感じていた佐野は、ずっとそんな幸せな夢を見ていた。

 だが、その幸せな夢は樹によって壊されてしまった。

 絶望した佐野は、狂った心で即座に新しい夢を作りだした。


(もういい。お母さんは良いお母さんに替わったのだから、


 そうだ。もう身代わりなんて必要ない。

 そもそもこんな愚かな子供が、あの理想的なお母さんと共に暮らしていたことが間違いだったのだ。


(あれはだ)


 その瞬間、佐野が感じていたのは猛烈な嫉妬だった。


 佐野は知らぬことだが、桐子が見た『真夜中の祠』のふたつ目の夢の中で、佐野が桐子と樹を殺害した理由にも嫉妬が絡んでいた。

 やっと手に入れた優しいお母さんの愛情を、自分から奪ってしまう子供に対する嫉妬。

 そして佐野に与えるべき愛情の全てを、新たに産まれた子供に向けてしまう母親への怒り。

 佐野はいまだに、裏切られ、自ら切り捨てたはずの母親からの愛情を切望していた。


(おまえはもういらない。消えろ)


 薄暗い境内の中、少年の白い首が誘うように浮き上がって見える。

 佐野は大切な母親を身代わりの少年から取り戻すため、ためらわずその細い首に両手を伸ばした。

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