7 桐子
「どうしてプロポーズを受ける気になれなかったんでしょう?」
「たぶん佐野先生の顔が兄に似すぎていたせいかと。どうしても結婚相手として見ることができなかったんです」
「本能的な問題なんでしょうかね」
桐子が苦笑して打ち明けると、橘は真剣に相づちをうってくれた。
「それにやはり急すぎました。婚約者の死を自分の中で昇華しきれていないのに、打算でプロポーズを受けることはできませんでした」
だが、それでも佐野は諦めなかった。
体調のすぐれない桐子のサポートを積極的にこなしながら、君を守れるのは自分だけだと言いつのってくる。
桐子はその情熱に徐々にほだされていった。
「いつの間にか結婚してもいいなかと思えるようになってました。でも、どうしても最後のところで決断ができなくて……。そんな時に偶然『真夜中の祠』に迷いこんでしまったんです」
案内人のぶっきらぼうな少女から、さっさと神さまに祈れと急かされた桐子は、訳のわからないまま祠に手を合わせた。
そして、ふたつの夢を見たのだ。
「ひとつ目の夢はプロポーズを断った夢でした」
その夢の中で桐子は、プロポーズを断った気まずさから病院を辞めて引っ越していた。心機一転これからはシングルマザーとして頑張ろうと気力を奮い立たせて過ごす日々。だが、やがて桐子はストーカーに悩まされるようになる。
「ストーカーですか……。もしかして、佐野医師が?」
「そうです。私があからさまに逃げたことが気に触ったようで、執拗につきまとわれました」
郵便受けを荒らされ、捨てた筈のゴミ袋もなくなっていた。室内に盗聴器が仕掛けられていたこともある。
精神的に追い詰められた桐子は流産してしまった。
「酷い夢ですね」
「本当に……。ふたつ目は、プロポーズを受けた夢でした」
最初のうちは幸せだった。
夫となった佐野は優しく、妊娠中の桐子を労ってくれた。
だが子供が産まれて成長してくると、その態度は一変した。
桐子が子供を可愛がる度に嫉妬して、子供に辛くあたるようになってきたのだ。
そして子供を守ろうとする桐子も暴力をふるわれ、最後には子供共々、ガス漏れ事故を装って殺害されてしまう。
「……それは」
「夢です。『真夜中の祠』で見た夢……。私は夢から覚めた後、案内人の少女からろくな説明をしてもらえないまま、『真夜中の祠』から追い出されました」
それでも、このふたつの夢が、ただの夢ではないことだけはわかっていた。
だから夢で見たことが真実だったのか色々と調べてみたのだ。
「あの古い写真はその時に手に入れたものです」
「夢の中で、佐野医師の母親と自分が似ていることを知ったのですね?」
「はい。夢の中で、佐野先生の親戚に偶然会った時に酷く驚かれて……」
『よく母親と同じ顔の女と結婚する気になったな。昔の嫌なことを思い出したりしないのか?』
その親戚はそう言っていた。
夢の中で桐子は、どういう意味なのかと佐野に聞いたが、はぐらかされて答えてもらえなかった。
だから目覚めた後、現実で調べてみたのだ。
「佐野先生は幼少時、両親から虐待されていたんです。保護された時は七歳、でも五歳ぐらいにしか見えない状態だったとか……」
「その虐待した母親とあなたの顔が良く似ていた」
「どう考えても、普通の精神状態じゃないですよね? 私、もうすっかり佐野先生が怖くなってしまって……」
もうプロポーズを受けることは絶対にできなかった。
だからといってプロポーズを断ればストーカーとなった佐野につきまとわれることになる。
悩んだ末、桐子は自然にフェイドアウトする道を選んだ。
「婚約者を忘れられないから、プロポーズを受けることは無理だと断りました。同時に、とても感謝していると、これからもなにかあったら助けてもらえると嬉しいとも伝えました」
そして、以前からの夢だったと嘘をついて病棟勤務を希望して、職場が佐野と被らないようにした。
あのふたつの夢を見てからというもの、桐子にとって佐野は恐怖そのものだった。逃げ出したい気持ちを抑えて、病院ですれ違う度に微笑んで会釈するのさえ苦痛だった。
何年も掛けて、佐野と少しずつ少しずつ距離を開け、最近ではやっと個人的に話をする機会すらなくなってきたところだ。
「話を聞いた限りでは、そう簡単にあなたへの執着心を無くすとは思えないのですが」
「ですよね。私もそう思ってました」
だが、違った。
ある時を境に、佐野は驚く程桐子への興味を失っていった。
「なにがあったんですか?」
「虐待されて衰弱した子供が運び込まれてきたんです。覚えていませんか? ホステスの母親がふたりの子供を部屋に置き去りにしたまま男と旅行に行って、子供が死にかけた事件を……」
「ああ、それなら覚えてます。あの子達はここの病院に保護されたんでしたか」
「はい。佐野先生はそれは献身的にこども達の面倒を見てあげていたようです。……その時は、自分と同じような子供を救うことが癒しになったのかもしれないと思いました」
桐子は、良かった、これでもう大丈夫だと胸を撫で下ろした。
それでも警戒は怠らず、佐野のサポートをしている看護師達から、それとなく彼の行動を聞いていた。
それからしばらくして、ホステスをしていた母親が急性アルコール中毒で運び込まれてきて、手当もむなしく亡くなった。
「あの母親、死んでたんですか」
「はい。でも変だと思いませんか? ホステスですよ? お酒を飲むのが仕事なんです。私には急性アルコール中毒になるような飲み方をするとは思えなかった」
おかしいと思ったのは桐子だけで、誰もがだらしないホステスだったからと納得していたようだった。子供を虐待していたこともあって、病院関係者からの彼女への好感度がマイナスだったのも悪かったのかもしれない。
「その後も何度かそういうことがあったんです」
虐待を疑われていた子供の母親が事故にあったり、行方不明になったり……。
因果応報だとか、虐待をするような女だから子供を捨てて男と逃げたのだろうと看護師達は言う。
だが、『真夜中の祠』の夢の中で、子供共々佐野に殺されたことがある桐子には、どうしてもそういう風には思えなかった。
「偶然ではないと思うんです。虐待児の母親が不幸に会う頻度が高すぎます。だから……その……」
「佐野医師の仕業だと?」
橘がはっきり聞いてくれて、桐子はホッとして頷いた。
「佐野先生が私への興味を失ったのは、自分と同じような子供を救うことに夢中になっているからじゃない。母親と同じ顔をした私以外にも、復讐する必要がある相手がいることに気づいたからなんじゃないかと思うんです」
「では、あなたは井口和恵さんもそうだと?」
「……ずっと疑っていました」
だが、『真夜中の祠』で見た夢の中で自分が佐野に殺されたから、他の女達も彼に殺されたのではないかと疑っていることは誰にも言えなかった。
そんなことを言ったら、頭がおかしいと思われるに違いないからだ。
「だからあの時、刑事さんに『真夜中の祠』での話をしてみたんです」
「それで反応を伺ってたと?」
「はい」
それでもその場で打ち明けることはどうしてもできなかった。
だが、このまま黙っていたら被害者が増えることになるかもしれない。それに和恵の無念を思うとやはり黙ってはいられない。
どうしたらいいものかと悶々とした日々を送っていたところに、また橘が訪ねてきてくれた。
「まさかその理由が、息子の顔の件だとは思いませんでしたけど……。それにしても、よく私の息子が佐野先生とそっくりなことに気づきましたね。息子を病院関係者には会わせないよう、ずっと気を使ってきたんですけど」
誰から聞いたんですか? と聞くと、橘はひどく困った顔をしていた。
☆ ☆ ☆
読んでいただきありがとうございます。
明けましておめでとうございます。
第1章の最終話、ここでやっと折り返し地点。
最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
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