6 桐子

「ああ、そのことですか……」


 橘の質問に、桐子は思わず天を仰いだ。

 刑事がまた訪ねて来たからカフェに行くようにと婦長に言われた時は、ちょうど良かったとほっとした。だが、まさかその用事が息子の父親に関することとは……。

 きっといつか誰かが質問してくるだろうと予想していた。

 なるべくそんな事態は避けたいと職場の関係者には子供を会わせないようにしてきたが、完全に隠しきることは不可能だともわかっていた。

 だから、その時が来た時の為の対処もあらかじめ考えてある。


「お話をする前に、この写真を見てください」


 ポケットからスマホを出して、もう十年以上データフォルダに保存し続けてきた写真を刑事達に見せた。


「四十年以上前の卒業アルバムを撮影したものです。これ以外に捜しようがなくて……。見て欲しいのは、この人の顔です」


 ぐっと写真の一部分を拡大して見せると、橘がはっとしたのがわかった。


「あなたに似てますね。四十年前というと、お母様ですか?」

「そうです。でも私のではありません。この女性は佐野先生の母親なんです。あの子が佐野先生に似ているのは、うちと佐野先生の母方の家系が似た顔立ちをしているせいだと思うんです。事実、私の兄は佐野先生にけっこう似ています」

「では、あの子は?」

「間違いなく亡くなった婚約者との子供です」

「そうでしたか……。下世話なことを聞いてしまってすみませんでした」


 橘が深々と頭を下げる。


「いえ、気にしないでください。似ているのは事実なので、いつか誰かに聞かれるだろうと覚悟していました」


 むしろ最近では誰かに聞いて欲しいとすら思うようになっていた。最近の桐子の悩みを相談するには、そこを説明する必要もあるからだ。


「しかし、本当に良く似ていらっしゃる」

「……マザコン」


 感心する橘の声に被さるように、ぼそっと若い刑事が呟き、思わず桐子は笑ってしまった。


「私にプロポーズした相手が佐野先生だってことも、もう知ってるんですね」

「すみません」

「いえ、むしろその方が話が早くて助かります」

「話?」

「はい。刑事さんに、少しお話したいことがあったんです。ただ……信じていただけるかどうか……」


 先日桐子が『真夜中の祠』の話をしたとき、橘は興味深そうに身を入れて聞いてくれた。だが、もうひとりの若い刑事は、明らかに信じていない態度で実に退屈そうだった。

 桐子がこれからする話は、『真夜中の祠』の存在を疑う人にとっては受け入れがたいものだろう。


「岩谷、悪いが少し離れていてくれないか?」

「は?」

「水瀬さんはかなりデリケートな話をするつもりのようだ。――そうですね?」

「はい。できれば、年かさの橘さんだけにお話したいのですが……」


 桐子は橘の助け船に乗った。

 岩谷という若い刑事は、「必要なことは、後でかいつまんで説明するから」と橘に言われて、しぶしぶ話が聞こえない所に移動して、なにやらスマホを操作しはじめた。


「気を使わせてしまってすみません」

「いえ……。『真夜中の祠』に係わる話ですか?」

「察しが良くて助かります」

「いえいえ。『真夜中の祠』での話を直接打ち明けられるのはこれで三度目なので、なんとなくわかりました」

「三度目ですか……。私、自分以外であそこに入れた人間には会ったことないんです。いるところにはいるんですね」


 桐子が感心すると、橘はちょっと困った顔で首を捻った。


「私にはじめて『真夜中の祠』の話をしてくれたのは妻なんですよ。黙っているだけで、案外あなたの近くにもいるかもしれません」

「奥さまが……」

「はい。『真夜中の祠』で見た夢の中で私と結婚していたと言われて、逆プロポーズされました」

「素敵ですね」


 羨ましい、という言葉が思わず口から零れた。


(私とは大違い)


 桐子が見た『真夜中の祠』のふたつの夢はどちらも酷いものだった。

 ふたつの悪夢から逃れる為に必死であがいて、やっと息子とふたり平和な暮らしを手に入れることができたのだ。

 正直言って、もうあの悪夢に登場した人とは関わり合いになりたくない。

 それでも、一方的なものだったのかもしれないが、桐子は殺された和恵に親しみを感じていた。

 あの悪夢が彼女の事件に関わりがあるかもしれないのなら、やはり黙ってはいられない。


「どこからお話ししたらいいのか……。そう……まず『真夜中の祠』に行くことになった原因からお話します」


 桐子と婚約者の出会いはこの病院だった。

 桐子は看護師、婚約者は医師だった。お互いにまだ一年目の新米で、忙しい職場の不馴れな環境に戸惑いながらも慌ただしい日々を過ごし、互いに励まし合っているうちに自然と心が通い合うようになっていた。

 プロポーズされたのは、出会って一年も経たない頃。婚約者は、結婚したとしても桐子が仕事を辞めるつもりはないことを理解してくれていた。若いうちに結婚したほうが自然妊娠できる可能性が高いし、体力的にも楽だろうとスピード婚を望んでくれたのだ。

 もちろん、桐子は喜んでOKした。

 だが、ふたりの結婚を両家に伝えたことろで待ったがかかった。

 桐子のほうは普通のサラリーマン家庭だったからなんの問題もなかったが、婚約者の実家は代々大きな病院を経営していて上流意識が強い人達だった。婚約者には、もっと良い家の娘との結婚を望んでいたらしい。

 結婚を反対された婚約者は、兄が家を継ぐことが決まっているから自分は家を出ると言ってくれた。その話し合いの為に実家に帰省し、その帰り道で事故にあった。高速での貰い事故だった。


「それからはもう色々と大変でした」


 事故の一報を聞いた桐子は貧血を起こして倒れ、自覚していなかった妊娠に気づかされた。

 そして婚約者の死によってもたらされた多額の慰謝料の問題も出てきた。もちろん婚約者である桐子に相続権はない。だが、お腹の中の子供にはその権利が発生する。

 だがまだ産まれてもいないし、婚約者を失ったばかりで、桐子にはそんなことを考える余裕はなかった。それなのに婚約者の実家からは、お腹の中の子を婚約者の子供だとは認めないと威嚇するような電話がかかってくる。

 そんな心痛と妊娠初期の体調不良とで桐子が一時的に入院することになった時に、見舞いに来た佐野からプロポーズされた。


「元々佐野先生は婚約者の友人で、たまに三人で食事する仲でした」


 婚約者は佐野のことを親友だと言っていた。それに加え、佐野がどこか実の兄に似た顔をしていたこともあって、桐子は佐野に親近感を持っていた。

 だからプロポーズされた時も、驚きはあったが嫌悪感はなかった。


『和人を失ってすぐ次という気になれないのはわかってる。だがひとりで苦しむ君をほうっておけない。今すぐどうにかなる気はないんだ。和人の代わりに、君とお腹の子供を守りたいんだ』


 佐野は、婚約者の実家から身を守る盾として使ってくれるだけでもいいとまで言ってくれた。

 正直心細かったから、その言葉はとても有り難かった。

 それでも、どうしてもプロポーズに頷く気にはなれなかった。





   ☆ ☆ ☆



ここまで読んでいただきありがとうございます。


これが年内最後の更新です。

皆さま、良いお年を!

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