5 橘

「この人に似てる?」


 スマホの画面に映っているのは、小児科医の佐野だ。


「その人が、あの子供の父親って可能性は?」

「佐野医師は独身だと聞いてるぞ。それに妻から聞いた話だと、あの少年は看護師の母親と二人暮らしだ」

「母親が看護師なら、なおさらこの人が父親の可能性があるんじゃないですか?」


 病院内恋愛ってありがちじゃないですかと、桜居が言う。


「で、結婚せずにシングルマザーか……」


 人の口に戸は立てられない。子供まで産まれたとなると、病院関係者に聞けばなにかわかるかもしれない。


「この人が係わってるのは、どんな事件なんですか?」

「公園で主婦が絞殺体で見つかった事件があっただろう? あれだ」

「ああ、須藤さんの元奥さんの事件の少し前にあったあれか。あれもまだ犯人わかってないんですね」

「残念ながら」


 被害者の爪から革の成分が発見されたが、そこから犯人を特定することは困難だった。そもそも、その革製品がなんなのかすら判断できずにいる。人海戦術で目撃者を捜したが手がかりは見つからないまま。被害者の周囲にも犯人らしき者は見当たらない。やはり通り魔的な犯行だろうということで、近場で暮らす犯罪歴のある者を洗い出したり、軽犯罪を犯したばかりの者達のリストやネットの書き込みを洗い出したりしているところだ。


「あっちもこっちも絞殺なら、同じ犯人だったりして」


 高木が軽い調子で言うのに、「それはないだろう」と橘は苦笑した。

 本人は冗談のつもりなのだろうが、実際に警察内でも似たようなことを言う者はいた。だが須藤の元妻が、新しい金蔓を見つけたと半同棲していた男に言っていたこともあって、こちらは被害者に脅迫されていた者の犯行だろうということで捜査をすすめられていると聞いている。そもそも、この被害者はかなりの性悪であちこちで恨みを買っていた。犯人候補が多すぎて特定しきれずに困っているようだ。

 どちらの捜査もほとんどすすんでいない。

 なんの進展もないまま捜査規模が縮小されていく無力感。そういうことに馴れていく自分自身に、橘は少しうんざりしていた。




(少しぐらいならいいだろう)


 成果の出ない捜査を中断した橘は、ペアを組んでいる若い刑事、岩谷にちょっと気になることがあるからと適当なことを言って病院に来ていた。

 佐野のルートを辿れば、あの少年の居場所を突き止めることができるような気がしたからだ。

 なぜか不思議とという使命感のようなものを感じていた。

 橘はそんな自分の気持ちの動きを、空振りばかりの毎日に疲れているせいで、たまには達成感のようなものを味わってみたくなったのかもしれないと考えていた。


(麻美の喜ぶ顔も見たいしな)


 妻は今もずっと『真夜中の祠』で出会ったという少年に感謝し続けている。会わせてあげることができたら、きっと大喜びするだろう。

 妻の喜ぶ顔を燃料にして、何人かの病院関係者に聞き込みをした結果、比較的高齢のおしゃべりな掃除婦が「私が言ったってことは誰にも言わないでくださいね」と、聞き込みの際によく聞く前置きの後で口を開いた。


「佐野先生は、そういう話がないことで有名なんですよ。ほら、綺麗な顔をしてらっしゃるから、ゲイじゃないかって疑ってる人もいるぐらいで……。でもね、十年以上前に一度だけナースと噂になったことがあったんですよ。婚約者を亡くしたばかりの子でね。それで同情したのか、けっこう熱心にアプローチしてたみたいでしたよ」

「それでどうなったんですか?」

「結局、彼女の方が病棟勤務を希望して移動しちゃったんですよ。職場が離れたせいか噂も立ち消えになりましたよ」


 聞くまでもなく答えがわかるような気がしたが、「その看護師の名前を伺えますか?」と聞いてみる。


「水瀬さんですよ。外科病棟のナースです。亡くなった婚約者との間に子供がいたようでシングルマザーなんですよ」


 橘は、知ってますとは言わず、「ご協力ありがとうございました」と、おしゃべりな掃除婦に頭を下げた。



「病院内の人間関係を調べることになんの意味が?」

「なんとなく引っかかるんだ。ここは被害者の数少ない立ち寄り先だ。しかも水瀬桐子は被害者が心を許していた数少ない知人のひとり。この線を辿ると、なにかヒントが見つかるかも知れない」


 岩谷に聞かれて、橘は適当に答えてみた。

 少々脳筋のきらいがある岩谷は、「刑事の勘ですか……」と勝手に納得している。素直でこちらとしては大変助かるが、少し彼の将来が心配にもなる。


 その後も色々聞き込みをしてみたが、水瀬以外に佐野と噂になった女性はいなかった。

 水瀬の子供の父親は亡くなった婚約者だ。佐野とそっくりだというあの少年の可能性は低いが、とりあえず顔を確認することにした。

 私的な調査だけに、さすがに水瀬本人に子供の顔を見せてくれとは言い辛い。仕方なく聞き込みで知った水瀬の子供の通う小学校に向かうことにした。

 その際、下校途中の楽しげな小学生の集団の中に見たことのある顔の子供を見つけた。慌てて岩倉に車をUターンさせて、もう一度その子供の顔を確認する。


「今の子……佐野医師に良く似ていましたね」

「おまえもそう思うか」


 間違いない。あの少年が『真夜中の祠』の案内人だ。

 妻に聞いた通り色白で綺麗な顔をした子だった。だが妻が会った時点より成長したせいか、女の子に見えるような可愛らしさは消えてしまったようだ。

 確かに佐野と似ているが、眉の辺りにきりっとした意志の強そうな雰囲気が加わっている。このまますんなり成長したら、佐野よりもずっと男らしい顔立ちのイケメンになりそうだ。

 その後、橘は小学校で子供の顔写真の載った文集を見せてもらった。そして、その中からあの少年の顔写真を見つけ出す。

 少年の名前は、水瀬いつき。水瀬桐子の息子だった。


(さて、これからどうするか)


 一番いいのは母親である桐子に隠れて、妻をあの子に会わせてあげることだ。

 そもそも、妻とあの子が知り合った理由を桐子には話せない。

 お宅の息子さん真夜中にひとりで出歩いていますよと桐子に知らせたりしたら、あの子の迷惑になる。妻の恩人に迷惑はかけられないだろう。

 考え込んでいると、隣の運転席から岩谷に話しかけられた。


「あの子、やっぱり佐野医師の子なんでしょうね。水瀬桐子に話を聞きに行きますか?」


(……こいつもいたんだった)


 一応捜査の一環で動いていることになっているから、これで終わりにはできない。橘は今さらながら、岩谷をつれたまま私的な捜査をしてしまったことを後悔した。水瀬桐子が隠していたことを無神経に暴いてしまったことも……。

 とりあえずこの件は保留にして他の捜査に取りかかり、家に帰ってからどうすべきか妻に相談してみた。

 捜査にかこつけて私的な調査をしたことを白状したら、他人のプライバシーに仕事でも無いのに迂闊に踏み込んではいけないと妻にひとしきり怒られた。その通りなので反論できない。


「でも、私のあの子に会いたいっていう気持ちを気にかけてくれていたことは嬉しいわ。それでね、気まずいだろうけど、できれば母親には本当のことを教えてあげて欲しいの。自分の知らないところで子供が夜中に出歩いてるなんて、母親からすれば心配だもの。それに夜間徘徊は非行の第一歩よ」

「ああ、そういう心配もあるのか……」

「つわりが治まったらでいいから、一度あの子に会ってみたい。名前はなんていうの?」

いつき、水瀬樹だ」

「水瀬樹君か……。いい名前ね」


 妻が嬉しそうに微笑む。

 その顔を見れただけで、とりあえず諸々報われたような気がした。

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