4 桜居孝志

「マジですか。いいなぁ。俺も招かれてみたい」


 『真夜中の祠』に招かれたことのある四人目の人物に会ったという橘に、高木が羨ましそうに言う。


「亨くんには無理だろう」

「なんでですか。俺にだって悩みのひとつやふたつありますよ」

「あったとしても、すぐ人に相談できるだろう? そういう人間は『真夜中の祠』に招かれるほど追い詰められることはないんじゃないかな」


 橘のそんな見解に、桜居もカウンターの中で頷いた。

 高校時代からの友人である高木は、社交的で明るい男だ。

 もちろんどんな人間にだって多かれ少なかれ悩みはあるだろう。だが溜め込む性質じゃない分、高木の場合は『真夜中の祠』を必要とするほどに悩みが熟成していかないような気がする。

 まあ、桜居自身の時のように、目が醒めたら殺人現場というにっちもさっちもいかない状況に追い込まれることがあったら別だが。


(四人目ね……。これは本当に偶然か?)


 桜居はどちらかというと現実的で、理詰めで考えるほうだ。

 『真夜中の祠』だって自分が体験したから実在すると思ってはいるが、人伝で聞いただけだったらただの与太話だと決めつけて絶対に信じなかっただろう。

 『真夜中の祠』の中に招かれる者はどうやら神さま自身が選んでいるらしい。

 ならば、『真夜中の祠』に招かれた者と遭遇する機会の多い橘もまた、神さまに選ばれているのではないか?


(なんのために?)


 考えたところで、神さまの考えることが分かるはずがない。

 早々に諦めた桜居は、答えがわかるだろう問いを橘に投げかけてみた。


「四人目は、なにを悩んでたんですか?」

「他人のプライベートだぞ。……だがまあ、君たちと彼女が会うことなんてないだろうからいいか。――簡単に言うと、結婚するかどうかって悩みだな」


 婚約者に先立たれた彼女には、すでにお腹の中に彼の子供がいた。一度はシングルマザーになる覚悟を決めたものの、友人だと思っていた男性から子供ごと嫁に来てくれとプロポーズされたのだそうだ。


「子供の将来を思えば、しっかりした職業の人と結婚したほうがいいのかもしれないと悩んでしまったんだな」

「えー、そこは愛を貫くべきですよ」

「バカ言え。子供をひとり育て上げるのにいくらかかると思ってるんだ。共働きなら、子供にかけられる教育費用も増える。ここは再婚一択だ」


 純愛を望む高木に、桜居は現実を突き付ける。

 正反対の意見をいう友達同士に苦笑しながら、橘は彼女の選択を口にした。


「『真夜中の祠』に祈った結果、彼女はシングルマザーになるほうを選択したそうだ。プロポーズしてきた相手は、どうも束縛が厳しかったようでね」

「ああ、そりゃ神さまグッジョブですね」


 それを聞いた桜居は、思わず親指を立ててしまった。

 男女関係なく、結婚した途端豹変する人間というものはけっこういるものだ。『真夜中の祠』の神さまのお陰で地雷を避けられたのならよかった。


「その女性もあの子供に会ったって言ってましたか?」

「いや。十年以上前の話らしいから、あの少年はまだ産まれてなかったんじゃないか? 彼女を案内したのは女子高生だったそうだ」

「うわっ、女子高生良いなぁ。ますます『真夜中の祠』に入りたくなってきた」

「女子高生だったのは十年以上前。今じゃ俺らと同年代か年上だ」

「そっかー。残念」


 馬鹿なことをいう高木をたしなめながら、店主であるおやっさんが作り上げた料理を橘の前に並べた。

 鯖の味噌煮と小松菜の煮浸し、蛸とらっきょうの酢漬けにシジミの味噌汁、そして白米。

 桜居が働く居酒屋は料理が美味しいことに定評があり、おまかせ定食を目当てに夕食を食べがてら飲みに来る者も多かった。


「おお、美味そうだ」

「味が良く染みてますよ。白米お代わり自由ですから」

「ありがとう」


 テーブル席の客に呼ばれて注文を取り、慌ただしく働いてまたカウンターに戻ると、橘はもう食事を終えていた。


「なにか飲みますか?」

「酒はもういいかな。お茶をくれないか」

「あ、俺も」


 週の半ばだけに、どうやら二人とも深酒をする気はないらしい。桜居は玄米茶を入れて二人に出した。


「ここで食うより、家に帰って奥さんの手料理を食ったほうがよかったんじゃないですか?」

「いや、たぶんもう寝てるから」

「ずいぶんと早いですね」

「妊娠中でね。いつもより眠気が強いんだそうだ。つわりの一種らしい。無理して起きてこないよう、遅くなる日は外で夕飯を食って帰ることにしてるんだ」


 橘は少し照れ臭そうに微笑む。


「おめでとうございます」

「うん。ありがとう」

「お子さん、一人目ですか?」

「いや、二人目だよ。上に百花ももかっていう女の子がいる」


 写真見るかい? と子煩悩な父親の顔になった橘が、高木にスマホを見せている。

 桜居はその子が再婚した奥さんの連れ子だと知っていたが、あえて言うようなことじゃないと黙っている。


「うわ、可愛い。お姫さまみたいですね」

「だろう? 親戚の結婚式でベールガールをやったんだ」

「俺にも見せてくださいよ」


 カウンターから身を乗り出すと、「ほら」とスマホごと渡された。

 有り難く受け取って画面を覗き込むと、白いふわふわのドレスを着て白い花飾りを頭につけた愛らしい女の子の笑顔が見えた。


(ちゃんと愛されてる子供の顔だ)


 見ているとこっちまで幸せになる笑顔にほっこりする。


「こういうの見ると結婚したくなるな」

「俺もー」


 スマホを返そうとした時、つい画面に指が触れて、次の写真に変わってしまった。


「っと、すみません。……あれ?」


 そのまま橘にスマホを返そうとして、自然と目に入った写真に高木は思わずもう一度スマホの画面に見入ってしまった。


「橘さん、この人、誰ですか?」


 橘にスマホを返しながら聞いてみる。


「ん? ああ、いま手かげてる事件で話を聞きに行った人だ。後で必要になることもあるから、聞き込みをした相手はこっそり隠し撮りすることがあるんだ」


(これは偶然なのか?)


 彼の顔を知る自分が、スマホの操作に失敗して、この写真を目にしてしまっただけか?


(いや、ありえない)


 四人目と会ったと話したこのタイミングで、桜居がこの写真を見た。いや、彼の顔を知る自分が、橘と知り合ったことにすら、なんらかの意味があるはずだ。

 少なくとも、この偶然を仕組んだにとっては……。


「この人がどうかしたのか?」


 ほんの一瞬、桜居はこの偶然に逆らいたい欲求にかられた。

 訳のわからない力で人生を動かされたくないと……。

 だがこの訳のわからない力が、かつて桜居を救ってくれたのも事実だ。


(しかたないか……)


 このが、橘の人生にとってプラスになればいいと願いながら、桜居は口を開いた。


「この人、俺が『真夜中の祠』で会った子供にそっくりです」

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