「昨夜の話を聞いた限りでは、須藤さんは元奥さんの顔を見ると手とか震えちゃうんだから立派なPTSDですよね。そんな状態でどうやって元奥さんを殺すつもりだったんです?」


 高木に面と向かって聞かれて、須藤はぐっと返事に詰まった。

 それに関しては本気で悩んでいたのだ。

 毒を盛りたくても元妻の顔を見ただけで挙動不審になるから確実に怪しまれるだろうし、車でひき殺すことも考えたが失敗して殺し損なったら厄介だ。直接刺し殺せれば一番いいのだろうが、手が震えてうまく刺せないような気もしていた。

 相談相手ができて少し冷静になった今にして思うと、いざとなったらネット上の裏サイトとやらで殺しを依頼してみようかと荒唐無稽なことを考えていた自分が恥ずかしすぎて自然と顔が熱くなってくる。


「そこはもう聞かないでくれ」


 元妻の殺害計画がすでに自分の中で黒歴史化しかかっている事に気づいて、須藤は苦笑するしかなかった。



 その後、元妻に関することや以前住んでいたマンションの場所など、細かな情報をふたりと共有した。

 居酒屋でバイトしている桜居は、日中に暇な時間があるからと調査を請け負ってくれる。


「娘さんの通っていた乳児院と幼稚園、それと娘さんの虐待を指摘した病院も教えといてください。それから、須藤さんには決まった弁護士はいますか?」

「いや。いない」

「それなら弁護士に伝手があるので、離婚関係に強い弁護士を紹介してもらってきます」


 実際に調査をはじめるのは弁護士に依頼して戦う方針を決めてからのほうがいいだろうと桜居が言う。

 須藤は有り難くその助言を聞き入れた。



 月曜日になると、須藤は半休を取って午後から娘の小学校に向かった。

 親権を求めて裁判を起こすつもりでいることを娘に知らせた上で、娘の意見を聞こうと思ったのだ。


(嫌がられなければいいが……)


 今のところ、娘の面倒を見てくれている元妻側の祖父母と娘との関係は良好のようだ。

 男親に引き取られることを娘自身が望んでいなければ、裁判を起こしたとしても親権を得るのは難しくなるかもしれない。だからといって、『真夜中の祠』で見せられた夢の中での不幸な出来事を娘自身に告げるわけにはいかない。なかなか難しいところだ。


(会うのは三年ぶりか……)


 離婚した後、二番目の夢と同じように元妻が養育費を私物化していたことが判明して、実際に娘の面倒を見てくれている娘の祖父母にも養育費を支払うことに決めた。その時、元妻には内緒で娘に会わせてもらったのだ。

 あの時はまだ離婚してからそれほど経ってはいなかったから、須藤と会えた娘は大喜びしてくれたものだ。だが、今回はどうなることか。

 不安な気持ちで車を走らせ、娘が登下校で使うであろう道路に停車する。下校中の小学生をじろじろ眺めていては不審者扱いされそうなので、スマホを見るふりをしながら歩道を歩いて行くこども達の中に娘がいないか、それとなく確認する。

 どれぐらい経ったか。ふと気づくと、オレンジ色のランドセルを揺らしながら、こっちに向かって笑顔で走ってくる女の子がいた。


「結愛!」

「やっぱりパパだ! やっと会いに来てくれた!」


 慌てて車を降りると、駆け寄ってきた娘がそのままの勢いで無邪気に腕の中へと飛び込んでくる。

 その重さに、最後に会ったときより大きくなったと実感した。


「ずっと待ってたんだよ」

「ごめん。ごめんな。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんに会わないでくれって言われてたんだ」

「そうなんだ……。お祖母ちゃん達、ママを凄く怖がってるもんね」


(そうか。この子はもうわかってるんだな)


 小学六年生で、しかも男より早熟だと言われる女の子だ。娘は須藤が思うよりずっと自分の状況を理解しているようだった。


「今日は内緒で会いにきたんだ。少しいいかな?」

「うん」


 須藤は娘を車に乗せると、近くのファミレスに行った。なるべく人目につかない席に座り、娘の為にパンケーキセットを注文してから本題に入る。


「ママと裁判で戦って、パパが結愛の親権を持ちたいと思ってるんだ。結愛はそれでもいいか? もしもお祖父ちゃんとお祖母ちゃんと離れるのが嫌だったら……」

「嫌じゃない!」


 娘は最後まで言わせずにはっきり言った。


「お祖父ちゃん達が嫌いなわけじゃないけど、パパと一緒のほうがいい。……それに、お祖父ちゃん達ね。パパのお金をママに渡してるんだよ」

「俺の金って……結愛の養育費のことか?」

「うん、そう」


 娘の養育費を奪っただけでは足りないのだろう。元妻は親にも金を無心していたのだ。

 すでに年金暮らしで貯蓄も乏しい彼らは、須藤が二重に支払っている養育費をこれ幸いと横流ししていたらしい。


「じゃあ、結愛は充分に面倒を見てもらえてないのか? ご飯はちゃんと食べてるか」

「ちゃんと食べてるよ」


 ただ、かなりつましい生活を強いられてはいるようだ。


「私の親権がパパにいけば、ママにお金を盗られずにすむんでしょ? そのほうがいいよ。私、ずっとおかしいって思ってたの。お祖父ちゃん達に言っても、ママに逆らっちゃ駄目だって言うばかりで全然聞いてくれないし」

「……そうか」


 そういうことなら、なんの心配もなく親権を取りに行ける。娘の同意が得られて須藤は安堵した。


「ねえ、パパ。いつから一緒に暮らせるようになるの?」

「まだはっきりわからないんだ。……でも、なるべく早く引き取りたいとは思ってる」

「絶対だよ。お祖母ちゃんのお手伝いしてるから、私も少しお料理できるよ」

「そうか。それは楽しみだな」


 新しい生活に思いを馳せる娘に、須藤は目を細めた。


「結愛はスマホは持ってるか?」

「うん、持ってる」

「じゃあ、パパの番号を教えておくから。なにか困ったことがあったら電話してくれ。それから防犯ベルも渡しておく」

「わあ、可愛い」


 ファンシー系のキャラクターの絵が描いてある防犯ベルを渡すと、娘は大喜びしてくれた。


「どこに行くにも持ち歩いてくれ。……最近、ママと会ったか?」

「会ってない。二年前のお正月に会ったっきり」

「そうか。……もしもママが会いに来て誘われても、絶対にひとりでついていっちゃ駄目だぞ」

「……でも、ママに逆らうの怖いよ」


 少し怯えた娘にそう言われて、須藤も「わかるよ」と思わず頷いてしまった。


「それでも、頼むからついていかないでくれ。無理矢理連れていかれそうになったらパパに連絡するんだ。すぐにかけつけるから」

「パパが助けに来てくれるの?」

「ああ。……今度こそ絶対に助ける」


 まだ一緒に暮らしていた頃、須藤は元妻が娘に虐待を加えていたことに気づけずにいた。

 あの時のような後悔はもうしたくない。


「今度こそ、パパは結愛のために戦うから」


 殺人という短絡的な手段を取らず、父親としての立場で娘を守る。

 娘の心を、その未来を、本当の意味で明るいものにするために……。

 嬉しそうに笑ってくれる娘の笑顔に、須藤はその決意を新たにした。

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