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「総務の岡さんが言ってたんです」
『最近の須藤さん、良くない顔をしてるよ。ああいう顔をした社員は何人か見たことがある。早めになんとかしないとまずいことになるよ』
岡は古株の女性社員で、須藤も入社したときからずっと世話になっていた。高木は彼女に背中を押されて、須藤がなにを考えているのか探ろうとしていたのだと言う。
「俺の部署移動って、春でも間に合うのに須藤さんが課長権限で急ぎだってごり押ししたんですよね? 自分がいなくなった後の穴埋めのつもりだったんですか」
「……そうだ。世話になった会社になるべく迷惑掛けたくなかったからな」
「やめましょうよ。人殺しなんて……」
高木が悲しそうに言うのを見て、須藤は昨夜本当に全て話してしまったんだなと迂闊に酔っ払った自分を悔やんだ。
「それ以外に、娘を助ける方法がないんだ」
娘が殺人を犯す前に、いや娘が中学生になる前に元妻をこの手で殺す。
短絡的だが、須藤にはもうそれしか思いつかなかった。
だから、いつその時が来てもいいように、会社では自分の代わりになる人材を育ててきたし、この家にある家財も必要最低限に抑えてある。
時間的にももう猶予はないから、そろそろ元妻の行動パターンを調べるつもりでいた。
「そんなことをしたら、娘さんは一生殺人犯の娘として、俯いて生きていかなきゃならなくなりますよ」
高木の友人、桜居と名乗った青年も、昨夜カウンターの内側から須藤の話を聞いていたのだそうだ。乗りかかった船だと、高木の説得の後押しをすべく一緒にここまで来てくれていた。
「娘自身が殺人犯になるよりはマシだろう」
「元奥さんを殺さずに、娘さんの親権を奪い返す方向で考えてみては?」
「無理だ。そもそも男親が親権を取ること自体難しいのに、俺がDVをやってたことになってるからな」
「それって、奥さんがそう言ってるだけですよね? 違うってこと証明できませんか?」
「家庭内のことだから難しいと思う」
当時は元妻が定期的に暴れていた。両隣の部屋にもその音は聞こえていただろうが、音だけでは誰が暴れているのか判断はできないだろう。
「でも、ほら。乳児院とか幼稚園とか。ずっと須藤さんがひとりで送り迎えしてたんでしょう? 元奥さんが育児に協力的じゃなかったっていう証拠になりますよ。それに元奥さんのサイコパスっぷりはかなりのものみたいだし、昔の同級生とかの証言を積み重ねていけば危険性を証明できるんじゃないですかね」
「安易に殺人に走るより、そっちのほうがずっといいと思います。須藤さんが親権を諦めてないと知れば、元奥さんだって娘さんに対して迂闊な真似はできなくなると思いますし」
「それだ! きっと意思表示するだけでも牽制になりますよ。俺達も証言集めに協力しますから、前向きに検討してみましょうよ」
矢継ぎ早にふたりから説得されて、須藤は困惑する。
「元妻の異常性を昨夜話さなかったか? 下手に係わると君たちだけじゃなく、家族まで巻き添えをくらうぞ」
元妻の報復を恐れた須藤の友人は、家族を守るために須藤との縁を切った。だから須藤は、誰も巻き添えにしないよう、ひとりで戦うつもりでいた。
「俺なら平気ですよ。今はフリーで彼女いないし、両親は転勤でふたり揃って地方に行ってますから」
「俺も問題ないです。――この際だから白状しますが、こいつが言ってた『真夜中の祠』に世話になった友人ってのが俺なんですよ」
「じゃあ、君も夢を見たのか?」
「はい。殺人で懲役十三年と、傷害致死で懲役六年でしたよ。最悪でしょう?」
「殺人って……」
これから人を殺すつもりでいたのに、殺人という言葉を聞いた須藤は軽く身を引いてしまった。
「冤罪ですよ」
「ああ、じゃあ君はうまく未来を変えられたんだね」
「はい。でも、ひとりで変えたわけじゃありません。選択肢を増やす為の協力者を捜したんです」
「選択肢?」
「『真夜中の祠』にいたあの坊主が言ってませんでしたか? 選択肢がいくつかあるゲームみたいに、自分で違うルートを選んでいけばいいんだって」
「ああ、そういえば、俺の時はシミュレーションみたいなものだって言ってたな」
「いま須藤さんは殺人を犯すルートしか考えてない。でも、もっと違うルートもあるはずなんです。――殺人犯の家族って、マジで辛いものがあります。あの夢の中で殺人犯として服役していた俺が言うんだから間違いありません」
「須藤さんも娘さんも、元奥さんを殺さずに済むルートがきっとありますよ。諦めずに捜してみましょうよ」
(諦めずに……か……)
言われてみてはじめて、確かに自分は諦めていたのだと須藤は実感してしまった。
元妻に翻弄される日々を送り続けているうちに、自分ではあの悪魔に勝てっこないと最初から戦うことを諦めていたのだと……。
「……見つかるかな?」
「見つけるんです。そうだ。『真夜中の祠』で神さまからなにか助言してもらいませんでしたか? 俺の時は『頭を垂れるは悪いことばかりではない』って助言されたんです。それでずいぶんと助かったんですが」
「俺は特にたいしたことは言われなかったな」
――よかろう。そなたの娘を思う気持ちがいかほどのものか、とくと見せてもらおう。
一番はじめにそんなことを言われて、後はろくな言葉をかけてはもらえなかったと須藤が言うと、桜居は軽く眉をひそめた。
「それかもしれません」
「それって?」
「娘を思う気持ち、ですよ。殺人犯になるのも、殺人犯の娘として生きていくのも辛いです。須藤さんの場合、どっちの夢を選んでも娘さんはそうなっていた」
「ああ、確かにそうだな」
ひとつ目の夢での妻の殺人が警察に暴かれていたら、やはり娘は殺人犯の身内になってしまっていただろう。
「須藤さん、お嬢さんを一番幸せにするルートをみんなで探してみましょうよ」
「きっとなんとかなります」
高木と桜居が真摯に訴えかけてくる。
元妻を殺すという考えに凝り固まっていた須藤は、前向きな二人の青年の言葉に、視界が少しずつ開けていくような気がしていた。
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