「『真夜中の祠』の前までは行きました。でも残念ながら、灰色の鳥居は俺には見えませんでした」


 高木の答えに、須藤はがくっと気が抜けた。


「うちの若い奴らはみんなあそこに行ってるみたいだな。俺もあいつらに誘われてあそこに行ったんだ」

「あ、俺は違います。友達に教えられて見に行ってみたんです」

「友達……もしかして、その人がふたつの道の話を?」

「そうです。かなり酷い選択を迫られたって愚痴ってましたよ」

「そうか。……その人は今は?」

「元気にやってます。少なくとも『真夜中の祠』に行く前よりも楽しく暮らせてるみたいです」

「そうか。それはよかった」


 懸命に『真夜中の祠』について説明していたあの少年の行動が報われたようで嬉しい。

 同時に、あの子から頑張ってねと応援されたのに果たせなかった自分のふがいなさを情けなくも思う。


「須藤さんの選択も酷いものだったんですか?」

「そうだな。……酷かったよ」

「どんなだったか教えてもらっていいですか?」


 高木に聞かれたが、須藤は黙って首を横に振った。

 計画の邪魔になってはいけないから今は誰にも話せない。

 それに、余りにも情けなくて人に話せるようなことじゃない。

 須藤は黙ったまま湯飲みを大きく傾けた。



 料理は美味しく、酒がすすんだ。

 須藤は焼酎のお湯割りから日本酒のお燗へとスイッチして飲み続けた。

 高木の話は面白く、須藤は久しぶりに酒を飲みながら笑えた。


「こいつ、高校時代に告白する相手間違えたんですよ。OKもらった後じゃ、もう違うとも言えなくて、そのまま向こうから別れを切り出されるまで二年もつき合ったっていうんだから、バカでしょ?」

「や・め・ろ。俺はおまえと違って誠実なんだ」

「ひでー。俺だって誠実だぞ。自分の気持ちに対しては」

「それじゃ片手落ちだ」


 居酒屋のカウンター内で忙しく立ち働いている青年は高木の友人らしく、カウンターを挟んで気安い会話が交わされる。須藤はその会話をつまみにまた楽しく酒を飲んだ。

 飲んで飲んで飲んで……気づくと、べろんべろんに酔っていた。


(ああ、こりゃ駄目だ。……また記憶が消えるな)


 気づくと家のソファの上コースだ。明日は土曜日だから、朝はゆっくりできる。頭の隅でそんなことを考えながら、また杯を重ねた。


「それで、どんな選択だったんですか?」

「ああ……それな……。実は……」


 酔っ払ってまともな思考を失った須藤は、促されるまま全て話した。

 悪魔のような妻のこと。可愛い娘のこと。そして、『真夜中の祠』で示されたふたつの道のこと……。


「どちらを選んだんです?」

「……選べなかった。俺は……選べなかったんだよ」


 自分では一つ目の夢を選んだつもりだった。

 だが、駄目だった。

 あの夢の中で死を身近に感じてしまったことからくる恐怖と、殺される瞬間に見た元妻の楽しげな顔への嫌悪感が心に焼き付いて、どうしても忘れられなかった。

 頭では平気だと思っていても、元妻の顔を見ただけで、鼓動が早まり冷や汗が流れた。手も震えて、まともに話すらできなくなる。

 こんな状態ではもう一緒には暮らせない。婚姻を継続するのは不可能だと判断して離婚せざるを得なかった。


「そのせいで、俺はふたつ目の夢のルートに入ってしまった」

「……お嬢さんは今何歳ですか?」

「十二歳だ。この春で……中学生になってしまう」


 現在、娘はあの夢と同じように祖父母と暮らしている。

 今はまだ平和に暮らせているようだが、夢の通りならば中学生になった後に、あの悪魔に恐ろしい地獄へと連れていかれてしまう。

 その前になんとしてでも、あの悪魔を止めるのだ。そう……。


「刺し違えてでも、あの子を助けないと……」


 完全に酔っぱらった須藤は心の声が口から零れていることに気づかない。

 聞いてしまった高木は、「当たりだったか」とがっくりうなだれていた。




 翌朝、目覚めると自室のベッドの上だった。

 いつもはソファで目覚めるから変な感じだ。変なことついでにベッドサイドのテーブルには、ペットボトルの水まで置いてある。缶チューハイやウイスキーの入ったグラスが置いてあるのはざらだが、これは珍しい。


「……水だよな」


 買った記憶の無いペットボトルに手を伸ばし、キャップを捻る。パキッと初開封の音がして、ほっとして水を口にした。

 ごくごくと喉を鳴らして水を飲み、シャワーでも浴びるかと寝室のドアを開けてフリーズする。


「あ、須藤さん、おはようございます。勝手にシャワー借りました」

「ども、お邪魔してます」


 部下の高木と居酒屋のカウンター内で働いていた青年が、テレビのついたリビングで缶コーヒーを飲みながらくつろいでいた。


「気分はどうですか?」

「え、ああ、大丈夫だ。二日酔いっていっても、いつもちょっとむかつく程度だから」

「へえ、肝臓が強いんですね。それなら、普通に朝食食べられますよね。この家、食べる物なんもないんで、下のコンビニに買い出しに行ってきます。須藤さんはシャワーでも浴びて待っててください」

「お、おう」


 高木と青年は上着を手に立ち上がり、そのまま出て行った。残された須藤はキツネにつままれたような気分でその背中を見送る。


(昨夜、わざわざふたりがかりで送ってきてくれたってことか……)


 それで終電がなくなって泊まったのは分かる。だが、なぜ家で朝食まで食べていく気でいるんだろう。

 モーニングセットをやっている喫茶店やファミレスにでも行ったほうが美味いものも食べられるだろうに……。

 首を捻りつつシャワーを浴び髪を乾かして、一週間ほったらかしだった部屋に掃除機を掛けているとふたりが帰ってきた。


「ただいまー。カップの味噌汁買ってきたんで、電気ポット使いますねー」

「レンジ借ります。後これ、一応二日酔い用のドリンクです」

「ああ、どうも」


 ふたりは勝手にキッチンを使い、あっという間に朝食の支度を調えた。


「んじゃ、食べましょうか。須藤さん、好きなおにぎり取ってくださいね」

「ああ。ありがとう」

「いただきます」


 テーブルの上にはカップの味噌汁とコンビニのサラダ、唐揚げ等の冷食類やおにぎりが大量に並べてある。

 須藤もとりあえず近くにあった鮭おにぎりを手にとり、包装をはがして口に入れた。


「須藤さん、昨夜のことどれぐらい覚えてますか?」

「ん? あー悪い。途中で記憶消えてる。……なんか迷惑かけたか?」

「いえ、それは大丈夫なんですけど……。じゃあ、自分がなにしゃべったのかも覚えてないんですね」


 朝から唐揚げを嬉しそうにぱくついている高木に聞かれて、須藤はあからさまにギクッとした。


「……まさか、『真夜中の祠』でのことをしゃべったのか?」

「しゃべりました。今後の計画についても……」


 恐る恐る聞くと、高木は神妙な顔で頷いた。

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