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気づくと祠の前に立っていた。
「駄目だ! 戻してくれ! 結愛が……娘が!」
元妻を殺してしまうぐらい追い詰められていたなんて可哀想に。いま娘は警察でどんなに不安な気持ちでいるか。せめて自分が側にいてやりたい。なにがあってもパパはおまえの味方だと、顔を見て言ってあげたい。
(そうだ! 妻の異常性を警察に訴えれば減刑できるかもしれない)
急いで走り出そうとした須藤の手を、小さな少年の手がぎゅっと摑んで止めた。
「おじさん、落ち着いて! 夢だよ! 夢を見たんだよ!」
「……夢?」
「そうだよ。おじさんは真夜中の祠の神さまからふたつの夢を見せてもらってたんだ」
「夢……そうか、そうだったな」
あれは現実ではなかったのだ。
須藤は一気に力が抜けて石畳にストンと座り込んだ。
「おじさん、ずいぶん酷い夢を見たんだね。どっちを選ぶか決められそう?」
「ああ、そういう話だったか……」
示されたふたつの可能性のうち、どちらかを必ず選ばなければならない。それが決まりだと少年は確かに言っていた。
だが、これはあまりにも酷い。
「どっちも選びたくない」
「駄目だよ。そんなことしたら神さまに叱られるよ」
「だが本当に酷い夢だったんだ。私が殺される夢と、娘が人殺しになる夢だ。ああ、いや……君みたいな子供に話すことじゃなかったな」
座り込んだまま「ごめんよ」と謝ると、少年は真剣な顔で首を振った。
「ううん。おじさんに神さまに祈るようにって誘ったのは僕だもん。だけどね、そんなに悲観しなくてもいいんだ。夢は可能性なんだ。まだ確定された未来じゃないんだ」
「可能性?」
「そうだよ。こんな未来があるかもしれないっていう可能性だよ。シミュレーションみたいなものかも……。だから、これからまだいくらでも変えられるんだ」
「変えられる……。そうか、それならなんとかできるかもしれないな」
それならば、選ぶのは離婚しない未来一択だ。
あの悪魔に娘を渡すことはできない。母殺しを決意させてしまうほどの悲惨な体験を味わわせるわけにはいかない。
(あの悪魔に殺されてたまるか)
須藤はよいしょと立ち上がって少年の頭を撫でた。
「色々ありがとう。おかげで道が見えたような気がするよ」
「それならいいんだけど」
ちょうど娘と同じぐらいの身長だ。初対面のおじさんに頭を撫でられているというのに、見上げてくる瞳はまっすぐで娘のように怯えた色は見られない。
(あの子もこんな風になって欲しい)
大人の顔色を伺い、いつもビクビクしている娘。
その全てが、あの悪魔のせいだとは言わない。
あの悪魔を排除することができなかった弱い自分も悪い。
「大丈夫、必ず未来を変えてみせる」
たとえ離婚しなくとも自分が死ねば、娘はもうひとつの夢と似たような道を辿ってしまうだろう。
絶対にあの夢のように、あの悪魔に殺されたりはしない。
どうにもならなくなったら、刺し違えてでもあの悪魔を娘の側から排除してみせる。
悲壮な決意が顔に出ていたのか、少年は少し心配そうな顔をした。
「気をつけてね。無茶しちゃ駄目だよ」
「ありがとう。坊やも早く家におかえり。春とはいえ、まだ寒いからね」
「うん、じゃあね!」
頑張ってねと手を振って、少年は走って帰っていった。
須藤はその姿が見えなくなるまで鳥居の前で見送った。
◇ ◇ ◇
「俺を飲みに誘うなんて変な奴だな。皆から話を聞いてないのか?」
須藤は小さな居酒屋のカウンター席の隣りに座った部下に、苦笑しながら聞いてみた。
「聞いてますよ。終わりのない悪い酒だって。でも絡み酒ってわけでもないみたいだし、いいかなぁって」
部署移動で最近部下になったばかりの青年、高木はおっとり笑う。
「呑気だなぁ。面倒になったら置いていってくれていいから」
「ひとりで帰れるんですか?」
「ああ。いつも気がつくと家のソファで寝てるから大丈夫だ」
「ソファって……。もう一頑張りしてベッドまで行けばいいのに。――あ、お酒なに飲みます? ここ焼酎と日本酒メインなんですよ」
「じゃあ、焼酎のお湯割りで。銘柄は詳しくないからまかせるよ」
「はい、まかされました」
高木はカウンター内にいる店員に声を掛けて、飲み物だけじゃなく食べるものも次々に注文して行く。
「おいおい。そんなに食べられるのか?」
「夕食代わりなんですよ。ひとり暮らしなんで、よくここで飯食ってるんです。須藤さんも飲むなら喰わなきゃ駄目ですよ。空きっ腹に飲むのは身体に悪いって言うでしょ」
「……そうだな」
懐かしいフレーズに須藤は苦笑した。
以前はよくそんな風に忠告されていたが、いくら言っても聞こうとしない須藤に呆れたのか最近では滅多に聞かれなくなった。
(だが、もうそれも終わる)
いや、違う。もうじきこの手で終わらせるのだ。
そのことを思うと、武者震いで身体が震えた。
「あれ? 寒いですか?」
「いや、大丈夫だ」
「どうぞ。一刻者のお湯割りです」
「おっ、ちょうどいい。これで暖まりましょ」
店員がカウンターに乗せてくれたふたつの湯飲みを受け取り、お約束とばかりに乾杯して一口飲んだ。甘い芋の香りがふわっと鼻腔に広がる。
「うん、美味いな」
「でしょ? 俺のお気に入りなんです。料理も食ってみてくださいよ。ここのは地味に美味いですよ」
厚焼き卵と蛸の唐揚げ、里芋の煮っ転がしに大根サラダ。素朴なメニューはどれもほっこりとした優しい味付けで確かに美味い。
久しぶりに手料理を食っているという気持ちになった。
「実はですね。須藤さんを誘ったのには理由があるんです」
「なにか聞きたいことでもあったか?」
「はい。以前飲み会の席で、須藤さんが『真夜中の祠』に行ったことがあると言ってたって話を聞いたんですけど、本当ですか?」
「……ああ、本当だ」
「そうなんですか……。でも、それにしちゃ全然幸せそうじゃないですよね。真夜中の祠の神さまは助けてくれなかったんですか?」
「ああ……いや、うん、そうだな」
ズバッと聞く高木に、須藤は困惑した。
(なんと説明したらいいものか……)
あそこの神の救済は、そう簡単なものではない。
迂闊に話をしてしまえば、この先の計画の邪魔にならないとも限らない。
真夜中の祠に祈ってはみたけど、あんまり御利益なかったなぁと笑って誤魔化せれば一番いいのだろうが、神の存在を実感しているだけに罰が当たりそうでそれも言えない。
悩む須藤に、高木が言う。
「もしかして、選べなかったんですか?」
「は?」
「ふたつの道ですよ。『真夜中の祠』に祈ると、ふたつの道を示されるんですよね」
「……なんでそれを知ってるんだ」
都市伝説の『真夜中の祠』の中に、ふたつの道、ふたつの可能性を示されるという一文はない。
それは、あの場に行ったことがある人間しか知らないことだ。
「……おまえもあそこに行ったことが?」
須藤の質問に、高木は湯飲みを置いて頷いた。
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