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はっと目覚めて、須藤は寝転がっていたソファから起き上がった。
「もう朝か……」
昨夜も飲み過ぎたようで、いつどうやって家まで帰ってきたのか記憶が無い。最近はいつもそう。酒を飲んで気がつくと家にいて、シャワーを浴びて会社に行き、そしてまた酒を飲む。まるでルーティンのようだ。
(そうだった。……俺は離婚したんだ)
ここ数年の記憶が流れ込んできて、須藤は酒臭い溜め息をつく。
娘のことは心配だったが、どうしてもあの悪魔とはもう一緒に暮らしたくなかった。
苦渋の決断だったが、離婚後は娘への罪悪感に苛まされて酒量が増えていくばかりだ。
「シャワーを浴びないと……」
二日酔いからくる眩暈とむかつく胃に難儀しながらシャワーを浴びた。濡れた髪を拭きながら、脱衣所に置きっ放しにしておいたクリーニング店の袋に手を伸ばし、中が空っぽなことに気づいて溜め息をつく。
「ああ、今日は土曜日か」
土曜日に五日分のワイシャツをクリーニング店に持っていき、以前出した五日分のワイシャツを持って帰るのもルーティンだ。ワイシャツのアイロン掛けが難しく、独身時代からずっとそうしていたのだ。
今日が土曜日なら、この一週間で汚れた部屋を掃除して、買い物にも行かなければ。
買うのはトイレットペーパーと冷凍食品、そしてなにか酒のつまみになりそうなものだ。
元妻は一切料理をしない女だったから、娘がいた頃は少しでも身体にいいものをと色々と工夫して料理をしていたものだ。だが、ひとりになってからはさっぱりだ。食事はとりあえず腹が膨れればいい。それ以外は酒のつまみさえあればいい。
そんな生活だから、腹回りはかなり増えた。顔色も悪く、会社の検診でもいくつかの項目が引っかかっている。朝になっても酒が抜けていないことも多く、会社側からは何度か注意も受けていた。
「少し気をつけないとな」
大事な収入源だ。会社をクビになるわけにはいかない。娘の為にも……。
(
須藤はスマホを操作して、元妻の親から送られてきた写メを見た。娘は去年中学生になった。母親似の綺麗な娘に育っている。
現在娘は元妻の親の家で暮らしている。
元妻は離婚が決まる前から、娘を実家に預けていたのだそうだ。そして多額の養育費は娘の為には一切使われずに、彼女が遊ぶ金になっている。
そのこともかつての義父母から聞かされた須藤は、このまま養育費は払い続けるから娘を自分に渡してくれるようにと頼み込んだ。だが、彼らは頷いてくれなかった。
『そんなことをしたら、娘になにをされるか……』
彼らは、あの悪魔を育てただけあって、元妻の異常性を誰よりもよく知っていた。
『あの子の悪口を言った子の犬が毒エサで死んだことがある。あの子を苛めた先輩の女の子の家は不審火で燃やされた。先生の中には、生徒へのセクハラ疑惑で学校を追われた人もいる」
すべてあの悪魔のせいだと、言外に彼らは言っていた。自分達はそうなりたくないのだとも……。
須藤は諦めた。
実際に娘を連れ帰ったとして、元妻からの報復が怖いのも事実だ。自分だけならともかく、娘に被害が及んだりしたら悔やんでも悔やみきれない。
かつて自分には家族がいるからと妻の報復を恐れて去っていった須藤の友人が、妻を訴えずにいてくれたことを感謝していたが、今ならあれは決して恩情だったのではないとわかる。彼は出会ってすぐに元妻の異常性に気づいていた。だからこそ、きっと元妻の報復を恐れて黙ったまま縁を切ったのだと……。
いろいろ考えた末に、須藤は妻の実家にも娘の養育費を送るようになった。養育費の二重払いはかなりきついものがあったが、幸いまだ両親が残してくれたお金は残っている。働き続けてさえいれば、娘が大学を卒業するまでの費用をまかなうこともできる。
元妻は若い男に入れ込んでいるとかで、実家には寄りつきもしないらしい。
だから今、娘は祖父母の元で平和に暮らしている。
須藤にとっては、それだけが救いだった。
「結愛がもう少し成長したら、たまに外で会えるかもしれないな」
笑う娘の写メを見ながら、須藤はその日を想像してみた。
その時、娘はこんなたるんだ腹の父親を見てどう思うだろう?
キモッ、と年頃の娘から冷たい目で言われることを想像をして、本気で肝が冷えた。
これはやはりもう少し生活を見直す必要があるかもしれない。
(食生活から見直そうか)
外食や冷凍食品をやめて自炊をするだけでもずいぶんとお腹周りにはいいかもしれない。いや、それよりもまず酒か。酒量をコントロールすることからはじめないと、このままではアル中になりかねない。
色々反省し、部屋の掃除をしてから汚れたワイシャツを入れた袋を手に買い物に行くことにした。
さて出掛けるかと、ジャケットのポケットに入れようとしていたスマホがぶるるっと震えた。見知らぬ番号からの着信に警戒しながらも、とりあえず出てみる。
「はい」
『須藤雅道さんの番号で間違いないでしょうか?』
「はい。そうですよ」
『こちらは向島警察署ですが……』
警察という言葉を聞いた瞬間、元妻の顔が脳裏をよぎった。
きっとあの女がなにかやらかしたに違いないと。
だが、違った。
『須藤結愛さんはあなたの娘さんで間違いないですか?』
「はい! 娘がどうかしたんですか?」
事故にでも遭ったのかとスマホを持つ手が震える。
『気持ちをしっかりもって聞いてください。実はですね、娘さんが殺人を犯しまして……』
「は?」
刑事だと名乗る男が言うには、娘が殺したのは元妻だった。
中学生になった頃から、母から見知らぬ男に売られるようになり、もう嫌だと思い詰めての犯行だったのだと……。
(……結愛……なんてことだ)
あまりにも酷い事態に、須藤はスマホを耳に当てたまま呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
――さて、ここまでだ。
そして性別不詳の低い声が聞こえて、意識がばっさり刈り取られた。
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