「性犯罪者の身内だけに性欲が強いんじゃないか?」


 夢の中とまったく同じ言葉で侮辱された。

 溜まってて苛々していたんだろうという、その言葉にこそ苛々して、ぎりっと強く拳を握りしめる。


(我慢、我慢だ)


 これは挑発だ。ここで怒って殴りかかったら、夢と同じになってしまう。それみたことか、元から衝動的で暴力をふるう人間なのだと決めつけられ、どんなに否定してもまともに受け取ってもらえなくなる。

 次々に繰り出される侮辱的な言葉に、孝志は「いいえ、違います」と否定の言葉だけを口にしながら耐え続けた。

 あの夢の中では早々に孝志が切れてしまったことで、取り調べは中断したが、今は孝志が大人しく聞き続けているせいもあって、刑事の侮辱的発言は留まることを知らない。


「父親の犯罪歴を知られたら恋人だって逃げてくだろ?」


 これにはさすがに参った。図星だったからだ。

 大学時代に失った人間関係の中には恋人もいた。その後も父親のことを知られると、女性達は潮が引くように去っていってしまう。

 女性は男性より性犯罪に対する嫌悪感が強いから仕方ないのかもしれないが、去られる側としてはやはり辛い。

 まともに人間関係が築けないせいもあって、最近では普通に会話できる相手が父親と、父親の友人達だけになっていた。


(……今の俺はいびつだ)


 良くも悪くも父親に依存しすぎている。

 性犯罪者の身内だからと否定されるのが嫌で、いつの間にか自分から周囲の人々に背を向けていた。父親の無罪を信じる余り、父親を冤罪に追い込んだ者達ばかりではなく、父親の無罪を信じてくれない人々まで敵だと思うようになっていた。

 死んだ女性の部屋で血まみれの手をして目覚めた孝志のことを世間の人達が知れば、大多数の人達は孝志を有罪だと思うだろう。孝志だって、それが分かっていたから、いったんは逃げたのだ。

 父親の事件も同じ事だ。冤罪とはいえ有罪になってしまった以上、犯罪者として見られるのは当たり前のことだ。

 それが分かっているのに、犯罪者扱いする世間をただ否定することになんの意味があるのか。

 自分は間違っていないとひとりで胸を張っただけでは、誰も理解してはくれない。理解して欲しかったら、こちらから働きかける必要があったのだ。

 現に父親はずっとそうしていた。

 周囲の人々と常に誠実に向き合ってきたことで、裁判中も今も、数人の友人達が父親が社会復帰できるようにと手を貸し続けてくれている。

 孝志だって早々に世間から背を向けたりしなければ、人間関係を全て失うことはなかったかもしれないのに……。


(いや、違う。そうじゃない)


 あの夢の中、孝志を信じてくれた人がいた。

 孝志の方から手を離してしまったのに、それでもなお信じていると言ってくれる人達が確かにいたのだ。

 不思議なことに彼らのことを思うと、こんな安い挑発に乗るわけにはいかないという気力が湧いてくる


「おまえみたいな奴、どうせ金でしか女とかかわれないんだ。ケチらずにいればいい思いもできただろうし、こんなことにならなかったのになぁ」

「俺は女性を金で買ったりしません」

「とぼけるなって。ちょっと調べれば分かることだぞ」


 こちらを故意に刺激するような言葉を言い続ける刑事と向き合い続けてほぼ半日、そろそろ定期的に挟まれる休憩時間になるはずだとちらりと時計を見ていると取調室のドアが開いた。


「ちょっといいか?」


 顔を出したのは最初に話を聞いてくれた刑事だった。彼が態度の悪い刑事に何事か耳打ちすると、態度の悪い刑事はあからさまに舌打ちしてから部屋を出て行った。


「彼、少し言葉が荒いところがあるんだが、大丈夫だったか?」

「はい。平気です」


 穏やかに語りかけてくる刑事の心遣いに、孝志は素直に頷いた。

 以前だったら、きっと飴と鞭で籠絡しようとしているに違いないと警戒心を増していたところだ。だが今は、この刑事を信用すると決めている。

 無駄に警戒することで心証を悪くしたくもない。


「尿検査で薬物が検出された。同じ成分の薬が死んだ女性からも検出されている。いわゆる、デートレイプドラッグだろう。これがセックスドラッグの類だったら、一緒に楽しむ為に使ったんだろうと考えるところだが、ふたりしてぼんやり前後不覚になるような薬を使うのも奇妙だ」

「じゃあ、俺への疑いは晴れたってことですか?」

「いや、まだだ。疑いを晴らす為にも、もう少しつき合ってくれ」

「……先輩には話を聞いてもらえました?」

「ああ。君の酒を飲むペースがいつもより早かったと証言してる。減給されて腐ってたせいだろうって」

「そんなこと! 違います!」

「大丈夫、わかってる。飲み屋の店員からも話を聞いたが、君はむしろ控えめなペースだったと証言している」

「そうですか」


 よかったとホッとしたが、「ただ、彼と殺された女性との関係が出てこない」と刑事が困った顔になる。

 この先はちょっと時間がかかるかもしれないと言われて、孝志は悩んだ。


(あの夢の中で見た話をしたら、逆に疑われるか?)


 先輩とは会社だけの関係でプライベートのことは一切知らない。それなのに先輩の彼女が怪しいと言い出すのは不自然だ。


「っと、そろそろ休憩時間か。お茶のお代わりいるか?」


 時計を見て立ち上がった刑事に聞かれ、孝志は有り難いと頷く。と同時に思わず、「休憩時間中に話を聞いてもらうことはできますか?」と口に出していた。


「休憩時間は休憩するためのものだ。後でいくらでも話を聞くから、休んだほうがいい。疲れてるだろう?」

「いえ、休憩時間でないと話せないことなんです。……ただの与太話だと思われてもおかしくない内容なんで」

「そう? じゃあ、聞こうか」


 刑事はお茶を入れなおしてテーブルに置いてから、もう一度椅子に座ってくれた。

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