次に目を開けると、そこは裁判所の法廷だった。


(……そうだ。俺は本当に殺人犯になったんだった)


 流れ込んできた記憶に、孝志は絶望感を覚える。

 真夜中の祠を後にした孝志は、少年と交わした会話がどうしても気になってしまったのだ。


『お酒の匂いほとんどしないね。なのに記憶を無くすほど酔っ払っちゃったの? それって、おかしくない?』


 確かにそうだ。前後不覚になるぐらい酔っ払うほど酒は飲んでないのに、朦朧として記憶が無くなるなんて普通じゃない。

 そう考えると、デートレイプドラッグという可能性が脳裏をよぎった。

 もちろん色事目的に使われたとは思わない。だが、それ以外のことにも有効な薬なのは確かだ。


(もしも薬を使われたのなら、先輩が怪しい)


 先輩と呼んではいたが、最初から好きになれない人物だった。

 ろくな説明もないまま笑顔で仕事を押しつけてくるし、仕事のミスをなすりつけられたことも多い。退職の決意のきっかけとなった減給も、元々の原因はこの先輩にあった。

 だからこそ、飲みに誘われた時も気乗りしなかった。それで断ったのだがしつこく誘われて断り切れず、これで最後だと仕方なく応じたのだが……。


(警察に行く前に会いにいってみるか……)


 今から思うと、これが失敗だった。

 人目を避けながら先輩を探し出した孝志は、自分の疑いが当たっていたことを知った。


「な、なんでおまえがここにいるんだよ。警察に捕まったんじゃないのか?」


 先輩は孝志の顔を見るなり、あからさまに狼狽えた。

 スマホのニュースサイトでずっと確認していたが、まだあの女性の殺人事件は報道されていなかった。

 それなのに先輩は、孝志が警察に捕まったはずだと思っていたのだ。


「ビンゴかよ。あんたの差し金か……。あの女は誰だ? 本当はあんたが殺したのか?」


 孝志は先輩につかみかかり、もみあった。

 殴られそうになったからそれをかわして、こちらから右ストレートを一発見舞う。先輩は歩道に倒れ込み、そして二度と立ち上がらなかった。

 たまたま壁に頭を打ちつけ、その当たり所が悪かったのだ。

 孝志は自分の運の悪さに頭を抱えた。

 このまま逃げ出したかったが、日本の警察は優秀だ。逃げたところですぐに捕まるだろうことはわかっていた。家族のためにも無駄に逃げて罪を増やすわけにはいかない。

 孝志は逃げ出したい気持ちを抑え込んで、その場に踏みとどまる。そして自分で警察に連絡してそのまま逮捕された。


 その後の警察の捜査により、やはり孝志が最初から嵌められていたことが確認された。

 犯人は先輩とその彼女で、主犯は女性のほうだった。殺された女性と同じ店で働いているホステスで、金銭トラブルがあったのだ。

 孝志は先輩に薬を盛られ、前後不覚になって店から出たところを殺された女性に変装した先輩の彼女に確保され、腕を組まれて誘導されるままあのマンションに連れ込まれてしまったのだ。

 そしてその女性が、やはり薬とアルコールで眠らせていた被害者を刺し殺した。その後自分の指紋を拭き取り、孝志に握らせて指紋をつけてからナイフを抜き取って、血まみれの手を演出した。

 女性はその後服を着替えて、あらかじめ調べてあった防犯カメラの死角から外へと逃げ出したらしい。


『あいつは前科者の息子だから、警察だって先入観を持って捜査するに決まってる。きっとあっさり警察も騙されるって、彼が言ってたのよ』


 犯罪者の息子のくせに、いつも偉そうにしているのが気に入らなかった。犯罪者の息子にふさわしい立場に落とし入れてやる。

 先輩がそんなことを言っていたと、主犯の女性が証言しているらしい。


(親父が聞いたら、悲しむだろうな)


 なぜ自分達親子だけがこんな目に遭うのか。

 胸が引きちぎれそうなほどに痛んだ。

 災難だったなと取り調べを担当してくれた刑事に同情されたが、それで孝志の罪が消えるわけじゃない。

 そして今、孝志は法廷で判決を待っている。

 判決は、傷害致死罪が適用されて懲役六年。


(実際に人を殺したのに、冤罪の時の半分以下かよ)


 だが、嬉しいとは思えない。

 懲役を終え外に出たら孝志は前科者だ。その後の人生がどれほど厳しいものになるか、想像に難くない。

 促されて移動する際、父の視線を感じた。

 だが振り返って、その目を見つめ返すことはもうできなかった。


(どの面下げて……)


 父親の裁判中も懲役刑に服している間も、孝志はいつも堂々と胸を張って生きていた。

 誰になにを言われても、父親の痴漢は冤罪だと確信していたから、自分にはなにも恥じるところはないと思えたのだ。

 だが、今回は違う。

 事故だったとはいえ、孝志が人ひとり殺してしまったのは事実。

 父親はこれから、犯罪者の身内として肩身の狭い思いをすることになる。母親や妹も同じことだ。


(ごめん。……みんな、ごめん)


 家族みんなが、背中を丸めて申し訳ありませんと世間の人々に頭を下げる姿を想像して、孝志は血が垂れてくるほどに強く唇を噛みしめた。


 ――もうよかろう。そなたは誇り高く強いが、過ぎれば悪縁を招く。よく見て、よく考え、見定めよ。頭を垂れるは悪いことばかりではないぞ。


 どこからか性別不詳の低い声が聞こえてくる。


(そうだ。これは夢だった)


 孝志は心からホッとして、意識を失った。

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