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ふと気づくと、孝志は刑務所の中にいた。
(……そうだ。俺も親父のように有罪になったんだ)
ここ数年の記憶が一気に流れ込んでくる。
自首というか、まあ自ら通報して警察に事情を話したが、結局信じてもらえなかった。
街中の防犯カメラには、死んだ女と仲良く寄り添いあって歩く孝志の姿が映っていた。
女はホステスで、客相手にウリもやっていたらしい。
たまたま知り合った孝志と意気投合して部屋に連れ込んだものの、料金の折り合いがつかずにトラブルになって被害にあったのだろうと警察は考えたのだ。
(バカらしい)
孝志は女を買ったことはないし、そんな金があったら貯金する。そもそもあのブラック企業に就職してからは、女を買いにいく時間も体力もなくなっていた。
取り調べの際、そう言って否定したが、だからこそ溜まってたんじゃないのかと取り調べをした刑事に言われた。
性犯罪者の身内だけに性欲が強いんじゃないかと、それで苛々してたんだろうと……。
カッときて、つい殴りかかったのは失敗だったと今でも思う。
あれで心証が悪化して、捜査員達の態度が明らかに悪化した。
そして否認したまま起訴され、懲役十三年の有罪判決。防犯カメラの映像と部屋に残った指紋が動かぬ証拠とばかりに控訴は棄却された。
刑務所での生活は、想像していたよりはマシだった。
もともとブラック企業の過酷な労働環境で体力を削りながら生きていたのだ。睡眠時間がしっかり確保できて、三食きちんと食べられるだけでも有り難い。冷たい生ビールや甘いお菓子が恋しくなるときもあるが、孝志はそれなりに順応していた。
ただ、細かい決まり事が多いことには辟易する。号令に従って行動し、少しでも時間を守らないと罵倒される。孝志自身、これは冤罪で自分は犯罪者ではないと思っているだけに、刑務官から頭ごなしに怒鳴られるとどうしてもむかっ腹が立つ。
「辛抱するんだ。辛抱して、なるべく早く戻ってこい。待ってるからな」
月に一度、面会に来てくれる父親に愚痴ると、穏やかにたしなめられた。
「……わかってるけどさ」
「ならいい。小説を持ってきたから、売店で買った下着類と一緒に後で受け取ってくれ」
「ありがとう。助かる。……その……生活大変じゃないか?」
「大丈夫だ。前と同じ所で雇ってもらえてるし……まあ、なんとかやってる」
「ならいいけど……」
「差し入れの本の中に母さん達が選んだのもあるぞ」
詩集が母親からで、表紙が漫画の絵のものが妹からだと父が言う。
「ふたりとも面会に行けなくてごめんって謝ってたよ」
「気にするなって言っといて。ふたりが平穏無事に暮らしてくれるのが一番嬉しいって」
孝志の事件がさかんに報道されていた時期、マスコミがふたりの元に取材に行ったせいで、また引っ越しを余儀なくされたと聞いている。これ以上の迷惑は掛けたくない。
「面会と言えば、大学時代にバイトしてた居酒屋のおやっさんが来てくれたんだ」
社会人になってからは忙しくて店を訪ねることもできなくなっていたのに、わざわざ手続きして面会にきてくれたのだ。それなのに滞在時間は一分足らず。
『元気そうでなによりだ。俺は信じてるからな』
椅子にも座らずに言い捨てて、そのまま面会室を出て行ってしまった。
それ以降もちょくちょく歯磨き粉やシャンプー類の差し入れが届く。たぶん刑務所内の売店で買って差し入れしてくれているんだろうが、本人が直接面会に来ることはない。シャイなのだ。バイトをしていた時も、必要最低限の会話しか交わさなかった。父親の事件に口さがないことをいう人達に辟易していた当時の孝志にとって、おやっさんの寡黙さは救いだった。
「それと高校時代の友達から手紙が届いて、それからずっと文通してるんだ」
父親の逮捕によって、孝志は大学で築き上げてきた人間関係をものの見事に全て失った。ただ面白がってからかってくる者、悪意を持って孝志の悪い噂をばらまく者、中には身内に性犯罪被害者がいるとかで敵意をむき出しにしてくる者さえいた。
父親の痴漢は冤罪だったし、孝志はその息子であって事件を起こした当人ではない。それなのになぜ自分が汚物を見るような目でみられなければならないのかと腹立たしく思ったものだ。
周り全てが敵に変わってしまったように思えて、それ以降孝志は自分から他人に係わることを辞めてしまった。
かつて仲良くしていた友達も父親の事件を知ると変わってしまうかもしれないと連絡を取ることすらしなくなっていたのに、彼は孝志を忘れずに手紙をくれた。
『俺はおまえが嘘をつかない奴だって知ってる』
長い手紙の中にその一文を見つけた時、孝志は泣いた。
勝手な思い込みでこちらから手を放してしまったのに、彼はもう一度手を繋ごうとしてくれている。
有り難くて、涙が止まらなかった。
「高校時代の友達って言うと、亨くんか」
「覚えてるのか?」
「もちろん。……とは言えないか。昔はみんな覚えておくようにしていたが、さすがにもう全員は思い出せんよ」
「そうか」
(昔から、こうだったよな)
穏やかに微笑む父親の目を見つめ返して、孝志は嬉しくなった。
父親は常に、家族や友人達と誠実につき合ってきた。
どんなにくだらない話でも聞き流すことなく、うんうんと聞いてくれていた。まっすぐに見つめ返してくる目は常に穏やかで、ちゃんと見守ってくれているという安心感に包まれることができていた。
「……なあ、親父。なんで俺を信じてくれるんだ? 本当は俺がやったんじゃないかって疑ったりしなかったか?」
孝志が聞くと、「だったら俺も聞くが」と父親は笑みを深くした。
「おまえは父さんを疑わなかったか?」
「疑うわけないだろ。親父は痴漢なんてしないって、俺は知ってる」
「同じ事だ。俺もそう思うよ。おまえは人を殺したりしない。前後不覚に酔っ払っていたとしても、ナイフを人様に向けるようなことをするわけがない。――父さんはちゃんと知ってるぞ」
まっすぐに見つめてくる穏やかな瞳、父親の顔がじわりと涙で滲んでくる。
目を離すのが勿体なくて、孝志はそのまま目を見開いていた。
――もうよかろう。
不意に性別不詳の低い声が聞こえた。
そして孝志の意識はばっさり刈り取られる。
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