第3話

 小学校に入った甘粕と夏目は、福井優斗が小学6年生当時の担任に、福井について聞く事にした。

 動物虐待に関しては、頃合いを見計らって聞くつもりだ。

 過去の福井を知り、そこから証拠を固めていくつもりだった。


 「福井ですか?なんでまた…。」


不審がる元担任教師に、甘粕は優しげな笑顔で言った。


 「いえ。福井君がどうこうというわけではありません。

 最近起きた連続自殺事件の方で、2回も現場に居合わせた様なので、精神的に大丈夫かなと心配になりましてね。

 酷い惨状を何度も見る事により、犯罪に走ったり、逆に自殺なんてこともあり得るので。

 人の死や事件を未然に防ぐのも、警察の努めですから。

 新しく出来た、心理関係の捜査課なので、時間に余裕もありまして。どんなお子さんなのか、お聞きしておこうかと…。」


 甘粕が優しく丁寧に言うと、元担任は、信じてしまったらしく、その後は怪しまずに話してくれた。


 「福井はとにかく非の打ち所がない子供でした。

成績も良かったですし、虐められている子が居れば、庇ってやり、いじめっ子を撃退。そいつらも福井には逆らえないんですよね。なにせ、何でも万能で、学校中の人気者でしたから。見た目も良かったですし。」


 「その虐められていたお子さんの名前を聞かせて下さい。」


 甘粕が聞くと、元担任は急に泣きそうな顔になった。


 「それが…。三人だったんですが、内二人は、不慮の事故で…。」


 甘粕と夏目は、思わず顔を見合わせ、名前を聞き、言葉に詰まった。

 二人の名前は、大村彰行と飯山良太だった。その二人は、森川中学校の生徒ではなかったが、昨年の一月に、会話に夢中になって、赤信号も構わず横断歩道を斜めに突っ走って、トラックにはねられ、二人同時に亡くなっている。

 夏目の読み通り、これは何かあるーそう感じた甘粕は質問を続けた。


 「もう一人のお子さんの名前は?」


 「立川巧君です。やはり、別の中学に行きました。品川区は学校選択制ですから、地元に行かなくてもいいので…。」


 「なるほど。で、その虐めを止めてあげた後はどうだったんですか?違う学校に行ったという事は、虐めは無くなってなかったのでしょうか?」


 「いえ、そんなことはなかった筈ですなんですが…。」


 なかった筈の割に、何かありそうな雰囲気である。


 「福井君と仲良くなったりとか、一緒にいたりすれば、虐められなさそうですが…。」


 「そういう側面はあるんですが…。でも、結局は離れていましたね。直後は仲良く見えましたが、その後は逆に距離をとっていたかな…。彼らにもプライドがありますし、バツが悪いのかななんて思いましたけど。」


 「そのもう一人のお子さん立川君も、そんな感じでしたか?」


 すると元担任は、急に憂鬱そうな顔になった。

 さっきの含みがある物言いといい、どうも何かある様だ。


 「どうかなさいましたか?」


 甘粕が優しく聞くと、バツが悪そうに頭をかいた。


 「いやあ…。失敗したなって事を思い出しましてね。

 福井に助けてもらった後、他の二人同様、仲良くしていたかと思ったら、突然私に、『福井君は僕の大事な物、全部取っちゃう。虐められてたの、助けてやっただろうとか、また虐められたいなら、あいつら俺の言いなりだからまた虐めさせるとか脅して、ゲームやマンガを返してくれない。』と言うんです。

 その立川という子は、虚言癖というんですか。ちょっとご家庭が複雑なのもあって、嘘の訴えをして、人の気を引いて、被害者になってチヤホヤされたいような所がありましてね。

 それが元で虐められてる部分もありましたし、クラスでも嫌われていたんです。

 私は正直、また始まったと思ってしまいました。 

 福井は虐めを止めさせた事で、ヒーローになっていましたし、やっかんだのかなって。

 大体福井がそんな事するはずありませんから、立川の言う事は全く信じず、私が一応形式だけ福井を呼んで、違うよなあ?というニュアンスで事実確認をしてしまったんです。

 福井は当然、借りただけなのに酷い、僕が何したって言うんだって泣き出してしまったので、本とだよなあと福井を慰め、逆に立川には嘘は人を傷つけるとか、説教してしまったんです。

 立川は嘘なんかついていないと、最後まで言っていましたが、何日か後に、嘘ついていました。ごめんなさいと、謝りに来たんで、やっぱりなあと思いました。

 でもその後、突然不登校になり、原因は親御さんにも分からず、校内での虐めの類いも、いくら調べても出て来ず、こちらからの働きかけにも一切応じてくれず、家に行っても、立川本人は会ってくれない状態で…。

 福井の事が本当に嘘だったとしても、私が立川の事を全く信用しなかったというのが、傷つけてしまったのかなあと、反省しましてね。」


 「そうですか…。」


 立川という子が言っている事の方が、本当だったのではないか…。

 本当に脅され、物を奪われ、そして嘘でしたと先生にわざわざ謝りに行ったのも、もっと恐ろしい脅しを受けて言わされ、不登校は、それが怖くて学校に行けなくなったのではないか…。

 しかし、現時点では先入観からの判断というのも否めない。

 夏目は慎重に、甘粕の質問に答える元担任の証言を一言一句間違えのない様に、書き留めていった。


 「大村君と飯山君からは、そういった話はありましたか?」


 「それが全く無いもんですから…。なんであんな嘘ついたんだか…。」


 亡くなっている大山と飯山からはなんの訴えも無かったというのは、担任教師が、立川が嘘をついていると思ってしまっても、不思議ではない。

 だが、2人は一緒に不自然な死に方をしている。

 もしかしたら、訴えが全く無かったという、そこに鍵があるのかもしれない。

 夏目はふとそう思った。

 無論、夏目よりも刑事歴の長い甘粕もそう思ったらしく、元担任には、更に質問した。


 「大山君と飯山君に、先生から確認などはされたんですか。」


 「ええ、しました。あ…、でも…。いや、考えすぎかな…。」


 元担任の表情が困惑の色を帯びた。


 「なんでしょう。どんな小さな事でも構いません。」


 「ええ…。今にして思えば、という感じなんですが、そういえば2人とも、別々に呼んで話を聞いたのに、全く同じセリフを言ったんですね。

 『そんな事はありません!福井君はいい人です!優しくして貰っています!』って…。なんだか酷く怯えた様子だったんです。

 その時は、私に呼ばれたというのが、怖くて緊張してしまっているのかなと思ったんですが、異口同音のセリフも奇妙ですし、私に対する緊張にしては、鬼気迫る顔付き過ぎたかもしれません…。」


 元担任は何故、今だとそう思うのか。

 夏目が疑問に思ったそれは、甘粕が直ぐに聞いた。


 「何故、先生は、今だと、そう思われるのですか。」

 

 元担任の顔は暗くなって来た。


 「ー福井の様な、あんな出来のいい子は、今まで見た事がありませんでした。子供特有の悪ふざけもしませんし、誰に対しても分け隔ての無い子で…。

 ご両親や親御さんがあんな亡くなり方をしても、健気に勉強も手を抜かず頑張っていて…。

 ですが、今私もそれなりに教職経験を積んで来た上で、こうして刑事さんとお話ししていると、なんだか妙な違和感は覚えてきます…。」


 「それは、どのような?。」


 「いくら優等生という子でも、そこは子供ですし、人間ですから、どこかしらに穴はありますが、福井にはそれが全く無くて…。

 当然人気者で、福井を嫌っている子も誰も居ませんでした。

 それも不自然なんですよね。

 普通、そんな事不可能なんです。

 どんないい子でも、敵は必ず居るものなのに…。    

 でも、そんな人気者なのに、なぜか仲のいい、いつも一緒にいるような友達は居なかったんですよね…。申し送りにも、仲のいい子は無しって書かれてあり、どうもずっとそうだったようで、それは不思議には思いましたが、大人びていたので、当時は周りの子供達が自分より子供に感じられたのかななんて、当時の私は思ってしまったんですが…。」


 元担任が覚えた違和感。

 それは掘り起こさねばなるまい。

 しかし、今漸く感じて来た違和感だから、そう易々とは出てこないだろう。

 甘粕は外側から切り崩しにかかる事にした。


 「例外なく、ずっと学校中の人気者だったんですか。」


 甘粕が聞くと、頷いた。


 「小一の時からずっとそうでした。子供達の信頼は厚く、女の子にももてましたし、何かというと、福井福井って…。

 あ、でも、小6でクラス替えした時、しばらくは人気ナンバー1は、吹石にとられてたな。吹石は、有名なサッカーチームのエースストライカーだったんですよ。日本代表の一流選手に教えてもらった事もあるとかで、凄い人気で…。」


 「何がきっかけで福井君がナンバー1に返り咲いたんですか?」


 甘粕が更に聞く。

 大人にとっては、取るに足らない事だが、子供にとっては、かなり重要な事である。

 もしかしたら、ここに元担任の違和感が隠されているかもしれない。

 事件に繋がる様な可能性は、一見無駄に思えても、引っかかりを覚えたり、繋がりそうだと思ったら、その場で話を聞いて、確認する。

 それが太宰から習った甘粕の聞き込み捜査法だ。


 「えーっと…。教室で飼っていたメダカが全滅していた事があるんです。身体中傷だらけで、誰かが棒か針の様な物で突つき回して殺した様な、残酷な状態でした。

 その時、誰も居ない教室から吹石が出てくるのを見たと福井が…。

 えっ…、ちょっ、ちょっと待って下さい…。

 その後、吹石は急速に人気が落ちて…。

 まさか福井の方が嘘をついていたんでしょうか?。

 吹石はヤンチャでしたが、そんな事をする子ではなかったので、私も、吹石がやってないと言う以上、罪に問うのはよそう。疑わしきは罰せずだ、やった人は、いつでも先生の所に来て下さいと言って、終わりにしてしまったんですが…。

 そんな…。人気者ナンバー1に返り咲く為に、福井が嘘をついて、人を陥れるだなんて…。

 どうしよう…。やっぱり、立川が言ってた事が本当なのか?不良達への入れ知恵も福井が?」


 元担任は、メダカ殺害は福井の仕業とは思っていない様だが、福井の人間性に関しては、かなり疑問を深め始めたようだ。

 そしてハッとした顔になり、立て続けに話し始めた。


 「そういえば…。もう引退されて、亡くなった、国語の嘱託教員でいらしていた、堺先生がおっしゃった事があるんです。

 福井は危なくないかと。

 何の話ですかとお聞きしたら、彼には感情と言う物が無いとしか思えんと。

 可哀想だとか、悲しいとか、感じない様だとおっしゃったんです。

 国語の授業で、子供達のほとんどが泣いてしまうようなお話をやった時も、彼は全く表情を変えず、さっぱり分からないという顔をしていて、他の子が泣き始めたのを見て、初めて泣き出したが、感想を聞いても、自分の感想は一つも出て来ず、人真似だったそうなんですね。

 その時だけではなく、教材の感想をいの一番に聞くと、いつも分かりませんと言うと…。

 そう言われてみると、クラスの誰かが辛い目にあった時なども、周りの反応を見てから慰めていたような気もしました。

 堺先生は、こうも仰っていました。福井は邪悪な子だ、他者への共感が全くできていない、人を人とも思っていないと。

 何をご覧になったのかは仰ってくださいませんでしたが、その直後、病気を理由にお辞めになり、昨年ご病気で亡くなりました。

 もしかして私は、とんだ思い違いをしていたのでしょうか?

 もしかして、刑事さん達は、福井が何かしたと思われてこちらに?」


 二人は言葉を濁した。

 まだ何とも言えない状況であるし、言える状況でも、言ったら、この元担任も危険に晒されるかもしれない。

 甘粕は、言葉を選びながら言った。


 「まだ、これという証拠も、事実関係も把握出来ていませんので、ご説明は控えさせて頂きます。

 ただ、我々が先生にお話を伺いに来た事、決して福井君の耳には入れないようにお願い致します。

 捜査状況が漏れる事は、捜査に支障を来しますし、先生ご自身も危険に晒す事になります。」


 「分かりました…。」


 元担任は、深刻な表情で考え込んでいる。

 甘粕は、堺先生のフルネームと住所を聞いた後、全く別の質問をした。


 「ところで、福井君は大変優秀という事ですが、中学受験などはしなかったんですか?」


 「はあ…。実は受けて合格はしてるんですよ。それこそ名門と言われる、私立、国立のほとんどを。でも、行かないって言うんで、なんで?と聞いたら、受験は面白いから、また高校に入る時にやりたいから、行っても無駄だからって言うんです。

 面白いって何?って聞いたら、試験会場に行くと、みんな合格しようと必死になってて、見ていて面白いからって…。

 なんだか随分上からだなあって、その当時の私ですら、不愉快になった覚えがあります。

 他者への共感、確かに全く出来てないですよね。そんな失礼な話…。」


 元担任が、段々と福井の人格に疑いを抱いてきたところで、甘粕は、小学校で飼っていた鶏の毒殺事件について聞いてみた。


 「あれは、犯人が分からなかったんですよね。毒殺事件もそれっきりで…。

 あ、いや、福井の隣の家の犬も確か毒殺されて死んでたな!どっちも農薬だったと聞いてますが!」


 そう言った教師の顔は真っ青だった。

 彼は確実に、福井悠斗への疑惑を深めている。

 この疑惑を教師本人が福井本人にぶつけてしまったら…。

 未だ、確証や証拠は何も無いが、夏目の当初の読み通り、そして甘粕のプロファイリング通り、福井悠斗が今上がっている死者達を殺害していたとしたら、この教師のそういった行動はかなり危険だ。


 甘粕達は、噛んで含める様に教師に口止めをした後、礼を言い、何か思い出したら、どんな些細な事でも連絡をくれるよう、言ってから小学校を出た。


 その足で、ご近所への聞き込みに向かう。


 福井の評判は、とにかくいいの一言に尽きる。

 巡査時代の夏目を覚えている主婦も何人かいて、気さくに喋ってくれたが、福井も、そして亡くなった家族も、誰1人として、悪く言わない。

 何人かの聞き込みの後、1番話を聞きたかった、福井家の隣家の主婦が買い物から帰って来た所に出会し、話を聞けた。

 この主婦は、犬が毒殺された奥山宅の主婦では無く、反対側の隣の家に住んでいる。


 「家族があんな亡くなり方した後に、またあそこに住むって言うから、心配で聞いたのよ、あたし。思い出して、辛いんじゃないのってさあ。

 そしたら悠斗君、涙ぐみながら、でも笑顔でね、一緒に居たいんですって。かわいいじゃないのよう。それにさ、別の場所に引っ越したら、それはそれで、何で引越して来たんだとかって話になるだろうから、嫌だって言ってたわ。しっかりしてるわよ。本と。」


 二人は、なるほどなるほどと、表面上は感じ良く聞きながら、亡くなった家族について聞いた。


 「お父さんはね、どっかの銀行の本店の、なんか結構偉い人だったみたいよ。でも、感じ良くてねえ。奥さんも綺麗で感じいい人でさあ。弟君がね、なんだっけ。ダウン症?あれだったの。でも、可愛い子でさあ。いっつも元気よくあいさつしてくれて。お父さんも悠斗君も弟君の面倒よくみてたわよ。本と仲のいい家族でさあ。」


 「奥山さんの犬の件はどうですか?」


 奥山さんの犬というのは、福井家の隣家の、毒殺された犬の事だ。

 夏目が聞くと、主婦は嫌そうな顔で首を横に振って、悪意丸出しの口調で話し始めた。


 「奥山サンの犬はもう、そりゃあうるさくってさあ。のべつ幕無し、ずっと吠えてるんだもの。

 町内会長に文句言いにいって貰ったって、奥山さんたら、全然聞きゃあしないの。

 警察にまで来て貰った事あるけど、逆に今度は通報した人や、町内会長に嫌がらせよ。

 犬死んじゃったら、引越してくれたから、ほんと良かったわよ、もう。

 飼い犬も飼い犬なら、飼い主も飼い主って感じ!。

 でもね、福井さんたら、全く文句言わなかったのよ。うちもこの子がいてって、弟君ね。この子が騒いだりして、ご迷惑おかけしてますからって奥さんが。

 でも、弟君は騒いだりなんかしなかったし、静かなお宅だったのよ?

 それに、奥山サンのあのバカ犬が吠えてたのは、福井さんちが建ってるすぐ側の庭だったのよ?相当うるさかったと思うんだけど、よく出来た人達よ。本とに。

 犬が死んだら、お悔やみになんか行ったりしてさ。優しいのよね。飼い犬は家族同然ですから、お辛いと思いますって。人間が違うって感じ。

 私ら、あのバカ犬が死んだって聞いたら、ざまあみろって感じだったのにねえ。あんないい人があんな亡くなり方するなんて、神も仏もあったもんじゃないわよね。」


 かなり無駄な話は多かったが、福井の両親の人柄はよく分かった。

 品性が高く、我慢してでもトラブルは避ける、大人しい人達という感じだ。


 その後も甘粕は、トラブルや揉め事はなかったか聞いた。


 主婦は考え込んだ後、何か思い出した様子だが、福井家には相当肩入れしているのか、いい人なの、ほんといい人達なのと念を押してから、話し出した。


 「んー。ほんとに一回こっきりあっただけなのよ?あとはもうずーっと仲良し、静かなお宅だったの。」


 「はい。」


 「あのガス爆発事故が起きる一週間前位だったかしら。

 お父さんと悠斗君がさ、凄い大声で怒鳴り合って、お母さんの泣き声みたいなのも聞こえたなんて事があったわ。

 お隣同士になって、17年位経つけど、あんなの初めて。理由なんかは分からなかったけどね。反抗期だったのかしらねえ。」


 次に一緒に住んでいる叔母の事を聞くと、突然不機嫌そうな顔になった。


 「ああ、あの叔母さんとかいう若い女の人ね。一緒に居る所は、外では見た事無いわね。もう、必ず毎日5時25分に帰ってくるわよ。で、ご飯作ってるみたい。まあ、悠斗君のお陰で、あの家に住んでいられるんだから、それぐらいしないとね。」


 「土日なんかも、二人で出かける事は無いんですか。」


 「二人は無いわね。叔母さん一人でスーパー行って、一週間分の買い物してくるみたいよ。それも必ず時間が決まってて、朝の十時。それ以外で叔母さんが出掛けてるとこなんか見た事無いわね。若いのに、決まりきった生活して、何が楽しくて生きてんのかしら。」


 余程嫌いらしい。


 「感じいい人ではない?」


 思わず苦笑しながら甘粕が聞くと、鼻の穴を膨らませて、語気強く言った。 


 「ええ!本と感じ悪いわよ。挨拶も声出さないし、いっつもおどおどしてて、こんばんわって声かけただけで、ビクッてさあ。

 なんか悪い事してるか、疾しい事でもあんのよ、きっと。

 曇りの日なのに、サングラスしてたり、フード被ってたり、大体こっちが話してんのに、下向いて、顔上げないなんて、失礼じゃないのよ。

 この辺の人みんな言ってるわよ。お兄さんの遺産目当てで、悠斗君に付け入ってるんだって。絶対、悠斗君、騙されてんのよ。ああ、心配!」


 また甘粕と夏目は引っかかりを覚えた。

 それはもしかしたら、怪我を隠す為なのではないのか。

 おどおどしているのは、日常的に虐待を受けているからではないのか…。

 そんな気がした甘粕は、夏目と遅い昼食を済ませ、叔母の職場へ行った。

 叔母は小説の編集部に居り、そこの編集部の人間が、たまたま甘粕と大学時代の友人であったので、遊びに行った風を装い、外の喫茶店で話を聞く事にした。


 「なんの捜査だよ。」


 友人は笑いながら煙草に火を点け、甘粕もゴロワースに火を点け、夏目にも促し、三人でモクモクと吸い始めた。


 「いや、ま…。不可思議事件てトコかな。」


 適当な事を言い、福井里子の様子を聞いた。


 「転んだって言ってるけど、ありゃあどう見ても、殴られた怪我だよ。

 目の周りの青あざとか、首に紐みたいので絞めた様な痣とか、あり得ないだろう?DV男とでも付き合ってるんですかって聞いたら、全否定してたけど。

 でも、いかにもDV男に捕まりそうな人ではあるよ。気が弱くて、人が良すぎて、寂しそうで、信じ込みやすくて、人付き合いが苦手で、自分に自信が無くて。

 なんか、前にチラって聞いたけど、お兄さんて、東大出なんだってな。いつも親に比べられてたから、つい、私なんて…って言っちゃうって言ってた。それ、良くないですよって俺が言ったら、そう言ってたな。」


 隣家の主婦の証言から考えても、優斗以外の男性との接触は無さそうだが、一応聞いてみた。


 「男と会ってる感じはある?」


 「それが無いから不思議でさあ。

 担当してる作家は、女性で主婦だし、社内でしか男と接触する事はないし、かといって、彼女と社内恋愛してる奴がいるなんていう噂も聞いたことないし。

 5時きっかりに毎日退社。担当が主婦作家だから、夕方からは家事で忙しいから、呼び出しくらうも無いし、締め切り二週間前には上げてくる人だから、缶詰のお付き合いする事も無いしな。羨ましいよ。」


 「どんな様子で帰る?」


 「甥っ子のご飯作らないとって、血相変えて、必死になって帰るよ。」


 「必死になって?遅れたら大変て感じか?」


 「そ。そんな感じ。甥っ子相手に、何をそんなに気イ遣ってんのかなって思うよ。甥っ子がDVなんじゃねえの?なんて、冗談でみんな言ってるよ。」


 それは、強ち外れていないと甘粕も思う。

 力で支配し、孤独な叔母を言うなりにしている。

 サイコパスなら、あり得る事だ。


 「甥っ子の話はするのか?」


 「うーん。何回か…っていう程度かな。自慢してたよ。頭良くて、イケメンで、甘え上手でって。なんか恋人みたいですねって言ったら、青くなって黙っちゃって、それっきり話さなくなったけどな。」




 「14にして、叔母と関係してるという事でしょうか?」


 帰りの車で、夏目が深刻な顔で言った。


 「実際はもっと早いかもしれない。同居と同じ時期じゃないかと、俺は思ってる。サイコパスの診断基準の一つに、放埒な性関係というのもあるからな。最近の子は発育がいいし、あり得ん事では無いと思う。」


 「探れば探る程、福井悠斗の仕業で納得できてしまう反面、ローティーンの内から、そんな事を本当にと、信じたくない面もあります。不気味です。」


 「本当だな。でも、その不気味に感じる部分は無くさない方がいいと思う。この課に居る限りは。」


 「そうですか?」


 「うん。慣れちゃ駄目だろ、こんなの。冷静な目をもちつつ、感情はしっかり無くさずにいないと、俺達まで人間じゃなくなっちまうだろ?」


 「はい。」


 夏目は、甘粕の言葉をしっかりと胸に刻み付け、頷いた。

 

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満月の夜 桐生 初 @uikiryu

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