第5話
「龍、明日、俺も行くから。」
珍しく夕食に間に合う様に帰って来た龍太郎が、更に珍しい事を言った。
明日は龍介の小学校最後の運動会である。
「はあん。珍しい事もあるもんだな。」
竜朗が不機嫌そうに言うのも尤もな話で、龍太郎は今まで、運動会はおろか、入学式などにも仕事で来ていない。
「本当にどしたんだ、父さん。無理しなくていいよ。」
「別に無理なんかしてないよ。龍の小学校最後の運動会だし、仕事も、落ち着いて来たから、行きたいなと思っただけだよ。」
「そう…。有難う…。」
「リレーの花形なんだろ?楽しみにしてるからね。」
「うん…。」
龍介は無表情ながらも、実は嬉しかった。
そんな訳で、龍太郎がいつも来ないから、竜朗は必ず来てくれたし、しずかは、凄い弁当を作ってくれるし、しずかの従姉妹の美雨や、その彼氏である剣道の兄弟子の夏目まで、龍太郎が、来ないのを気遣ってか来てくれるので、淋しく思った事は無い。
ただ、なんとなく心のどこかに冷たい風が吹いている様な、そんな切ない気分にはなっていた。
同じ仕事をしているはずの亀一の父は、入学式などの大事な行事から始まり、参観日や音楽会など、全てに来ている。
しずか達の時代には、珍しい事だったが、今の時代、大抵の行事に、父親は参加しているものだ。
そんな中で、あまりに龍太郎は来ず、竜朗がしずかと仲良く連れ立って来るので、竜朗が父親だと、殆どの子が勘違いしている位だった。
竜朗の事は大好きだ。
龍太郎より好きかもしれない。
でも、父親ではない。
爺ちゃんである。
それがなんとなく、心に隙間風を呼んでいた。
ーふーん…。父さん来てくれるんだ…。
なんだよ今更と思う気持ちが、素直に喜べなくしていたが、本心は嬉しく思っているのを、竜朗としずかは気付き、微笑んでいた。
しかし翌日、龍介は、龍太郎は2度と来てくれなくていいと本気で思った。
龍太郎は、横1メートル、縦70センチ位の大きさの旗を作り、応援席に立て、龍介が出る度に立ち上がり、周囲の迷惑も、なんのそので、バッタバッタと振り回すのだ。
龍介を知っている全員の生徒が、笑いながら龍介を振り返って見る。
もう恥ずかしくてたまらない。
穴が無いなら、掘ってでも入りたい気分。
隣の亀一は面白そうに言う。
「ほら、見てみろよ。しずかちゃんと先生、どんどん親父から間合いとって、他人のふりに入ってるぜ?怖〜い兄弟子は、完全に他人のふりだな。凄え遠くにいるぜ。」
「俺だって許されるなら、そうしたいよ!」
だが、出来ない。
何故かと言えば、その旗には、
『龍介くん、頑張って♡ 父より』
と大きな字で、しっかり書いてあるからだ。
ーもう…、もう嫌だ!。
ほぼ泣いている龍介を、副委員長のいつも優しい瑠璃が慰めた。
「でも、愛情感じるよ?やっと来られて嬉しいんじゃないのかな?お父様。」
龍介は、黙って瑠璃の顔を見つめた。
「ーそうかな…。」
「そうだよ。ちょっと日本人には無い表現方法だけど、いいじゃない。私は好きよ?ああいうの。ちっともおかしくないよ。」
「有難う…。」
2人はなかなかのいい雰囲気になっている。
それを、じっとり隠に籠った目で見つめるのは、悟。
「ちょっと、佐々木君。なんなの、その噛みつきそうな視線。」
悟の隣の朱雀が悟の体操着の袖を引っ張って、横目で睨んだ。
「なに、柏木。」
「僕は、唐沢さん応援してるんだから、2人の中を切り裂くような事は止めてよね?」
「何?唐沢さんを応援してる?」
「そう。唐沢さん、龍が好きなんだって。でも、競争率高いから、諦めてるって僕にこっそり教えてくれたんだ。でも、僕から見ると、2人はお似合いだし、龍は唐沢さん気に入ってるみたいだから、応援するから、頑張りなって言ったの。だから、邪魔しないであげてよね。」
「ちょ、ちょっとお!そりゃないよ!」
「なんで?」
「なんで唐沢さんは寄りにも寄って、加納なんか好きになるの⁈」
「へ?もしかして佐々木君、唐沢さんが好きなの?」
「うん。」
「無理でしょ、そのキャラじゃ。」
「酷い!なんだそれ!」
「ていうか、佐々木君も龍が嫌いなの?」
「嫌いだ。なんか嫌だ。ソリが合わないって、こういう事言うのかなって感じ。」
「遭難で迷惑かけた上、助けてもらっといて?」
「それ言われると困るけど、なんかあの、常に俺は正しいって感じな所が…。」
「実際常に正しいよ。」
「そ、そうなんだけど…。」
「まぁ、でもなんとなくは分かる気もするかな。僕は頼っちゃうから気になった事無いけど、頼りたくないけど、駄目な人にとっては、鼻につくのかもね。」
「なんか、引っかかるけど、そんな所。」
「まぁ、龍も佐々木君て嫌いだから、相思相嫌て所だね。」
「う、うん。」
瑠璃にそう言って貰い、多少は気が楽になったものの、やはり恥ずかしいものは、恥ずかしい。
弁当の時間になってしまったので、渋々応援席に向かう。
龍太郎は、苺と蜜柑を人質にして、竜朗としずかが離れるのを阻止し、尚且つ、他人の振りを貫き、昼は合流しないと決め込んで、学校から出ようとした、兄弟子夏目と従姉妹の美雨を、大声で叫んで呼び寄せるという作戦に出た。
「夏目ー!美雨ちゃあん!こっちおいでー!ご飯だよーん!」
それでも来ないと、今度は、他人に向けて叫びだした。
「ちょっとすみません!そこの眼鏡かけた背のデッカい短髪の大学生と、髪の長い、水色のギンガムチェックのワンピースの中学生みたいな女の子、連れなんですー!聞こえてないみたいなんで、呼び止めてくれませんかあー⁈」
夏目は顔中に青筋を立てているかのような怒り顔になり、拳を震わせた。
ーあのクソオヤジ!
2人の側に居た、どこかの子供のお母さんが2人に声を掛ける。
「ほら、呼んでますよ。行ってあげたら?」
ーくっそー!!
血管浮き出しまくりの顔で美雨の手を引き、仕方なくといった様子がアリアリ分かる状態で行くと、竜朗が苦笑し、しずかは夏目の顔を見て仰け反った。
「逃げらんなかったな、達也。」
「ええ…。」
ギロリと龍太郎を睨むが、龍太郎はどこ吹く風。
そして龍介が歩いて来るのを見つけ、立ち上がり、また旗を振って叫ぶ。
「龍ー!ここだよー!」
ー嫌というほど知っとるわあああ!
やはり、龍介の顔にも青筋が立ちまくっている。
兄弟子と同じ青筋だらけの顔をして、拳を震わせ、龍太郎を殺気全開の目で睨みつけた。
「父さん。」
「なぁに?凄かったねぇ、騎馬戦。迫力満点で、かっこ良かったよ。ありゃ、龍の作戦勝ちだな。」
確かに龍介の作戦で勝てた大将戦だったから、それを分かって貰えたのが嬉しくなり…
二度と来るなとは、言いそびれた。
兄弟子夏目が、なんか言ってやれという目で睨む様に見つめて来るのが辛い。
仕方が無いので、頑張って話を逸らす。
「夏目さん、わざわざすみません。」
「おう。」
だけ。
ー機嫌悪っ!
龍介はそれだけで、冷や汗が出る。
なんせこの夏目という男、本当にいついかなる時も恐ろしいほどに迫力満点である。
7年前の龍介が5歳の時から、週に一度。
大学生になってからは月に一度。
竜郎を師匠に、剣道の稽古を一緒にしているが、最初の時から、12歳の子供のくせに、5歳の幼児に手加減せずに相手して来た人である。
でも、それが意地悪や悪意に寄るものではない事はすぐに分かった。
手加減は、5歳と雖も、龍介に対して失礼だと思ってくれているのだ。
当時の龍介は、それが言葉に出来なくても分かった。
だから夏目はずっと好きだ。
怒るとこんなに青筋たてまくっても、子供だろうが気に障ったら、不敵にニヤリと笑って、目は殺気全開と、相当おっかない感じでも。
「まあまあ、達也さん。ご機嫌直して?」
隣で夏目に笑いかける美雨と中学で知り合い、高校から付き合っているらしい2人は、恋人同士でもあり、意思の疎通は夫婦のようでもある。
だからデレデレなのかと思いきや、そうでもなく、むしろ龍介達が目にする限り、冷たい位なので、よほどの照れ屋なのかもしれない。
という訳で、美雨に宥められても、ご機嫌は斜めのままだ。
ー俺がご機嫌斜めになっていい立場なのに、何故気を遣わねばならんのだ…。
とは思うが、この俺様龍介をもってしても、夏目は気を遣わせてしまう男である。
唯一、龍太郎だけは、全く遣ってないが。
午後1番は、保護者競技である。
龍介は、気が気でなく参加者の所を見た。
そして頭を抱えた。
居る。
龍太郎。
「父さん出るんだあ!もう嫌だ!帰る!」
本当に帰る勢いで立ち上がってしまったので、亀一と寅彦が慌てて止めた。
「おいおい!龍が居なかったら、アンカーどうなるんだよ!白組負けてんだぞ!」
寅彦が宥めると、火に油を注いだ状態になる。
「んな事あ知ったこっちゃねえよ!佐々木に3周走らせときゃいいだろ!大体白組なんて、そもそも縁起が悪いんだよ!白旗の白なんだからあ!」
アンカーの1つ前は、遅刻大魔王で培った健脚の悟が走る事になっている。
今度は亀一が、半ば呆れ顔の苦笑で言う。
「いくら佐々木だって、3周は持たねえだろうが。落ち着けって。」
「持つってえ!5丁目からここまで毎日全力疾走してんだからあ!頼むから帰して!俺の品性と名誉とアイデンティティーの崩壊の危機だああ!」
学校でこんな風に取り乱した事など無い龍介の荒れ様に、クラスメート達も目が点になっている。
「あいでんてぃてぃって何?」
「知らない…。」
なんて声も聞こえる中、亀一と寅彦は、全力で龍介を抑えながら、小声で相談した。
「どうする、きいっちゃん。龍の力にいつまでも勝ってられねえぞ?」
「そうだな。おとしちまうか。」
今まさに落とそうと、亀一が龍介の首に腕を回しかけた時、担任が走って来た。
「どうしたんだ、加納!珍しい!何があった!?」
担任に涙目で訴える龍介。
「先生、早退させて下さい。これ以上、父の恥ずかしい行いに、精神的に耐えきれません…。」
先生は、龍介の頭を撫で、目を見つめ、優しい声で語りかけた。
「加納。お父さんは大変お忙しい方だ。でも、あまり行事に参加出来ない事で、加納に寂しい思いをさせてるんじゃないかと、とても苦にされていたんだと思うよ。だからこそ、一生懸命場を盛り上げて、精一杯応援して下さっているんだよ。恥ずかしいなんて思っちゃいけない。」
龍介は大人しくなって席に着いた。
先生の話に納得した訳では、決して無い。
それが証拠に、先生が行ってしまうと、亀一と寅彦に言った。
「ー初めは俺も、唐沢にそう言われて、今先生が言った事と同じ事を思った。だが、今は違うと確信している。」
亀一と寅彦は、龍介の殺気だった怒りに満ち溢れた涙目を黙って見つめ、続きを待った。
「父さんは…、父さんは、ただ自分が楽しんでるだけだあ!俺の為じゃねえ!なのに、なんでこんな末代までの恥をかかされにゃならんのだああ!!」
そう言われると、亀一達もその解釈が一番しっくり来た。
黙って頷き、2人同時に龍介の肩を叩くと、龍介は、口をへの字にして、弱々しく呟いた。
「もう嫌…。2度と来んな、クソオヤジ…。」
保護者競技は、情け容赦無く始まった。
例年通り、借り物競争。
メモに書いてある物で扮装した先生を見つけ出し、それを借りて走るという物なので、普通に考えたら特別な事は起こりそうに無い。
しかし、ある意味、龍介の予想通り事は起きた。
龍太郎が借りて走るのは、アフロのカツラだった様だ。
ピンクのアフロを被った先生を直ぐに見つけて、借り、走り出す。
順調かと思われたその時、後方から来た朱雀の父、柏木は、おじいさんの杖というメモを見るなり、不敵な笑みを浮かべ、一目散に竜朗の下へ走り出し、
「あの!こっちです!」
と、おじいさんの扮装をして、杖を掲げる先生を完全無視し、竜朗の杖を持つなり、竜朗の杖を丸で刀を抜くかのような型で持って、龍太郎を鬼の様に追い始めた。
背後から来るただならぬ殺気に振り返った龍太郎は、何故か真っ青になった。
「うわあ!柏木!?なんで親父の杖!?」
そして龍太郎も、ひっちゃきになって、凄まじいスピードで逃げ始めた。
半周走ればゴールなのに、一周走り、2人の距離は変わらぬまま、更に二周目に突入。
場内爆笑の渦。
生徒も親も、ゲラゲラ笑っている。
真っ青になって、必死の形相で走る38歳と、それを殺気全開の全速力で追い掛ける36歳のおっさん2人…。
朱雀の母は、両手で顔を覆い、泣き崩れているかの様だし、しずかは変な顔で笑って、そっぽを向いてしまっている。
竜朗や夏目は物凄く楽しそうに手を叩いて、柏木を応援している。
亀一の父、長岡和臣は、苦笑しながら、青い顔。
龍介は、恥ずかしさのあまり、泣いているんだか、怒っているんだか訳が分からなくなっている。
朱雀は只管驚き、
「パパ、何してんのおおおー!?」
と、叫び続けている。
そんな中、亀一と寅彦は、冷静にその様子を観察していた。
「寅、なんだろうな、あれは。」
「まさしく謎だらけだな。そもそも、何で龍の親父は柏木さんを知ってるんだ。」
「その上、柏木さんの方は、どう見ても恨んでる。」
「うん。それに、何故、先生の杖をわざわざ?そして、龍の親父は、何故、先生の杖で、あんなビビる?」
「ーそれは、あの構え方にヒントがあんじゃねえか?ありゃ、刀の構え方だろ。」
「俺もそう思った。」
「そして、更に、柏木さんは、図書館司書のはずなのに、なんなんだ、あの体力と、筋力は。自衛隊の龍の親父にぴたりとくっ付いて、ペースも落ちなければ、ばててる様子も無い。息も上がってない。」
「朱雀から、趣味が筋トレとか、マラソンてのは、聞いてねえな。」
「うーん、妙だ。それに、あの保護者席の反応も謎だな。」
「だな。妻達の反応は当たり前な感じだが、明暗がくっきり分かれてんな。きいっちゃんの親父さんは、龍の親父側っぽい。つまり、自衛隊VS図書館司書という事?」
「そいじゃ、夏目アニキは?あの人、ただの大学生だろ?」
「ああー…。分かんねえな…。さっきの昼飯ん時の怨み?」
「うーん…。でも、先生と共闘組んで、楽しんでる風だぜ?」
「だなあ。」
そして漸く、先生の放送で、この生死を分けたかのようなバトルは終わった。
「加納さん、柏木さん、素晴らしい走りを見せて頂き、有難うございました。そろそろゴールにお願いします。」
そして、龍太郎がゴール付近を通った所で、パンと、ゴールを知らせるピストルの音がし、一応、龍太郎の勝ちで終わった。
龍介は、頭を抱え、小さくなって呟き続けている。
「やだ…。もうやだ…。覚えてろよ、クソオヤジ…。滅多滅多のギットギトの半殺しだ…。」
なんだか物騒だが、半殺しは、加納家の男の口癖だったりする。
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