2-7
「血……?」
アイドがそう呟いた瞬間、それがかけられた男女に異変が起こる。
五人の男女、それぞれの傷口に添えられていた宝石が突如として輝きだし、傷口と一体化してゆく。
それは文字通りの現象。異様な音を立てながら皮膚と宝石が互いを求めあうようにして結合されて、身体へと埋まってゆく。
そんな現象が起こっているにもかかわらず、その五人はうめき声すら上げることなくただただ横たわっている。
そんな現象を目の前に、アイドは息を飲むことしかできない。
結合部分は酷く醜い形へと収束した。同じく身体に法石を持つソフィアの背を見たときとは全く違う、醜悪と言わざるを得ない繋ぎ目。
「これ、私と同じ……? いや、でも……」
ソフィアの表情にも焦りがうかがえる。
落ちた冷や汗が地面で弾けた時、一度は収束した彼らの変化が、また違う形で始まった。
肉がかき混ざる音、骨が折れる音。
人体から発せられているとはおおよそ思えない様々な音を周囲に響かせながら、彼らの体が沸騰したように泡立ってゆく。
砕けて、混ざって、泡立って、ヒトの形を止めてゆく。
アイドはここから逃げ出したくなる気持ちを必死に押さえつけていたが、無意識にほんの少しずつ後退してしまっていた。
「何……竜……? そんなわけ……」
ソフィアが言葉を零す。
ぐちゃぐちゃになったそれはやがて何かの形を取り始めた。
腕を伸ばしたように広がる翼。
しなやかだが力を感じる細い足。
気味の悪い鱗を持つ体躯。
幾重もの牙を持った鰐口。
そして、胸で存在感を放つ法石。
それは英雄譚で語られる『災厄』をまるまる人サイズへと小さくしたままのもので、ソフィアの記憶にあるそれとも一致している。
大きさこそ違えど、それは、まぎれもなく竜と認識できるものだった。それぞれが一匹ずつ竜となり、五匹いる。
「な、なんで……」
震えたソフィアの声が夜空へと消える。止まらない冷や汗。剣を握る手は異様に力み、カタカタと震えている。
「うーん、やっぱりただのヒトじゃこれくらいが限界か。やっぱり本物じゃないと」
エルベルトはぼそぼそと何かを呟きながら、剣を構える二人へ背を向け歩き出す。彼の隣に立っていた女もまた、同じように踵を返し彼を追って歩みを進める。
「ま、待て!」
「待たないよ、どの道君は関係ないし。僕が必要なのはそこの英雄さんだから」
アイドの制止も空しく、手をひらひらと振りながらエルベルトは去っていった。
「……クソ……! ソフィアさん、やるしかない!」
緊張と焦りで息を少し上げながら、ソフィアへと呼びかける。
しかし当のソフィアは大剣を握ったまま、荒い息で竜を見つめている。
そんなソフィアに対し、竜の一匹が空を舞い、迫る。食らいつこうとする鋭牙が月の光に照らされて輝く。
「ソフィアさん!」
寸でのところでアイドは彼女の体を押しのけ、何とか直撃を避ける。地面へと倒れこみ、砂埃が上がった。
その衝撃で、ソフィアの目の焦点は急速に戻る。
「ご、ごめん! しっかりしなきゃ、私」
「いえ、大丈夫です。立てますか?」
「大丈夫、ごめんね」
互いに立ち上がり、改めて異形の竜たちを見据える。
気合いを入れ直した彼女の大剣は、もう震えてはいない。瞳はしっかりと討つべき獣に焦点を当てている。
ゆらり、と彼女の影が揺れる。
次の瞬間、すでに彼女はアイドの隣には居なく、一匹の竜の元へ到達し剣を振りかぶっていた。
叩き飛ばすような感覚でその剣は対象を正確に打つ。狙い通り竜は吹き飛ばされて、後方にあった木へと衝突しずるずると落ちた。
しかし鱗に覆われているせいか、それとも生物としての規格が違うのか、竜はもろともしていない様子でまた立ち上がり翼をはためかせる。
その間、また別の竜が彼女に襲い掛かるが、それもまた宙から叩き落す。
避け、叩く。
避け、落とす。
避け、叩く。
避け、落とす。
およそ人の限界を少し超えた速度、どうやっているのかさえ分からない挙動で彼女は殺陣を繰り返していた。
「あれが……英雄ソフィア・アシュロウトの……」
舞うようでも、洗練されているわけでもない。どちらかといえば野蛮といえる力押しと速度の戦い。
生物が自身に課しているリミッターを取り払った動き。自らの体を自らの挙動で破壊しないように――――そのラインを超えた筋肉の伸縮速度。
(そうか、人体の制限を超えた速度で動き、即座にそれを回復する。不死身という特性を最大限生かした挙動。それがソフィアさんの戦い方なんだ。
でも、それは、痛みが常に伴うはずで。
いや、彼女が痛みを感じる所は出会ってから一度も見ていない。もしかして痛みを感じないんじゃ)
アイドがそう思考する間も、彼女は同じような戦いを続けている。推論にたどり着いたアイドは、戦う彼女の姿がどこか痛々しく、どこか虚しく感じた。
ふと、アイドの背後から気配を感じる。
振り返ってみれば、先ほど突進を仕掛けてきた竜が一匹、もう一度仕掛けてこようとしていた。
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