2-6





 イライラする。イライラする。イライラする。

 私は姉さんを助けなければいけないのに、傷つけてしまった。

 湧き上がる怒りが抑えられず、何もない部屋に唯一置かれているベッドを蹴る。木材のきしむ音が響いて、余計に空しくなる。

 姉さんを渡さないあの二人組が憎い。

 姉さんを閉じ込めた人々が憎い。

 姉さんを争いに巻き込んだトカゲが憎い。

 姉さんを守れなかった自分が憎い、憎い、憎い!

 百年も生きて、生きて、生きてきたっていうのに!

 ああ、ああ、頭が痛む!

「おお、今日は一段と荒れているね」

 暗い部屋のドアがいつの間にか空いていた。そこには白衣を着た男が立っている。

 怒りに肩を震わせながら、言葉を返す。

「黙れ。早く姉さんを助けないといけない。竜石はまだなのか」

 この内から湧き上がる怒りのせいで、言葉が上手くつむげない。でも、そんなこと今はいい。

「ああ……竜石ね。いくつか作ってあるから持っていくと良い。全く君は、適性はあるのに使い方がなっちゃいない」

 この男はいつもいつも余計な話をする。

 心底うるさいやつだ。

 だが姉さんを助け出せばこいつともおさらばできる。助けた後はどう過ごそうか。

「まあ百年も生きていればおかしくはなるか。フフフ……僕も例外でもないかもしれないしね。さあ、僕は大事な用があるからこれで失礼するよ」

 白衣の男はまだ何か言っている。

 

 助けた後は、どう過ごそうとしてたんだっけ。

 なんだか眠い。





「ここがあの男が駆け込んでいった場所ですか?」

「……」

 彼女に案内された二人が辿り着いたのは、町はずれにある旧墓地だった。災厄討伐の際に戦死した者たちが眠っている場所だが、今はもう管理する人間がおらず雑草が生え木の根が張っている。

 肝心の墓標も手入れの跡は見えないので、すべてが荒れ放題だ。

 既に落ちた日が余計に気味悪さを加速させている。

「あの……?」

 アイドの問いに、案内をした彼女は答えない。

 彼自身、少し前から違和感をもっていた。あの通りにいた彼女が、逃げる男の姿を仮に視認していたとしても、そこからさらにかなりの距離歩いたこの場所へ入っていくことが分かるわけがない。

「どうやらそれよりももっと重要な情報をくれるみたい」

 代わりに言葉を発したのは、アイドと横並びで歩いているソフィアだった。

 少し先に見える木の下で、誰かが立っているのが二人の瞳に映る。その足元には何か、人間サイズの物が五つ横たわっているように見えた。

 先導する彼女は何も言わない。ただ、ただ歩みを進める。

 ソフィアは大剣を背負うために掛けている肩ひもをゆっくりと解く。鞘に納めたまま左手に剣を持ち、いつでも抜ける心構えを取る。

 ソフィアの言葉や行動を受けて、アイドもそれぞれの剣へ手を伸ばした。

 やがて、その誰かの前へとたどり着く。

 白衣を着た男がそこにはいた。こけた頬に飾り気のない眼鏡、そして不快感を覚える笑み。

 ただならない雰囲気を醸し出す男だったが、より二人の目を引いたのはそこではない。

 彼の足元に転がる、腹部などに穴を開けられたような傷口を持つ五人の男女。その穴には、様々な色の宝石が据えられていた。

 それぞれ黒いローブを着用しており、未だ息があるのか胸が上下している。

 ある程度の距離で立ち止まるアイドとソフィアだったが、先導していた女性はそのまま白衣の男の元まで進み、並ぶように立つ。

「やあ、堕英雄ソフィア・アシュロウト。私はエルベルト・ドアンク。今日は君に力を貸して欲しくて招待したんだ。僕の研究を手伝ってくれないかな?」

 役者めいた大きい身振り手振りでエルベルトと名乗った白衣の男は語る。

「十中八九断ると思うけど、一応聞いとく。何の研究さ」

 ソフィアは一応聞き返す。どう考えてもまともな案件でないことは、この状況全てが物語っている。

 騙されて連れてこられた人気のない墓地。男の下に寝ている重症の男女。そしてその男の眼鏡の奥に潜む、猟奇的で狂気的な瞳。

「人間と法石をより強く、より長く繋ぐための研究さ。それには君の協力が必要不可欠でね」

「詳細は話せないってことね……。まあ、なんにせよ、協力なんてしないんだけど」

 ソフィアは左手に持つ大剣を勢いよく抜き、鞘は地面へ捨てる。両手で握り、重さをものともしない様子で切っ先をエルベルトへ向け構えた。

 会話を聞いていたアイドも同時に両の剣を抜く。右の剣は切っ先を自然に地面へと落とし、左手に握るソードブレイカーは胸の前へと持ってくる。

「……まあ、君が二つ返事で協力してくれないことなんてわかっていたよ。だからこうして準備しているわけだしね」

 エルベルトは話しながら白衣の内ポケットへ手を入れ、透明な小瓶を取り出す。

 小瓶には半分ほど赤黒い液体が入れられており、コルクによって栓をされていた。瓶の中で粘性を持って揺れるそれは、見ているだけでなにか恐怖や不安を掻き立てられる。

 エルベルトの笑みがより一層深くなる。嘲笑の色が濃くなったその表情を見て、二人の剣を握る手により力が入った。

「ソフィアさん」

 張りつめる空気に圧されながら、アイドは隣に立つ英雄の名を呼ぶ。

「気を付けて」

 緊張感の中、彼女も短く返す。

「まあそうドキドキしないでよ。これも楽しい実験なんだ」

 エルベルトは小瓶のコルクをキュっと抜き、横薙ぎに中の液体を振りまく。宙へと投げ出されたそれらは足元の五人に降りかかった。

 瞬間、二人の嗅覚を鉄の匂いが襲う。それはどこか獣臭い感覚を含んだものだった。

「血……?」

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