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 アイドが足を踏み入れたその空間は、あまりにも冷たくて、あまりにも寂しい場所に思えた。

 整然と積まれた石で作られたこの空間は、入り口が鉄格子だったことも相まって、この山の名前であるそれの印象を否が応でも持たされる。

「独房山ね……」

 なるほどどうして、要は独房があるから独房山なのだという誰からでもたどり着ける理に、もちろんアイドもたどり着く。

 しかし、疑問がないわけではない。

 仮にこれが誰かの牢なのだったとして、出入り口をわざわざ塞ぐように山へ埋める意味が分からないし、そもそもこんなところに牢を隔離しておく意味も分からない。

 疑問は山積みどころではなかったが、ひとまず彼はそれを脇に置いて、歩みを進めるしかなかった。

 火をかけたランタンを左手に持ち、進んでいく。

 コツコツとなる足音だけが、空間へと響く。

 しばらくそうして歩いていくと、足元や嗅覚に妙な感覚を覚える。

 水が弾ける音に気付いて、足元を照らす。

「えっ……うわ……なんだこれ、動物の血……?」

 そこには、永遠に続いていく赤が広がっていた。

 赤い、赤い、水たまり。端の見えない水たまり。

 たった今、そこで雨が降ったかのように乾ききっていないそれは奥を照らせば照らすほどに奇妙である。

 どう考えたって、どう見たって何かの動物一体分では足りない量の血液が広がっている。鼻を刺す鉄の匂いに襲われ、強烈に気分が悪くなる。

――――でも、それでも進んでみたい。

 手首の宝石がランタンの光を反射する。

 足元では赤い水が弾ける。

 歩いて。

 歩いて。

 歩いて。

 アイドは辿り着いた。

 この赤い水たまりの中心に。

 そこは部屋の位置としては最奥に当たる部分。直方体だった部屋の突き当り。

 相も変わらず石造りで無感情なその壁には、他の壁面とは明らかに違う装飾が施されていた。

 人形かと見まがうほどに美しい磔。四肢を杭で壁に打ち付けられた女性の姿だった。

 通常ならば、もがき苦しむ過程で肉は爛れ死に至るが、彼女はそうではない。しっかりと四肢はその体を支えており、うなだれてはいるものの健康体そのものと見まがうほどだ。

 それこそ、人体ではなく、ただの人形が壁に打ち付けられているだけのように。

「…………」

 アイドの息が乱れる。

 しかして彼にははっきりと、しっかりとそれが人形なんかではないことわかる。わかってしまう。

 床の血は黒ずんで固まってなどいない。つまりそれは、今、この瞬間でさえ、絶え間なく血が流れ続け、波紋となっていること。

 そして何よりも、彼女の胸は明らかに、そしてしっかりと呼吸のリズムに合わせて上下していること。

 そこから彼は、どんなに頭で拒絶してもわかってしまう。

 彼女は未だ生きている事実を。

「助けないと……!」

 その赤い液体の量よりも。なぜこんな状況なのかという疑問よりも。

 考えがどうしようもなく収束した時、体は既に彼女へと向かって駆け始めていた。

 手に持っていたランタンは落ち、衝撃音を立てて転がる。

 そんなことは気にしていられない。

 ただ、彼女のもとへ走れ!



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