第9話 アイツの背中

「桜庭、サンキュー。もぉ、ほんっとに助かったよぉー」


桜庭がいなかったら、あたしは一体どうやってあのピンチを切り抜けていたのだろうか。


「いい迷惑だぜ、まったく」


やば、怒ったかな。


ちろ……。


桜庭の顔を見る。


やっぱまずかったかな。


通りすがりの桜庭を、いきなり勝手に彼氏役にしちゃって。


まぁ、そりゃそうだよな。


「すまん……」


しゅんとうつむいたら。


「感謝しろよ、オレの名演技に」


コツン。


軽く頭をこづかれた。


見上げると、意外にもちょっと笑った桜庭の顔。


よかったー。


「うん。大感謝だ」


あたしも笑うと。


「でも、おまえ。ウソつくのホント下手だなー。っつーか、もしオレが来なかったらどうしてたんだよ。あの調子なら、キスのひとつでも迫られてた勢いだったぞ」


「えっ⁉︎」


キ、キスだぁっ⁉︎


「へ、変なこと言うなよっ」


「マジで。女にモテるのはわかってたけど。まさかここまでとはな。とにかくもうちょっとなんとかしないと、また来るぞ」


「また来る……。っていうか、なんとかしろったって。一体どうしたらいいんだよぉー」


女の子らしくしようと新たな気持ちでがんばっても、結果これだし。


そりゃ、髪型変えて身だしなみ整えただけだけど……。


中身も変わろうと試みてみたけど、そんな急には変われないし……。


あたしだってなんとかしたいよ。


もうこんなのまっぴらごめんだよ。


しゅん。


下を向いてうなだれていたら、桜庭がジュースを渡してきた。


「頭ひねれよ。簡単なことだろーが」


え?


アゴであたしをさす。


「おまえが、さっさと男つくればいーんだよ」


「お、男⁉︎」


「そしたら、さっきみたく諦めていなくなるんじゃねーの?」



あたしが、男をーーーーーー。



そっかー。


いつかは恋をしたいと思っていたけど。


『いつか』ではなく『今』もし彼氏がいたら。


確かにこんなことは起きないかも。


妙に納得していると。



「じゃあな」


「あ、桜……」


「いたーーーーっ」


後ろからのデッカい声に、あたしは振り向いた。


階段から下りてきた有理絵。


あ、やっばい。


みんな待ってたんだ。



「ひかる、遅いじゃーん。どうしたの?なんかあった?」


「ごめーん」


「どっか行っちゃったかと思ったよぉ。あれ?」


有理絵があたしの後ろに続く廊下を見て言った。


「桜庭じゃん。まだいたんだー。なにやってたんだろ、ひとりで」


遠ざかっていく桜庭の背中。


ポケットに手を突っ込んだまま歩いていく後ろ姿が、だんだん小さくなっていく。


あーあ。


もう1回、ちゃんと『ありがとう』って言いたかったのにな。


「行こ、ひかる。ジュース半分持つよ」


「うん」


教室に向かって歩き出したあたしは、ちょっとだけ振り返った。


遠くに見える桜庭の後ろ姿。



ーーー桜庭、ありがとな。



あたしは、心の中で小さくつぶやいた。





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