第3話『組織』

 例えば、こんなことを考えたことはないだろうか。

 誰もが自由だと考えている世界が、本当は誰かの範囲の中の自由しか与えられていない世界だとしたら。

 誰もが国や政治形態の無能を指摘し、悪辣な言葉をまき散らし、自分こそがこの国の、この世界の主人公だと信じ切っている世界が、本当はすべて、誰かの意志によって、そうなるように決められている世界だとしたら。釈迦の掌の上の、猿のように。

 おれはそんなことを考える子供だった。小学生の頃からそうだった。見て来たことや聞いたこと、今まで覚えた全部、でたらめだったら面白い。小学生の頃に聞いたロックミュージシャンが、歌の中でそう言っていた。おれはそれに強烈な共感を覚えた。毎日そんなことを考えていたからだ。いや、そうであって欲しいと願ってさえいた。


『組織』と出会ったのは、十六の頃。ちょうど、あの下人の行方を考えていた頃だった。


 どうにもならない事を、どうにかする為には、手段を選んでいるいとまはない。


 教科書に載っていたあの文学作品には、そう書いてあった。だから自分も、あの下人と同じように、手段を選ばないことに決めた。


『組織』が接触してきたのは、その後だ。

『組織』の力を借りるか、否か。彼らの問いかけはシンプルだった。


 どうにもならない事を、すでにどうにかしてしまっていた身には、選択の余地はなかった。おれはさして考える間もなく頷いた。


 程なくして、中村英之という、ありきたりの名前と存在は消滅した。『組織』には、そういう力があった。

 接触からわずか数時間後、おれは『組織』の構成員を育成する訓練施設に放り込まれ、『組織』の概要と存在理由を語る指導教官の言葉を聞いていた。

『組織』に名前はない。『組織』はただ『組織』と呼ばれている。誰もその存在を知ることはないし、記憶に残ることもない。この国には存在しないことになっている国家機密機関。それが『組織』。

『組織』は、この国におけるすべての情報を統制している。あらゆる情報を管理し、国民に触れていいものだけ、あるいは国民に触れていい形に変換したものだけを、国の中に流通させている。

 今日、テレビで流れていた話題は、どこから来たのか。

 今日、新聞に書かれていた記事は、どこから来たのか。

 今日、ネットの掲示板に書き込まれていた情報は、誰が書き込んだのか。

 流行、話題、噂。すべての背後に、『組織』は、いる。だが、誰もそれに気付いていない。気にすることがないからだ。


 かつて、この国が大きな戦争の中にあった頃、やはり同じように情報は統制されていた。大国アメリカに打ちのめされながら、それでも負けていない、我々は負けない、と国民を扇動し、離反する国民は力で押さえ付け、結果、泥沼の敗戦へと走らせたのは、『組織』の前身となる特務機関だった。大戦後、上陸した連合国軍によって、それら機関は解体され、国民は真実と、自由を手にした。


 だが、そのこと自体が、すでに操作された情報だった。


 彼らは学んだのだ。表立って情報を統制する必要がないことを。あらゆる情報を完全に統制することができれば、国民は必然的に同じ方向を向かざるを得なくなることを。

 戦後、『組織』はある試みを実行に移した。あるべき希望のモデルケースを国民の間で統一し、反対になる存在をチラつかせれば、人々はその存在を否定することに躍起になり、善悪の判断も忘れてしまう。そういう思考虚弱ともいうべき国民を意図的に作り出す試みだ。

 誰もが生きるのに必死だった大戦終了直後から、六十年代、七十年代初頭までは、まだその試みがうまく機能しなかった時代だ。国民は無能でも無知でもなかったから、自らの目で見て、自らの頭で判断して、発言し、行動していた。政治にも経済にも明るく、そのために暴動が起こりもした。

 試みが軌道に乗ったのは、七十年代の終わりからだ。そしていまでも、この国ではそれが完璧に機能し続けている。九十年代の終わり頃から広がり始めたインターネットの存在が、『組織』の活動を危ぶませた時期もあった。膨大な情報が国境を越えて流入するようになったからだ。だが、それらのツールがより人々に身近になるにつれ、生じ始めた情報の流動性、情報の自由化、情報の無国籍化という都市伝説クラスの与太話を信じ始めた国民の無知が、かえって『組織』の活動を安易にした。

 世界各国からの情報が乱れ飛ぶ日々になった今日こんにちに至っても、そのすべてを『組織』は統制している。国民は一人残らず自分たちが監視下に置かれ、接種する情報を制限されているとは気付いていない。半島の独裁国家を嗤う国の民が、実は自分たちも同じ状況にあることなど、誰が信じるだろうか。自国の政治家の無能を謳う記事を読み、嗤っている国の民が、その無能なはずの政治家たちが実はその記事を作り、裏で行っている真実の愚行を隠していると、誰が信じるだろうか。

 国を信じられぬと民が嘆く。だがその根底にあるものも、結局は『組織』によって操作された情報だ。国は、疑心を抱かせても、実際に国家打倒の動きに発展することがないように、六十年かけて国民を育てた。表層にあるものだけを信じる人間の浅はかな感情を利用し、その感情を長大に成長させた国民を育て、作り上げたのがこの国、そしてその尖兵である『組織』だった。皆で一斉に非難できるものを非難させ、熱狂できるアイドルに熱狂させる。国家の世相を嘆き、憂い、自慰行為に等しい感情たちをメディアに喧伝させながら、そういう国民を、人間を作り上げるために奔走してきたのが、『組織』だ。


 この国に信じていいものなどない。目に見えるすべてが、目に見えないすべても『組織』によって変換されている。


 指導教官が話す言葉を聞きながら、おれは高揚していた。


 本当にでたらめだったのだ。いままで目に見えていた世の中のすべてが。


 いくらか真実もあるだろう。例えばここへ来た理由。どうにもならない事を、どうにかせざるを得なかった理由も、いくらかある真実の一つだ。くそったれた真実の一つだ。だが、この国において真実とは、その程度のものだ。国家の安寧のため、無知で無能であって欲しい国民を作るために、ほとんどの真実は、『組織』によって管理、統制されていた。

 何を公にするのか。何を隠蔽するのか。何を考えさせ、何を語らせるのか。そのすべてを決定し、釈迦の掌の猿のように、自分たちは万能で、自由で、世界の主人公だと国民一人一人に思い込ませる。そういう人間たちが、本当に存在した。


 指導教官が話す部屋には、おれ以外にも何人か、同じように連れて来られた人間がいた。いずれも同じぐらいの歳頃だった。その顔には、様々な表情が浮かんでいたのを覚えている。『組織』に対する嫌悪感。話を理解できない、もしくは信じられない、といった、思考停止の表情。だが、おれのようにわくわくする気持ちで話を聞いていた人間は、おそらくいなかった。


 その後、訓練は始まった。

 情報を統制する、その尖兵となること。そのために行われた訓練内容は、多岐に渡るものだった。

 運動訓練から格闘術の訓練。時には銃火器の取り扱いや射撃訓練も行われた。さらに座学。戦闘に関する座学もあれば、国家、政治に関するもの、電子機器の取り扱いと、それらを使った効率的な情報統制の行い方まで、あらゆることを、文字通り、叩き込まれた。寝る時間はほとんど与えられず、考える時間もほとんど与えられなかった。あまりの過酷さに脱走を試みたものがいたらしいが、それ以来、そいつの消息は知れなかった。捕まったらしい、とだけ聞いたが、その後の事はおれたち訓練生の誰にもわからなかった。

 ただ、確かだったのは、指導教官たちにとって、おれたちは道端の石ころ以下でしかなく、使える奴だけは使うといった程度の、道具になってくれればそれでいいといった程度の感覚しか持ち合わせていない事だった。もちろん、言葉で言われたわけではない。誰かが聞いてきたわけでもない。だが、言葉よりも顕著に、おれたちを見る教官たちの目が、そう物語っていた。

 多くの人間が落伍した。いつの間にか姿を見なくなったものがほとんどで、理由はわからなかった。とにかく、いろんな奴がいて、次から次へ消えて行った。だが、おれは不思議と平気だった。

 真実を知らされたことで身が軽くなっていた。本当にでたらめだった世界から、真実を隠蔽し、真実を作り上げる側に回れることに、異常な高揚感を持っていた。

 それに、妹のこともあった。美雪。妹の存在は、おれが『組織』の一員になることを決定付けた。


 おれは、死ぬわけにはいかなかった。


 訓練は確かに苛酷だった。だが、明確な目的を持って、おれは日々を生き抜いた。

 そうしてどれほどの月日が流れたか。曜日も、日付の感覚も完全に失った頃、おれは訓練施設の会議室に呼ばれた。


 卒業だった。


 いよいよ本当に『組織』の一員として活動してもらう。そう言い渡された。

 そこで初めて、久しくしていなかった考える、という行動をした。これまでの訓練と知識で、自分は『組織』の中で何をするのだろうか、と。

 座学の方はまだ理解できた。情報戦を行うための情報を詰め込まれたいまの頭ならば、どこへ行っても真実を作り、それを信じ込ませることができる自信はあった。だが、軍隊じみた運動訓練や銃火器の取り扱いについてはどうだ。身を守るためにしてはあまりにも過剰な訓練ではなかったか。


 そこでおれに言い渡されたのは、『処理班』への配属命令だった。


『組織』には、様々な役割分担が存在するらしい。『情報班』や『清掃班』、ネット情報を専属的に取り扱う『電子班』などがあると、その時説明された。『処理班』も、そうした班の一つらしい。


 その役割は単純明快だった。


 情報源の抹殺である。


『組織』の統制はほぼ完璧だった。だが知りすぎてしまう人間もいる。それを見逃すと、情報は癌細胞のように増殖し、瞬く間に不要な恐怖心と不信感を募らせる要因となる。『処理班』の仕事は、そうなる前に、知りすぎた人間を抹殺することだった。完全なる情報統制を求めている国家は、そうした危険性を排除するためには、殺人も辞さず、許可することを選択していた。

 無論、殺人は本当に最終的な手段だ。それ以外の場合でも、『処理班』に抹殺された人々は大勢いる。『情報班』と連携して、法的な網を被せ、脱税やインサイダー取引といった、いかにもありそうな理由で収監される企業関係者や、それまでそんなそぶりはなかったのに突然少女を買い、それが訴えられ、児童買春容疑で地位も人気も失ったライターなど、指折り数えることは困難だ。そんな多種多様たる『処理』を行う『処理班』の中でも、おれが配属を命じられたのは実働部隊。つまり、暗殺任務のみを取り扱う係だった。


 あるべき国家の姿を守り抜くためには、個人の犠牲もやむを得ない。


 教官たちはそう言って締めくくった。


 あるべき国家の姿を守り抜くためという、一握りの人間が定めた論理。おれはそれを守るため、暗殺者となった。


 統制者になることを選び、その一部になることが出来たことを喜ぶ高揚感を持って迎えると思っていた卒業の言葉だったが、おれの頭は、しんと静まり返っていた。冷え切り、波さえ立たない頭の中で、過去の景色が静かに蘇り始めていた。


 自らのためだけに生き、産み落としておきながら、子どもを顧みることをしなかった母。


 突然父と名乗った男。暴力が支配した家。


 父に初めての女を奪われても、耐えることしか知らなかった妹。


 だから、おれは――


 これは報いか?


 どうにもならない事を、どうにかする為には、手段を選んでいる暇はない。そうして選び取ったことに対する、これは報いなのだろうか。


 おれの顔にはその時、笑みが浮かんでいた。


 もちろん、嘲笑だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る