閑話 緊急会議

 国家公務員には耐えなければならないものが3つあるといったのは、私の先輩だ。

 一つはマスコミ。なにかやろうとすると重箱の隅をつついて邪魔をしてくる。

 一つは馬鹿な議員。本当に頭の悪いのは手に負えない。

 そして、最後の一つが残業だ。

 この三つに耐えられるようになって、ようやく一人前だと、今や精神科のお世話になっている先輩は言っていた。

 まあ、だから私はそこまで気にしてないんだけど。あえて鈍感になるというのは重要なスキルだ。いちいち腹を立てていると身が持たない。だけど。

 

「だから、大渕くん。そこをなんとかできないか?」


 実際直面するとむかっ腹が立つのは間違いない。

 今電話してきたのは、別の官庁のなんとかいう課長だ。

 よくいる課長級らしく、どこからか御用を聞いてきたらしい。

 私は思わせぶりにため息をつく。


「ですから、そういったことは合同省庁会議を通していただかないと対応できません」

「そこを頼むよ。少しでもこっちも情報がほしいんだ。君も大塚先生は怒らせたくないだろう?」


 なんてこともないように言ってくるが、情報漏えいやら、パワハラやら、今は何でも問題になるのがわかっていないのだろうか? 

 自分で言うのも何だが、私自身若い身空(私はまだ若い!)で、庁内ではそれなりに立場をもらっているのはわかっている。だからたまにこういう頭の悪い勘違い親父が寄ってくるのだ。


「聞かなかったことにします。要件は以上ですか? でしたら失礼します」

「だからだね…」

 

 言いかけたのが聞こえたが、私はそのまま通話を切った。前だったらどんな嫌がらせが来るかわからないが、今は構うものか。

 少しだけすっとした気分になりながら、私は部屋に戻る。

 ダンジョン庁は毎日が地獄の日々だが、よその官庁にあまり遠慮しなくて良いのは数少ない僥倖だ。特にいまこんな状態ならなおさらだ。

 職員がバタバタ走り回っている廊下を抜け、目当ての部屋に入れば、そこは戦場だった。

 

「だから、これ以上人員を送るなら人をよこせ!」

「だから無理なんだ! そのために調査人員を組み替えて…」

「装備だって足りん! 調達部は何をやってる!」

「こっちだって一杯いっぱいなんだ!」

「できればこっちにも人がほしいんですけど。小学生にもわかるような資料を作らなきゃいけないんですよぉ…」


 そこにはいつもより若干声の大きい会議室が広がっていた。部長級たちが怒鳴り合い、うちの負担も考えろといがみ合っている。

 まあ、仕方ない。私はいつもどおりに中島課長の近くの席に向かって座ると、椅子においてあった資料に目を向ける。表題は『国際ダンジョン学会開催について』。隅の方に機密文書だというのがでかでかとマーキングされているそれは、内容的には薄っぺらい。

 つまり、川越第三ダンジョンの異変について、世界中の学者たちが集まることになっただけ。やることはシンプルこの上ない。ただ、その仕切を全部うちがやるっていうだけの話だ。

 世界中のダンジョン学の権威を一箇所に集めて、意見のヒアリングをやる。ただそれだけ。

 ただそれだけなのに、この国に来る学者たちの旅客機の手配、日程調整、会場の警備、機密の取り扱いについてどうするか、議員連中をどう相手するか、エトセトラエトセトラエトセトラ…。

 いま部長たちが怒鳴り合っているのは、この山積み業務をどこがどれだけ負担するかの陣取り合戦だ。ここで負けた部署は死ぬ。だからみんな必死だ。官房までもが珍しく主張してる。

 

「みんな必死だねぇ…」


 資料にこの間の件がどれくらい反映されているのか確認して、醜い大人の争いから目をそらしていた私は、気の抜けた声に顔を上げた。声の方を見れば、見慣れた顔が座っていた。


「三島教授、来てらしたんですか?」

「ご挨拶だねぇ。顧問が来るのは当たり前じゃないか?」

「10回に1度しか参加しない方に言われても困ります」

「おやおや…」


 そう言ってニヤニヤ笑っている中年オヤジ。相変わらず腹の立つ顔だ。

 

「せっかくの可愛い顔が台無しだよ?」

「ナンパなら間に合っていますが?」

「そういうのはその疲れた顔をなんとかしてからにしなさい。…ここは相変わらず修羅場だね」

 

 浮世離れした感じで議場を見渡すこの男、名前を三島祐介という。東城大学教授で、ダンジョン庁の研究顧問の一人。そしてかなりの変人だ。

 曰く、その私生活の殆どをダンジョンでのフィールドワークに費やしている。中で生活し、大学の授業もダンジョン内で行う。挙げ句は自身のゼミの学生までも駆り出してダンジョン探索するという、界隈では有名人だ。

 そして、ダンジョン庁の会議にはめったに出席しない。たまに来たと思えばすぐに帰ったり、格好が突飛で警備員に止められたりと、庁内では持て余しものになっているのも事実だ。

 私はじとりとした目で教授を睨む。


「公務員は大変なんです。教授にはわからないでしょうがね?」

「そう睨みなさんな。私も真面目に仕事をしているんだ」

「そんな格好で言われても困りますよ?」


 今日も教授はいつもどおりの格好だ。つまり、軍払い下げの防刃ジャケット、ズボン、軍用ブーツ。もはや守衛は止めるのを諦めたらしい。腰にロングソードを差していないのが唯一の抵抗の跡か。

 教授はおもしろそうに笑う。


「仕方ないさ。今日も穴蔵から出てきたところなんでね。…もちろんシャワーは浴びてきたよ?」

「そんなことは聞いていません」


 実にうざったい。だが、私程度の権限ではどうしようもない。

 本当ならとっくに首になっていてもおかしくないこの男がいつまでも顧問の地位を維持できるのは、ひとえにその実力による。

 今の日本のダンジョン。その魔物の出現傾向の大半を作ったのはこの男だし、それをほぼ毎週のように報告してくるのだ。何かあったときに連絡すれば調査班に確実に名乗りを上げる。人材難のうちの庁では実に得難い人物だ。…やっていることは教授というより探検家だが、優秀なのは間違いない。

 だから私も半分諦めている。来るたびになぜか絡まれるのも、恒例行事のようなものだ。しかし、本当に珍しい。


「…そんなお忙しい教授が今日はどうしたんです?」


 すでに会議は佳境を迎えている。今にも殴り合いが始まりそうなくらいだが、今回の一件を考えればまあそれくらいはやらないとお互い納得行かないかもしれない。それはつまり会議が始まってすでに30分が経過していることを示している。じきに長官がまあまあ、と言ってどうにかこうにか差配して終わる予定だ。つまりいつもなら教授はとっくに帰っている時間なのだ。

 私の疑問に教授はうんざりしたように眉を下げる。


「本当だよ。いつもみたいに調査書を提出して、目的を果たしたら帰るつもりだったのに」


 やれやれというように肩をすくめる。その方が良かった。私のストレス耐性的にも。


「でしたらもうお帰りになったらいかがです?」

「そうは行かない。目的がやっと来たんだ。これからだよ。これから」


 そう言って教授は私を見る。

 

「今まさに話題の川越第3ダンジョンの調査、担当は君だって言うじゃないか。ぜひ、お話を聞かせてもらいたいんだ。ダンジョン庁の、研究顧問として、ね?」


 いよいよ中島課長と調達部の大家部長が取っ組み合いを始めるのを横目に、私は手元の資料へと視線を戻す。


「…当面のタスクが片付いてからでもいいですか?」


 もちろん研究顧問の地位は、調査班の班長なんかより格段に上だ。要は上司命令。教授の返答はノーだ。どうしても今すぐ聞きたいらしい。

 残業に慣れた体は、すでに頭の片隅でタスクの調整を始めていた。

 こうして、私の仕事は今日も増える。早く帰って寝たい。

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