第四十話 帰宅大根

「おつかれさまです、マスター」


 オレが家に帰って倒れ込むように床に座り込むと、耳元でそんな声がした。

 のそりと顔を上げると、スマホの画面が目の前に迫っていた。その後ろから、人形がちょこんと顔をのぞかせている。


「…ああ、キーファか」

 

 画面にはすっかり見慣れたセクシー大根が、覗き込むような姿勢でオレを見ていた。やれやれというようにその首? のような部分を振る。


「どうされたんです? 今日はいつにもましてぼろぼろですが」

「あー、今日はひどかった…」


 オレは痛む節々を引きずるようにベッドまで進む。いつもの1DKがひどく長い道のりに感じた。

 オレの後ろを、人形に抱えられたキーファがついてくる。ベッドにドサリと身を横たえれば、サイドボードの上にそれを立てかけてどこかへ消えた。

 キーファが呆れたように言う。


「…本当にお疲れみたいですね? だから、私も連れて行ってくださればいいのに」

「お前を連れて歩けば、ソッチのほうが騒ぎだ」

「そこは、まあ、なんです? 頑張っていただくと言うか…」

「そうしたくないんだよ…」


 葉っぱの生えたスマホをかばんに忍ばせて歩くには、東雲は尖すぎる。今回の件だって、なかなかのヒヤヒヤものだったのだ。

 まず、出てきてからが大騒ぎだ。どうもゴブリンアーミーはオレたちのところに来たものだけではなかったらしい。他にも数組、潜っていた探索者が襲われたという。おかげでしばらくの間、ダンジョン庁だという役人が数人来てゴタゴタしていたのだ。まさかダンジョンで事情聴取なんて受けることになるとは思わなかった。

 東雲とほうほうの体でダンジョンから這い出ると、待っていたのはダンジョン内待機という規制線だ。なんでもダンジョンに急な変動があった際は、内部事情を把握するためにその時潜っていた探索者は全員事情を話す必要があるんだとか。受付の注意事項に書いてあるらしい。おかげで並ぶこと数時間、かなり時間を食ってしまった。


「…なるほど。そうなっているんですか」


 そんななんとも言えない苦労話をキーファにしていると、ふむふむと画面内の大根が訳知り顔? でうなずいた。

 

「よく彼女にバレませんでしたね?」

「…次に会うときのイイワケを今必死に考えてるよ」


 運がいいのか悪いのか、命からがら外に出ると、オレたちは待ち構えていた係員に囲まれるように保護された。かなりの混乱だったらしく、まだ戻っていない人やら、何かで怪我した人は救急車で搬送されるやらでかなりの大混乱だったのだ。

 何故か東雲は出てきた途端、係員の一人と話し始め、そのままどこかに行ってしまった。

 また後でと本人はいっていたが、そのまま東雲とは離れてしまい、帰るときに連絡を入れたがそのまま返事はない。言い訳を考える時間ができたと思うべきか、その暇もなかったと考えるべきか。

 悩みどころだが、今は少々疲れ気味だ。

 オレがそんなことを思っていると、カチャカチャという音がキッチンから聞こえてきた。頭を上げるのも億劫で目線だけで音の方を向けば、人形がカップを載せたお盆を持って歩いてくる。


「やっと、お湯の沸かし方を覚えたそうです。褒めてあげてください」

「…ありがとう?」


 人形はお盆をくいと持ち上げ、コーヒーをとれとばかりにオレの前に持ってくる。オレが礼を言えば、人形は小首をかしげた。


「…まあ、そんな事があったんだ。どう思う?」

「たぶん、襲撃されましたね?」


 ベッドからようやく身を起こし、人形をなでてコーヒーを啜る。入れる量を教えるために計量スプーンを買ったが、なかなかいい仕事をしたらしい。なかなかうまく入れられている。

 だが、胃に広がる暖かさとは別に、嫌なものまで飲み込んだ気分だ。


「…やっぱりか?」

「はい。マスターから伺って以来、前から気になっていたんですが、仕組みは私と同じようですね。ならやっていることは一つです。おそらくダンジョンマスターが、襲撃をかけてきたと考えられます」


 そういって、セクシー大根はうむ、とでも言うようにうなずいてみせた。オレは頭を抱えるしかない。

 理由は、よくわからない。わからないが、今までの問題から考えると、そうとしか思えないのだ。

 どういう理由か知らないが、探索者の常識というのは、いまいちダンジョン側の常識と乖離しているフシがある。ダンジョンができて何年も経つが、正直中身は殆どわかっていない。

 今回の件も、ダンジョン庁から来た係員は本当に困っている様子だった。試しに聞いてみればこんな事態が初めてで、果たしてどういうことなのか、これから本格調査に入るといっていた。おそらく、この世界で一番ダンジョンの前線で対応しているだろう係員たちが、その程度の認識なのだ。なんとか教授に連絡をとか言っていたから、それくらいは大事らしい。トラップかも知らないとかなんとかいう声もあったが、オレはそんなものではないのを知っているのだ。

 そう、オレはダンジョンがどういうものか知ってしまっている。

 東雲から聞いた、一般的な探索者常識は、ダンジョンを作る側からすれば明らかな非常識だ。上の階層は魔物が弱い? 上にドラゴンを置いて悪いルールはない。トラップは解除できる? 解除できないトラップは山ほどある。

 ダンジョンの作り変えに制約はないし、今回のような事をしようと思えばやること自体は、マナの残量を気にしなければ、簡単だ。正直想定できないものではない。

 ただこの世界のダンジョンは、なぜか知らないがそういうことを今までしなかったらしいのだ。

 なぜか行儀よく、探索者たちを迎え入れ、なぜか妙な経験則のようなものを提示し、なぜか、それをわざわざ守っている。そういう、よくわからない『なにか』が、東雲たちが相対しているダンジョンの実態だ。妙に行儀よく、そして、何かの意思の働いている、『なにか』。

 それはそのルールを曲げてまで、今回、牙を向いてきたのだ。

 オレは人形の持ってきたコーヒーを飲みこんで、ため息を吐き出した。人形が心配そうに見上げてきたので、またそれを撫でる。

 何がおきたのかは、全くわからない。

 だが、明らかな面倒事がやって来たことだけは確かだった。

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