閑話 ダンジョン庁会議室
「つまりどういうことですか? 中島課長?」
「調査課としては、報告したとおりです」
静まり返った会議室。いつものようにできるだけ平坦な報告をした声は、思っていた以上に響いてしまった。
俺、中島浩二には、仕事の上でいつも守っているルールがある。それはできるだけ目立たず、できるだけ平穏に、できるだけなあなあにことを終らせる、ということだ。
仕事ができれば余計な面倒事が舞い込むし、できなきゃできないで馬鹿な上司のパワハラが待っている。仕事を失わず、かつ長生きしたければ、そこそこの仕事をやり続けること。それが、二十年先輩役人たちを見て心底学んだことだった。
仕事に燃え尽きた末に色々こじらせて賄賂だか天下りだか痴漢だかで獄中生活に励む先輩方からのありがたい教訓だ。何事も程々が一番なのだ。
俺の報告を聞き、高山長官はいつもの、菩薩のような表情で顔を上げた。仮にも長官なんて肩書を持っているだけあって、しっかりと表情の繕い方は染み付いているらしい。俺たち役人の悲しい性だ。
だが、俺にはわかる。そんな笑顔でも、こめかみにしっかりと青筋が浮いている。ついでに言えば胃が痛いのを必死に堪えているらしいし、最近めっきり薄くなった頭髪の隙間から、嫌な汗がたれている。
しばらくの沈黙の末、高山長官はそのままの表情で口を開く。
「…もう一度、お願いできますか?」
「では、もう一度、お話させていただきます」
何度も説明するのなんて、頭の出来の悪いタイプの議員相手によくやった業務だ。いまさらそんなもの苦でもなんでもない。俺は改めて口を開いた。
「昨日、川越第3ダンジョンで、突発的なダンジョン改変事象が観測されました。その他、新種の魔物の複数出現、構造変化、負傷者が…」
「…もう結構、聞き間違いじゃなかったようだ」
手を上げて高山長官が俺の説明を遮ると、部屋のそこかしこから怨嗟に似たうめき声が漏れてくる。
この報告を受けたのは、ほんの数時間前だ。突然ダンジョンの状態が変化し、探索者たちに牙を向いてきたのだという。
もともと、ダンジョンの改変はたまに起こる事態だ。それだけなら良かった。どれほど良かったか。
さっきまで俺の独壇場だった会議室が嘘のようだ。ある者は頭を抱え、ある者はブツブツとなにかを口の中で計算している。なかなかなカオスっぷりだが、夜中の12時招集の緊急会議なんてこんなものだ。緊急というだけでも頭がいたいのに、そこにこの議題をぶち込んだのだ。安心しろみんな。俺も痛いよ。また胃潰瘍が再発しないことを祈るばかりだ。
俺が胃の痛みを我慢している間に、ハンカチで額を何度も拭っていた高山長官が口を開く。来た。
「…それで、中島課長、なにか、わかったことは?」
「…現時点では、何もありません。現状事実確認がようやく終わったところです」
できるだけ、重々しく聞こえるような響きを声に乗せる。この辺の塩梅が大事だ。俺自身もこの問題を重く受け止めておりますというのを全面的に押し出す。つまり、俺に責任はありませんと遠回しに伝えるのだ。
正直、初めての事態過ぎて何が起こったか全くわかっていないのだ。調査課の人員をなんとか割いて現場でこれだけのことがわかっただけでも褒めてほしいくらいだ。おかげでオレがやらねばならない仕事がまた山盛りになった。
だが、今回の突発的な異変は是が非でも把握する必要があったのだ。それが俺の仕事だ。
もちろん、長官もそのへんはよくわかっているのだろう。真っ青な顔でぐったりと椅子にもたれかかるその姿は、俺たち役人の行き着く先だ。長官は呻くように言う。
「…問い合わせは?」
「すでに数件来ています」
そう言って立ち上がるのは広報室の室長だ。毎度のことながら高血圧のせいで青筋がすごい。いつものように若干の早口で話し続ける。
「すでにマスコミがこの件を嗅ぎつけています。その他、資源調査企業からの問い合わせも多数。問い合わせに対しては、『現在調査中』と答えており、対応の検討が必要です」
今にもぶっ倒れそうだが、慣れた仕事のおかげか、なんとか言ってのけている。いつものように困った事態らしい。その報告のあと、更に一人立ち上がる。
「ついで、官房から報告させていただきます。この件について、数人の議員から国会での報告を求められています。できれば数日中に、と…」
笑顔でそう言ってのけるのは、さすがは官房付きだろうか。表情の取り繕いは完璧だ。議員や大臣の無茶振りにも笑顔で答えなきゃならない部署だからだろうか。内心は知らないが。
そんな話があちこちから聞こえる。どれもどこから聞かれた、なんと答えようかという内容ばかりだ。
長官は頭を抱えながら、総括するように言う。
「…さて、どうする?」
その一言で、会議室に沈黙が落ちる。誰も言葉を発さない。
ちらちらと見られる視線は感じるが、現状調査課でもこれ以上の情報は上がっていないのだ。俺も沈黙で返す。
ただひたすら無意味な時間だけが過ぎていく。もともと前提条件がおかしいのだ。
そもそも、ダンジョンがどうなっているかなんて誰にもわからない。少なくとも、ダンジョン庁ではそんなものは把握していない。ただ利益の関係で面倒事を押し付けられているだけだ。
俺自身、ダンジョン庁に異動になったときに現場に行ってみたが、少なくとも俺には理解できないなにかがそこにあるというのがわかっただけだ。大学教授や博士などから意見を聞いてみても、全員が全員全く違う話をするものだから役に立たない。共通してるのは全員常識では理解できないなにかだと口を揃えているということだけだ。要は、意味不明ななにか、それがダンジョンの実態だ。
それなのに、利益がどうとか、安全がどうとか、何からも板挟みになるのだからたまらない。
そんなものを相手にしているのだ。対応に困る事態なんて日常茶飯事だ。そのはずなんだがなぁ…。世間一般から理解が得られないのは、もうこの際諦めているからいいにしても、いざ対面すれば来るものがあるのは確かなのだ。おそらくここにいる全員がそうだろう。
なんの意見も出ないという気まずい会議の中、小さいため息が長官の口から漏れる。
「…ひとまず、調査委員会を開く、ということでいいかな?」
助けを求めるように俺を見てくる長官は、ようやくその言葉を口にした。俺がこの件で報告を受け、会議が始まる前に真っ先に長官に打診しておいた案だ。これで俺のこの会議での仕事は終わった。
会議室にいる同僚たちも、曖昧な、あるいはうつろな表情で追従してうなずく。
どうせ調査しても少なくとも数日で理解できるような何かは出てこないのだけは確実だ。どうせだれにもまともな説明はできないのだ。だったらどこかの偉い教授に意味のないうんちくでも語ってもらったほうが、まだマスコミ受けはしやすいだろう。
少なくとも、対外的な仕事はこれで終わりだ。だが、まだ安堵するには早すぎる。
このあと、おそらく広報室と共同でマニュアルの総点検をしなければならないのだ。おそらく調査委員会所属の教授の誰かと現地調査をして、現場にいた探索者に聴取をして、何が原因か調べ上げ、報告書を上げ、官房と議会やらへの報告をどうするのか協議してそれから…。
今後の仕事の段取りを考えているうちに会議は大臣たちへの報告のオブラートの包み方に変わっていった。広報室と官房でうまくすり合わせができなくて困っているらしい。長官はまた頭を抱えている。
重苦しい会議室で俺は小さく、誰にも気付かれないようにため息をつく。
普通に仕事をしているだけでこの有様なのだ。平穏無事な仕事をしていたはずなのに、なぜこうなったのか。
だれか、ダンジョンの取説でも持っていないものだろうか?
そんな妄想をしているうちに、会議が終わったのは深夜3時だった。今日も、7時から仕事だ。
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