第三十八話 攻防大根

 背中に熱気が迫ってきたのを感じて、慌てて東雲を抱えて床に伏せる。頭の上を火の柱が通り過ぎていく。これ、どうしよ?

 おそるおそる振り返れば、そこにいたのは恐ろしい形相の蛇の頭だ。それがぞろぞろ、それこそ雁首揃えてこちらを睨みつけている。見ただけでも5個の頭がじっとこちらを見ており、しかもその奥からも無数の赤い目がこちらを睨んでいた。

 そして、目の前には壁。明らかに詰みだ。

 しゅーしゅーと、いやな音がこだまする。頭の一つが、大口を開けてぬるりと伸びる。


「どおっ!」


 慌てて転がれば、体の横でがちんと嫌な音がする。見れば蛇の頭が横にあり、無機質な目と一瞬視線があってしまった。

 

「…やあ?」


 自分でもなにを言っているのかわからないが、口をついて出たのはそんな言葉だ。こんなの相手に言葉をかけてどうなるっていうだか。蛇はぬるりと引っ込んでいった。

 改めて蛇の方に目を向ける。そこは蛇の頭が壁のようになって道を塞いでいるのが見えた。見なきゃよかった。

 忌々しげに蛇たちはオレたちを睨みつけてくる。また噛み付く機会を伺うように、ちろちろと舌を出していた。蛇から目をそらさなかったのは、昔受けた山のサバイバル講習で、目だけはそらすなと教えられた賜物だ。しかし、今それがなんの役に立つ?

 どうする、どうする、どうする!

 蛇たちは恨めしげにオレたちを睨んでいる。オレはなんとか東雲を背中に隠すが、これにどれほどの意味があるやら。しゅーしゅーと、嫌な音が暗闇に木霊する。

 そうして、どれくらい待っただろうか。

 オレは蛇たちと睨み合っていた。そう、睨み合っていた。すると妙なことに気付く。蛇たちの視線が、チラチラとオレから逸れるのだ。その視線の先にあるのは東雲。なぜか蛇はオレをそこまで見ようとしないのだ。むしろ気にしているのは東雲ばかり。

 なぜだ?

 そう思ってみていると、更に妙なことに気付いた。蛇たちが、そこでずっと待っているのだ。

 コイツらが何をしている?

 さっきまで火を吹き、噛みつき、追いかけてきたはずだ。それがなぜか、出口を塞いでいるだけなのだ。やっていることはといえば、オレたちに逃げ道を塞いでいるだけ。やつらは何もしていない。そして何より。

 

「おい…?」


 少しだけ、蛇の方に向かって体をずらす。すると蛇が少しだけ身を引いた。

 更にずらすと、蛇の顔が忌々しげに更に引っ込む。だが、それを好機に見たのか、蛇の顔が東雲に伸びる。オレはその前に体を出した。一瞬蛇の牙がギラリと光るのが見え、がちんと音がする。だが、衝撃はない。

 キスでもしてしまいそうな距離だったが、蛇はそこで止まっていた。


「…!」


 しかし、連中はそれしかしてこない。蛇は忌々しそうにオレを睨むが、そこまでだ。蛇はまたぬるりと奥へと引っ込んでいく。

 なぜかは知らない。だが、この蛇はオレを傷つけられないらしい。

 その後も何度かそんなやり取りがあったが、蛇は東雲を狙うだけでオレが盾になれば東雲に手を出せない。

 

「…はあ、はあ、そろそろ諦めてくれないか?」


 もう何度目だろうか?

 蛇が首を伸ばそうとするとこをオレがかばい、蛇が首を引っ込める。たったこれだけのやり取りだが、俺の体力は限界だ。

 どうも連中? は、オレを避けて、東雲にだけ飛びかかりたいらしい。オレが東雲の前に立ってから、例の火炎放射がこちらに向かってこない。オレが邪魔でそれができないらしいのだ。だがそれだけだ。

 オレではここから抜け出せないし、ここからどうにかできる算段もない。はっきり言って詰みだ。

 蛇たちもそれがわかっているのか、さっきからちょっかいをかけるように、つついてくる。

 これでオレが息が上がれば詰みなのだ。それを連中もわかっているんだろう。徐々につついて、オレが終わるのを待っているらしい。

 このままじゃジリ貧だ。

 こんな状態でも、オレにできることは本当に少ししかない。

 この状況をなんとかしようと思ったら、情けないことにオレにできることはせいぜい東雲を起こすことだけだ。

 

「…く!」


 東雲を蛇からかばいながら、背中のリュックを脱ぎ捨てる。がらんと中身が音を立てた。

 蛇がまたぬるりと伸びて、東雲に牙を突き立てようとするところに腕を伸ばす。危うく牙が突き刺さりそうになったが、すんでのところで蛇は動きを止めた。

 コイツラは何なんだろう?

 素直な疑問だったが、答えはない。キーファの内部資料にこんなやつは載っていなかった。何か違いでもあるんだろうか?

 足でリュックを蹴って、中身を外に放り出す。非常食やら、包帯やら、いろいろなものが転がりでた。

 よし。

 その中の一つに手を伸ばす。


「…!」


 何が起きたかわからなかった。一瞬目の前に橙の閃光が広がった。顔に熱が広がった。

 何があったのかと見れば、蛇が火を吹いたらしい。

 少し髪が焦げた、嫌な匂いが広がった。

 

「…でもそこまでなのか」


 髪は焦げた。でもそれだけだ。

 蛇は何をやっているのか?

 オレにはよくわからない、なにかがある。いきなり出てきたゴブリンアーミー。その後のこの蛇だ。おそらくなにかしらの意図が働いている。だが、それがなんなのか。

 ひょっとすると、これがダンジョンマスターの手がかりなんだろうか?

 まあ、それもこれも、今は東雲とここを脱出するのが先決だ。

 オレは転がった荷物の中から、一つの小瓶を取り上げる。

 これが唯一の希望だ。あとは、少しずつ後ろに下がれば。

 

「…な!?」


 そう思った瞬間、蛇がオレの胴体に絡みついた。そして、まるでオレなどいないように、ぐいと力任せに脇にどける。

 

「はなせ! おい!」


 オレが邪魔なら、オレをどかせばいい。そのことに、いよいよ気づいてしまったらしい。蛇は体を伸ばして、オレをどける。まるで子供が大人によってどけられるように、本当にひょいとした動作だった。何故か傷つけないようにはしているが、そこには有無を言わせない力があった。

 そしてオレを壁に縫い止めると、蛇の頭がのそりと動いた。ゆっくりとした動きで、東雲に向かう。

 もう時間がない。

 なんとか片手で小瓶の口を開けた。


「…東雲!」


 この一投に成功しなければならない。そんな義務感からの言葉だった。

 幸い拘束もされていなかった腕のおかげで、思っていたよりスムーズにそれは繰り出される。

 蛇が、ぬるりと東雲に迫る。

 小瓶が東雲の上に落ちる。

 ギラリと蛇の牙が光る。

 そして。


「…!」


 一瞬、通路が光に満たされた。

 まるでカメラのフラッシュでもたいたような光で、オレは目が開けていられない。こんなの説明になかったぞ。

 そして目をつむった瞬間、なにか、風のようなものが通路を舞った。

 それは本当に一瞬のことで、旋風のようにオレの前を通り過ぎていった。そして。


「…大丈夫ですか、先輩?」


 そんな聞き慣れた声が聞こえた。

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