第三十二話 恐怖大根

 誰でも大勢の前に立てば緊張するだろう。

 そして、その大勢が明らかに殺してやるという目を向けてくればどうか。

 俺の場合は思わず後ずさりしてしまった。

 げぎゃぎゃぎゃと、東雲に聞いていた通りの鳴き声を出し、明らかに得物に向けるような、血走った目を俺に向けている。


「お、おい、東雲…」

「大丈夫です。入らない限りは」


 なんとか東雲をかばおうと、前に出れば、手で制されてしまった。そんな扉を開けるところにいて大丈夫なのか、と聞けば、東雲はいつもの様子でそう返す。こちらがびっくりするくらい冷静だ。

 確かに冷静になってみればわかる。扉の向こうでは明らかに俺のことを今か今かと待ち受けているが、ゴブリンたちはこちらを見るだけで扉の向こうからは出てこない。

 そういえば、魔物は徘徊領域の設定ができるんだったか。コイツらは部屋から出てこない設定になっているらしい。

 

「…東雲、頼むから心臓に悪い講習は勘弁してくれ。出てこないようだから良いけど」

「…さすが先輩。冷静になるのが早いですね」

「そんなところ褒められても嬉しくないぞ?」


 いつもなら、腰を抜かすとか、逃げ出すとかするんですがと、なんでもないことのように言いよってからに。


「こんなこと講習でやって大丈夫なのか?」

「素人はまず恐怖を教えるっていうのがうちの基本方針です。それで危険を感じたら逃げるっていうのを癖にさせます」

「…なるほど」


 人間恐怖がいきなり目の前に現れたら、まず体が固まるだろう。そうしているうちに状況が悪化、結果的に逃げられなくなる、というのが基本的な素人の死にゆく流れらしい。

 だから最初に徹底的に恐怖に触らせて、固まらずに逃げられるようにするんだとか。そのためのゴブリン部屋。なんでもここはゴブリンのモンスターハウスで、入ればまずいが中から出てこないので最適なんだとか。


「だいぶスパルタだな…」

「素人に変な真似されて怪我させないための処置です。流石にこれくらいびっくりさせれば、まず恐怖で固まるのが先に来ます。中途半端だと、たまに群れに突っ込んでく人もいますので」


 英雄願望かパニックか。たまにそんな風に錯乱する人もいるらしいのだが、流石にこの数いれば問題ないとのこと。

 中身を見た限り、見える範囲で数十匹はいる。確かに怖い。


「…まあ、先輩はまず第一段階はクリアですかね」

「大丈夫なのか、逃げられなかったけど」

「固まってませんでしたからね。はじめての素人にしては上出来です。なにかやってたんですか?」

「俺にそんな心得があると思うのか?」


 ただなんとなくで東雲の方に体が動き、ただなんとなく知識があったからすぐ冷静になれただけだ。こう考えるとキーファに感謝だな。

 内心冷や汗をかいていたが、東雲的にはOKだったらしい。一つうなずく。


「まあ、良いでしょう。では今日のうちに次もやってしまいます」

「段階進むの早くないか?」

「構いません。どっちにしても今日やるか明日やるかの違いです」


 そう言って、東雲は開け放った扉の前に立つと、ずっと抱えていた刀を左側の腰のあたりで片手に持つ。もちろんゴブリンたちは扉の向こうから東雲をガン見している。


「お、おい?」

「先輩ちょっと離れててくださいね」


 ほとんど目と鼻の先でゴブリンがげぎゃげぎゃと騒いでいるのに、そんなものいないとばかりに俺に注意する東雲。いや、おい。


「…東雲?」

「問題ないですから。…そうです、そのあたりまで下がっていてください」


 さっさと下がれと言わんばかりだが、まず自分の心配をしろと言いたい。流石に設定があるにしても、後ろから押し合いへし合いゴブリンが殺到しているのだ。最前列のやつなんて、もう牙が服をかすめそうになってるぞ。

 俺は心配しながらも言われたままに距離を取る。5メートルくらいか? 俺が下がったのを見て、東雲もうなずく。


「では、今度は実際に先輩に戦っていただきます。棍棒の素振りをしておいてください。ちょっと準備に時間がかかりますので」

「…戦う?」

「はい」

「だれと?」

これら、、、とです」


 ここで戦える相手なんて、今東雲との握手に全力を注いでいるゴブリンしかいないわけで。もちろんそれが東雲的にはあたりまえ、らしい。俺には当たり前じゃないぞ?


「…東雲?」

「大丈夫ですから、ご心配なく」


 そう言って、東雲は刀を構えて、少し身をかがめた。そう見えた。


「…え?」


 次の瞬間、東雲に群がろうと扉のところに殺到していたゴブリンが、一気に光の粒子になって消える。

 

「ふむ…」


 東雲を見れば、持っていた刀をいつの間にか片手で抜き放ち、小さくうなって構え直す。そして構え直した刀は、すぐに光の筋になる。

 

 げぎゃ…。

 

 小さく聞こえたのは断末魔なのか。なにかそんなことを言い残して、また最前列のゴブリンが消える。後続のゴブリンも流石に異常事態に気付いたらしい。悲鳴っぽい声を上げて、今度はなかに向かって駆け込み始めた。それを見る東雲のメガネが怪しく光ったのが、俺に確認できた全てだった。

 次の瞬間には、東雲は消えていた。

 なにが起こっているのか、というのは簡単だ。さっきまでそこで聞こえていた断末魔が、今度は部屋の内部のあちこちから聞こえる。剣戟の音はしない。ただ足音、悲鳴、足音、悲鳴と、その順番がひたすらに聞こえてくる。

 

「うわぁ…」


 思わず中を覗けば、そこは一方的な殺戮ショーの真っ最中だ。

 部屋の中は結構広い。体育館くらいはある。その中でゴブリンたちが、慌てふためきながら駆け回っている。さっきまであんな凶暴そうだった顔に浮かんでいるのは、紛れもない恐怖だ。

 まあ、気持はよくわかる。その恐怖の対象は東雲だ。

 東雲はといえば、いつもの無表情で息を切らす事なく、滑るように走りながら逃げるゴブリンを追い回している。そして、多分間合いなんだろう。一定距離にゴブリンが入ったかと思うと、さっき見たような一条の光がゴブリンにむかって振るわれる。あとに残るのは、ゴブリンの断末魔と光に消えていく彼らのみ。いや時代劇でも、ここまでひどくないだろう。

 俺は頬を引きつらせながら、それを見守るしかできない。

 ゴブリンも気の毒に。

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