第三十一話 印象大根

ダンジョンの中に入ったオレが最初に感じたのは、不思議な匂いだった。

 入り口の洞窟感からして、砂や土とかそういう匂いなのかと思っていたが、それだけじゃあない。土の匂いも確かにするが、それに混じってなんとなく、甘い匂いがする。

 東雲が言うにはだいたいどこのダンジョンも、特に入口付近は似たような匂いがするらしい。

 原因はわからないがダンジョン臭と言われていて、ダンジョンを見分ける目安のひとつなのだという。なんとも不思議なものだ。

 不思議といえば、今歩いている空間もそうだ。例えばこの通路。壁は見るからに天然の洞窟なのだが、足元は踏み固められた地面になっていて、実に歩きやすい。毎日あの人数が出入りしていればデコボコしてきそうなものだが、足跡一つないのだ。

 例えば角度。今オレは、なんの痛痒もなく歩いて奥に向かって真っすぐ歩いているが、すでに歩いた距離は店の奥を確実に突き抜けてしまっている。段差もない、勾配もない、それなのに、あるはずもない場所に空間がある。

 上げていけばきりがない。


「…どうですか、ダンジョンは?」


「…いやぁすごいな」


 オレは周りをキョロキョロ見回しながら答える。東雲はオレの様子を気にしながら、相変わらずゆっくりと先導してくれていた。

 本当にすごい。ただ、ちょっと普通の人とは感動のポイントがずれたかなとも思う。

 例えば、あの入り口だ。アレは転送門という装置、の50ポイントで設置できる一番安いやつだ。どこか平地の壁に設置すれば、そことダンジョンの区間をつなげることができるというもの。たしかゲート系では一番安かった。

 例えば通路。これは領域設定の中でも安めの洞窟通路だ。ところどころ切り込みが入り、おそらくツギハギのとき、あまりうまくできていないことが伺える。そんなよくわからない感動だ。

 じつはここに来る前、オレはキーファの内部資料をあらためて熟読してきたのだ。そもそも、オレがダンジョン講習を受けたのは、ダンジョンの世間の認識を確認しておきたかったというのが大きい。

 そう意気込んできたのだが。


「…うーむ」


 入って20分が経っただろうか。

 オレは唸っていた。


「どうしました、先輩?」


 先を歩く東雲が立ち止まり、オレを振り返って首を傾げた。

 東雲がすごいというのは聞いていたが、さっきからペースも落とさず、スタスタと先へ行ってしまう。おっかなびっくり歩いているオレとは大違いだ。手に棍棒、背中にリュックを背負っての工具んだから地味に辛い。

 だが、そんなオレだからこそ思うこともある。


「…さっきから全く人に会わなくないか?」


 20分歩き通しなのに、人っ子一人いないのだ。

 ゴブリンどころか、他の探索者もいやしない。

 あれだけ入り口にいたののだから中ですれ違っても良いようなものなのに。


「ああ、それは当たり前ですよ」


 そういう東雲はそんなことかというように歩みを再開する。


「そもそもそういう場所を目指してますから」


いやいや。


「命の危険もある場所なんだろ? それで人っ子一人いないようなところはまずくないか?」


「普通はそうですね。特に先輩は、その恐怖というか、その感覚を忘れないでください。最初はできるだけ人の多い方を目指す感じで行ってください」


 実入りこそ少ないが、そういった場所のほうがまず間違いなく生き延びられる確率は高いらしい。だから初心者は、最初にある程度おすすめルート(どこのダンジョンにもあるらしい)を受付に聞いて、そこを歩くのが定石なんだとか。なるほど?


「じゃあ、なんだってその定石から外れたところを歩いてるんだ?」


「まず最初にやるべきなのが、モンスターの対処法だからですね。こっちです」


 そう言ってすたすたと東雲に連れられていった先にあったのは、木の扉だ。

 

「ここですね」


 唐突に洞窟の通路に現れた扉は違和感の塊だ。明らかにおかしく、あまりお近づきになりたくない雰囲気がビンビン漂ってくる。それなのに東雲はその扉をしげしげと眺めたあと、さっきと変わらない足取りで近寄っていく。


「お、おい、東雲、大丈夫なのか?」


 その堂々とした歩みにこっちが気圧されてしまう。流石に危ないだろうと思って声をかけると、東雲の何してんですかという視線が飛んでくる。


「何してるんです?」


 それを普通に口に出しやがった。いや、そうじゃなくて。


「そんなに不用意に近づいて大丈夫なのか?」


「良い判断です。扉自体に罠が仕掛けられている場合もありますからね。場合によったらアウトです」


 それはもちろん知っている。罠マニュアルを呼んだからな。扉に近づいた辺りに感圧センサーを置いておくのが良い手順らしい。

 じゃあお前はなにをやってるんだといえば、東雲は自分は大丈夫なのだとのたまいやがる。


「私、『危機感知』のスキルがあるんです。危なくなったらわかりますよ」


「スキル? スキルってあの貴重で有名なスキルか?」


「ええ。ちょっと探索のときに偶然手に入れまして、結構便利ですよ?」


 それは便利で済ませて良いものなんだろうか?

 首をかしげるオレをよそに、東雲は早くこっちにとでも言うように手招きをする。


「これから、ここでゴブリンの対処法についてやります。先輩がやらないと始まりませんので」


「まあ、そりゃそうだが、大丈夫なのか?」


 準備ショップの店主からも聞いたのだが、ゴブリンを倒すのは最初が一番大変らしい。地味に人型だし、それまで喧嘩もしたことないようなやつが相手をするのはけっこう大変らしい。それに。


「なんか、最初はもっと入口の手前あたりの通路をうろつくのがセオリーなんじゃないのか?」


 倒すのに慣れたければ、もっと入口の近くをうろつくのが常套手段だそうだ。そこならすぐに逃げ出せるし、大声を上げれば救援も期待できる。少なくとも、オレたちは20分は中をまっすぐ進んできた。どう考えてもかなり奥だ。


「大丈夫です」


 その懸念を伝えれば、東雲は一つうなずいて答える。

 そして、ガバリと扉を開けた。


「ここ、ゴブリンのリポップ部屋ですから」


「…はい?」

 

 部屋の中で、無数の目が一斉にこちらを向いた。

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