鬼4

「落ち着いた?」

 横でタオルに顔を埋める八上さんにぎこちなく声をかける。

 あのあとすぐに救急車を呼ぶと、ものの5分もたたずに到着し、彼は病院へと運び込まれていった。彼の容態なんかは全く分からなかったが、まだ息があるということだけは駆けつけてきた人たちのやり取りで分かったため、俺も八上さんも少しだけ安堵した。

 その後俺たちはというと、事情聴取をしたいということで、救急車とともに来たパトカーで警察署へと連れて行かれた。当然、俺なんて聞かれても答えられることなんかほとんどないわけで、30分程度で終わったが、起こったことの全てを見ていた八上さんはやはりそんなに簡単には終わらなかった。


 顔が焼けただれてしまった彼の名前は井上隆史。昨日、八上さんに告白し、見事に撃沈した彼だった。

 今朝、いつも通り一人で登校をしていた八上さんは彼から声をかけられた。昨日の今日ということで八上さんは気まずく思ったが、昨日は素直に答えてくれてありがとう。これからも友達として仲良くしてよ。と爽やかに言ってくれた井上に安堵し、一緒に登校することにした。

 彼女は気付いてはいないが、井上、彼の勇気は素晴らしい!同じ男として涙が出てくる……!

 まあ、そんなことは置いておくとして、最初はなんとなくよそよそしかった会話も弾み、昨日のことなんて忘れかけた時だった。

 突然燃えたのだ、顔が。自然発火というのだろうか。井上の爽やかな顔が、みるみる真っ赤な炎に包まれていった。

 初めは彼の断末魔が響いていたが、そのうち煙で喉が焼け、それも聞こえなくなったらしい。八上さんはなにもできず、ただ慌てふためくしかなかった。そうこうしているうちに、井上の顔全体の皮膚が焼けただれると、満足したように一瞬で炎は消えたらしい。

 その後、八上さんは助けを求めて人を探したのち、曲がり角での俺との遭遇にいたるというわけだ。


「………」

 八上さんは答えない。

 さっきから落ち着いたと思いきやまた泣き始めたりと、見たものを考えれば当然と言えば当然だが、女性との接点がほぼゼロで生きてきた俺にはどうしていいのか分からず、なかなか居心地の悪い状況だった。

「飴……なめる?」

 偶然ポケットに入っていた飴をおずおずと差し出すと、八上さんはコクリとうなずいて受け取った。久しぶりにあげた八上さんの顔は散々で、泣きすぎた目が真っ赤に充血し、腫れぼったくなっている。ただでさえ色白な顔は血の気が完全に引いており、青みがかっていた。

「まだ来ないね」

 かれこれ30分ほど動きのない待合室の扉を何気なくうらめしそうにみる。事情聴取も終わり、俺たちは保護者が迎えを待っていた。

「えっと、八上さんって2組だっけ?」

 沈黙に耐えられず、当たり障りない世間話をふる。ちなみに俺は4組だ。

「ううん、3組……」

 お、意外と答えてくれる。

「3組か!3組って言うとあれだよね、副担任がオネエみたいな世界史の……」

 なんとか話題を広げようと必死になった俺を八上さんは、あのさと被せた。

「なんでそんなに普通なの?」

 その口調は責めている様子ではない。言葉の通り、平気な様子の俺が不思議でならないようだった。

「あんなことがあったんだよ?源間くんは、なんで平気でいられるの?」

「そ、それは……」

 思わず口籠ってしまう。何故平気でいられるかなんて、平気だから平気なんだよとしか答えようがない。これは俺が登場人物の心情がわからないくらい国語力がないためか、それともそもそも答えなんてないのか。

「そんなことないよ。俺だって動揺し……」

「慣れてるから」

 俺の答えを遮るようにして、この空気に場違いななんとも涼しげな声が響く。

「ひろくんは、こう言うことに慣れてるのよ」

「あ、阿部先生……?」

 いつの間にか音も立てず部屋に入っていた晴香さんは、薄く笑みを浮かべながら驚きに目を丸くする八上さんにゆっくりと近づいていく。どうやら俺の保護者の方が先に到着したらしい。

「ひどい目にあったわね」

 よしよしと頭を撫でる。口元は微笑んでいるが、恥ずかしそうに視線を落とした八上さんを見る目は、何かを見定めているようだった。

「そ、そう言えば井上くんは……?」

 一瞬少し緩んだ表情も、その言葉を口にしてまた硬くなる。それに対して、晴香さんも口元の笑みを消した。

「幸いにも命に問題はないわ。ただ、顔の火傷は皮膚移植したとしても完全には治らないみたい。あとは、煙をたくさん吸ったせいで肺の火傷がひどいんですって」

 肺の火傷という言葉を聞いて、俺は昔見たラッシュという映画のニキ・ラウダの肺から膿を吸引するシーンを思い出して気分が悪くなる。改めて被害の大きさを再実感させられた。

「そんな……」

 それは八上さんも同じようで、言葉にならないと言った表情を浮かべる。そんな彼女に晴香さんは、拳一つ分くらいの距離までぐっと近づくと腰を折って目の高さを合わせた。

「可愛くてとても魅力的」

「え?」

 動揺する八上さんに意味深に目を細めて見せると、晴香さんは続けた。

「でも無自覚な上に、無防備。悪気なくそれを振りまいてしまう。ああ、なんて罪な女なんでしょう。まるでユリアね」

 そういうと腰を伸ばして、うーんと伸びをした。

「まあ、気をつけなさい。これ以上お友達の顔を”鬼”に焼かれたくないなら」

「な、なんですか、鬼って……?私何か……」

「美津!」

 ガチャリという音とともに、美魔女と呼ぶにふさわしい非常に美しい中年女性が待合室に飛び込んでくる。

「美津!大丈夫なの!?」

 俺たちには目もくれず、その中年女性は八上さんを抱きしめた。きっと八上さんの母親であろう。その目には涙が浮かんでいた。

「さ、帰りましょ、ひろくん。鬼退治しなくちゃ」

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