シャングリラの開闢2

 屋上から躍り出たフランク・シナトラ。彼はSVDを肩に担ぎ、エスプレッソの缶コーヒーを仰いで空き缶を放り捨てた。

 空き缶は軽やかに地面を跳ね、残ったエスプレッソを黒い血液のように撒き散らしながら地上へと投身する。


「生きているということはクイーン・ハートを殺したか。まあ、君なら彼女を殺せると思っていたよ」


「万里の長城では世話になったね。またあの時のように助けてくれないのかい?」


「あれはただの気まぐれだ。満身創痍の君を殺すことは僕のプライドに反した。ただそれだけのことさ」


「できることならあなたとは戦いたくない。だが、どうしても私の邪魔をするというのならあなたを殺さなければならない」


「残念ながら僕は君の邪魔をしなければならない。これはビジネスだ。そして、僕はイタリアン・マフィアだ。僕にも立場というものがある」


「では、戦うしかないな」


「くくくっ、君とさしで戦えるなんて光栄だ。この戦いは誰にも邪魔させない!」


 ドラグノフは素早く弾丸を撃ち尽くした。が、それらは龍凜を狙ったものではなかった。

 周囲の敵がばたばたと倒れる。その中にはイタリアン・マフィアも混じっていたが、ドラグノフは気にも留めずにSVDのリロードをする。


「ルージュ、ドラグノフとの戦闘に集中したい。敵が現れたら発砲してくれ。倒せなくてもいい、足止めできればそれでいい」


「わかった。ドラゴン、信じているぞ」


「私もだ。君ならできるよ」


 日本刀を上段に構える。深呼吸して精神を研ぎ澄ます。

 うまく使えば、日本刀は攻撃にも防御にも特化させることができる。マガジンの弾丸が底を突いてリロードした時、一気に接近して斬る。

 頭部と心臓を狙ってほぼ同時に発射された二発の弾丸。龍凜はタイミングを見計らって日本刀を振り下ろす。両断される弾丸たち。脚を狙われるが、さっと身体の重心をずらして躱す。腹部を狙った弾丸は日本刀を横に薙ぎ払って弾く。最小限の動作で弾丸を回避していく。

 紅姫も遮蔽物を利用しながらグロック42で敵を足止めしていた。フランはというと、遮蔽物に背中を預けて両腕で膝を抱きながら座っていた。


「龍凜、君はサムライらしくないが、技術では他のサムライを遥かに凌駕している。君ならショットガンの弾丸でも斬れそうだ」


「日本刀にはサムライの魂が宿っている。サムライは何かを守るために戦う。私も同じだ。愛する者のために戦っている。あなたに理解できるかな?」


「さあね。僕には愛する者はいないし、僕を愛してくれる者もいない。僕は己のために戦っている。己のプライドのために戦っている。プライドなくして生きている意味はない。僕はプライドを守るために、君は愛する者を守るために戦っている。僕たちが戦う理由は同じさ。結局、僕たちは生きる意味のために戦っているのだから」


 ドラグノフの言葉が龍凜の琴線に触れる。

 かつての龍凜には生きる意味がなかったが、藍姫と出会ってそれを得た。彼女の死で一度は生きる意味を失ったが、紅姫と出会ってそれを取り戻すことができた。


 ――龍凜にとって、生きる意味こそが戦う理由だった。


 一発の弾丸を両断した刹那、もう一発の弾丸が刀身にヒットした。刃が欠けた部分だったため、亀裂が入ったかと思うと刀身はちょうど半分に折れてしまった。

 いや、まだいける。リーチは短くなったが、まだ斬れる。日本刀は折れたが、サムライの魂は折れていない。

 SVDの残弾が少なくなってきて、一歩ずつ前に進む龍凜。残弾を気にかけることなく、冷静に正確無比な弾丸を放つドラグノフ。残弾はあと一発。両者はごくりと固唾を飲んだ。

 最後の弾丸で決着はつかない。クイーンとの戦闘と同様に、刃物と近接格闘になることは免れないだろう。


「さすがだ、龍凜。僕の正確無比な弾丸が全く当たらないとはね」


 最後の弾丸が撃ち放たれた。

 弾丸が折れた日本刀の刀身によって砕け散る。日本刀と弾丸の欠片が空中に飛散する。ナイフのごとく短くなった日本刀でSVDの銃身を切断する。

 ドラグノフの喉を切り裂こうとしたが、龍凜は腹部に鋭い痛みを感じて飛び下がった。

 腹部にはナイフが刺さっていた。それも、刀身の半分以上が腹部を貫いていた。スペツナズ・ナイフだ。


「龍凜、僕のプライドは傷だらけだ。狙撃で君を殺したかったが、こうもプライドを傷付けられては手段を選んでいられない。やはり君は狙撃では殺せない。僕がこの手で殺してやる」


 ドラグノフの両手にはスペツナズ・ナイフが握られていた。

 これは厄介だ。近接格闘でナイフとして使用することができる上、先ほどのように刀身を発射することもできる。どうやらスーツの内にいくつも仕込んでいるらしい。

 腹部に深く刺さったスペツナズ・ナイフを引き抜くと、シャツにじわりと血液が滲んだ。幸い、内臓は損傷していなかった。

 龍凜は歯で折り畳まれたナイフを開いた。

 左手には逆手のナイフ、右手には折れた日本刀。これでなんとか対抗できる。あとは近接格闘の差だ。

 両者は同時に動き出した。

 振るわれたスペツナズ・ナイフを日本刀の鍔で防ぐ。もう一方のスペツナズ・ナイフの刀身が発射されるが、首を傾けて紙一重で避ける。ナイフで突きを繰り出す。左手首を掴まれたかと思うと、日本刀の鍔で防いでいたスペツナズ・ナイフの刀身が発射される。刃が首の皮を切る。どうやら注意が疎かになっている間に角度を調節されていたらしい。

 ドラグノフはスーツの内からさらに二本のスペツナズ・ナイフを両手に取った。


「一体何本のスペツナズ・ナイフを仕込んでいるんだい?」


「当ててごらん。まあ、正解がわかったとしても死ぬことになるだろうがね」


 刃が右腕を掠める。ドラグノフが懐に入ろうと力強く足を踏み出す。

 ここで龍凜はあることに気がついた。

 やけに右脚の動きが悪い。もしかしたら、負傷しているのかもしれない。右脚が弱点だ。

 チャイニーズ・マフィアとの戦闘で負傷したのかもしれない、という可能性が脳内にぱっと浮かび上がるが、無駄な思考は自動的にすぐさま抹消された。

 無駄な思考ほど戦闘の邪魔になるものはない。一度助けられたとはいえ、ドラグノフは敵だ。私を殺そうとしている。慈悲をかけてはならない。

 身体を捻ってスペツナズ・ナイフの刀身を躱しつつ、龍凜は回し蹴りを右太ももに直撃させた。ドラグノフは苦痛に叫び、右太ももを押さえた。

 動けなくなったドラグノフの顎に追い打ちの膝蹴りを当てる。切っ先のない日本刀を腹部に突き立てる。とどめにナイフで喉を切り裂こうとするが、目にも留まらぬ速さで取り出されたスペツナズ・ナイフによって阻まれる。

 スペツナズ・ナイフは右太ももに刺さった。骨から逸れてはいるが、肉に深く沈み込んでしまっていた。


「くっ、くくくっ……右脚が痛むか? 僕もだ」


「惜しいな。あと少しであなたを殺せたのに」


「くくくっ……ははははははっ! 龍凜、君は殺戮を楽しんでいるな!」


 龍凜は思わず目を見開いた。

 私が殺戮を楽しんでいる? そうか、私は殺戮を楽しんでいるのか。

 ドラグノフの言葉には妙に合点がいった。

 龍凜は己を苦しめてきたチャイニーズ・マフィアと両親に常に殺意を抱いていた。何故殺したいのか――理由は至極単純、苦痛から逃れるためだ。殺意から生まれた殺戮が、チャイニーズ・マフィアと両親と感情を殺した。

 だが、藍姫との愛によって殺戮の矛先が変わった。今度は彼女との愛を邪魔する者に殺意を抱くようになった。九龍城砦での日常は殺戮にまみれていた。この時点で、感情の欠如した龍凜は無意識のうちに殺戮の中に楽しさを見出していた。逆に、愛のために殺戮を行ううちに真実の愛を見失っていった。

 しかし、紅姫との愛で龍凜は真実の愛を見つけた。愛のための殺戮であることは変わらなかったが、パズルのピースのように感情の欠片が心の穴にはまった。


「私の人生は殺意と殺戮だった。愛のためなら命を賭けることも厭わない。九龍城砦を――私たちの居場所を守り、平和な幻想郷を作る。そして、私は己の中の殺意と殺戮を殺す。邪魔するものは全て殺す。これが最後の殺戮だ」


「君は殺戮から逃れることはできないさ。敵がいなくなり居場所ができたとしても、いずれ君から殺戮を欲するようになる。何故本能に従おうとしない? 君はただの人間ではない。殺戮こそが君の幸せだ」


「クイーンと同じことを言うね。では、問い返そう。あなたに私の何がわかる? 私の不幸があなたに理解できるのか?」


「確かに、僕には到底君の不幸を理解できない。だが、殺戮の中に身を置く者として忠告しておいてあげよう。一度殺戮の中に足を踏み入れたら、二度と抜け出すことはできない。底なし沼のようにね。僕もイタリアン・マフィアから足を洗おうとしたことがあるが、結局はできなかった。殺戮にはドラッグのような中毒性がある。僕も君も死神に魅入られて人間の魂を刈り取るバトルジャンキーだ」


 龍凜は呆れて溜め息を吐いた。


「全く、あなたといいクイーンといい、私を同類にしたがるね。私は王龍凜だ」


「くくくっ、そうだな。僕はドラグノフ・ルチアーノだ。君を心より尊敬する者だ。君とは異なる。だが、僕たちは似ている。これは認めてもらえるか?」


「そうせざるを得ない」


「光栄だ。君を殺しても君に殺されても、それが名誉あることに変わりはない。さあ、戦闘を続けよう」


 龍凜は右太ももからスペツナズ・ナイフを、ドラグノフは腹部から日本刀を引き抜いた。両者は互いの刃物を構えたが、周囲の銃声が集中をかき乱した。


「ドラゴン、弾切れだ! これ以上は足止めできない!」


 イタリアン・マフィアと殺人株式会社が迫ってきている。屋上のサムライもハンドガンの弾丸がなくなって倒されつつある。

 下ではチャイニーズ・マフィアによって厳重なバリケードが崩壊していた。九龍城砦の住民の数とチャイニーズ・マフィアの数はほぼ同等、戦力もほぼ互角。上から他の勢力が乱入してこなければ、どちらが勝つかまだわからなかった。


「これも運命、か」


 龍凜は煙草の箱から最後の一本を取り出した。これが最後の一服だ。

 最後のニコチンをじっくりと味わう。溜め息混じりの白煙が雲のごとく膨張し、やがてそれが幻覚だったかのように臭いを残してすっとかき消える。

 ドラグノフは灰色の瞳をぎらつかせて龍凜を睨みつけた。


「龍凜、まさか戦闘中に敵に背を向けるつもりはないだろうね?」


「どうかな。私にはあなたのようなプライドはない」


「龍凜、僕と戦闘を続けろ!」


 しかし、龍凜は踵を返して紅姫の手を取った。

 無防備な右脚に二本のスペツナズ・ナイフが突き刺さるが、龍凜は立ち止まらない。紅姫に肩を借りて、左足で跳びながら階段を下りる。ガソリンの塗られた階段に吸いかけの煙草を放り投げる。階段に火が燃え広がり、追っ手を足止めする。

 階段を下りるたびに敵の数が少なくなっていった。三人は適当な部屋に入り、劣勢の戦況を立て直すことにした。

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