第五章 シャングリラの開闢
シャングリラの開闢1
嵐の前の静けさとでもいうのだろうか。早朝、九龍城砦はいつにも増して静謐だった。
龍凜は煙草を吸いながら二人の寝顔を見下ろした。
九龍城砦の住民からかっぱらってきたオーストラリアのグロック社製のハンドガン――グロック42のマガジンの弾数を確認し、元の位置に戻してスライドを手前に引く。
グロック42は、プラスチックを多用したグロックシリーズの中でも最小のサイズを誇る。これなら子供や女でも扱いやすい。
リロードの音で、紅姫は唸りながら瞼をこすった。フランは眠ったふりをしていたかのようにすっと立ち上がり、手帳に書かれた「おはようございます」という文字の羅列で挨拶した。
「おはよう、ルージュ、フラン」
「おはよう。どうやら二日酔いにはなっていないようだ」
「それはよかったね。朝食にパンとミルクを買ってきたよ」
まだ暗かったため、照明をつけて朝食を取ることになった。
フランがテーブルの上のパンを両手を使わずに食べようとしたので、紅姫はパンを取り上げて食べ方を躾けた。本当にお母さんみたいだ、と思った。これから戦争だというのに、なんとも和やかな朝食だった。
朝食の後、紅姫にグロック42と予備のマガジンを三つ渡した。使い方を教えると、彼女は意外にも早く覚えた。
ちなみに、サムライにもハンドガンを渡してある。日本刀は殺傷能力の高い武器だが、銃の前ではサムライはただの的でしかない。だから、銃で対抗するのだ。サムライは階段の近くに配置している。これは攻撃と防御を同時に行うためだ。接近戦が有利な分、いかに敵の弾丸を浪費させるかがこの戦争の鍵となる。
屋上にはスナイパーを配置している。味方の援護は彼らがやってくれる。
サムライから拝借した日本刀を佩き緒で帯刀していると、息を切らせた住民が部屋に入ってきた。
「王、地上からチャイニーズ・マフィアが攻めてきたぞ。既に屋上の同志たちが狙撃している。じきにイタリアン・マフィアと殺人株式会社も押し寄せてくるはずだ。そろそろ準備しろ」
確かに、銃声が部屋にも反響するようになってきた。ついに戦争の幕が上がった。
「よし、上に移動しよう。下には十分な数の住民がいる。サムライの加勢をしよう」
三人はガソリンの塗られた階段を上り、景宗率いるサムライたちと合流した。
景宗はグロック42を手にした紅姫を目の当たりにして驚いた。
「まさか紅姫さまも戦われるおつもりか?」
「ふん、馬鹿にするな。わっちも戦える」
すると、屋上からけたたましい銃声が響いた。味方が弾幕を張っているのだ。
テレポーテーションして肉体が再構築された瞬間を狙えば、一方的に大量の敵を倒すことができる。もし屋上を切り抜けたとしても、その下にはサムライが待ち構えている。これでかなりの敵を減らせるはずだ。
しかし、敵もそう簡単にはやられてくれない。
屋上で何かが爆発し、九龍城砦がぐらりと揺れた。爆発は何度か続き、ところどころ天井が崩壊した。
ヘリのプロペラ音がする。恐らく上空からプラスチック爆薬――C-4でも投下したのだろう。屋上の仲間のほとんどがやられてしまったかもしれない。敵の侵入を食い止めるのは、今度はサムライだ。
天井の穴から見上げると、ヘリからボディーアーマーを装備した兵士たちが降下してきていた。殺人株式会社だ。
いよいよ戦争らしくなってきた。もう逃げられない。生か死か。これは私一人の命ではない。ルージュも、フランも、九龍城砦の住民も、サムライも。そして、二十一グラムよりも重いブルーの魂も。私はいくつもの命を背負っている。この戦争に負けるわけにはいかない。
「二刀斎、ここは任せた。ルージュ、私から離れるな。フランはルージュから離れるな」
龍凜は日本刀の鯉口を切り、天井の穴から現れた兵士の頭部を切断した。
天井の穴からちらほら殺人株式会社のメンバーが侵入している。屋上を突破されるのが早すぎる。最悪の戦況だ。
日本刀を一度鞘に収める。兵士の死体からアサルトライフルと予備のマガジンを奪い取り、敵の頭部を狙って発砲する。ボディーアーマーに加えてヘルメットで頭部を守っているため、狙いは正確にしなければならない。敵が増えてきたら、腕か脚を撃って動きを止める。弾数を節約するため、連射は控える。
予備のマガジンが空になり、龍凜はアサルトライフルを捨てた。
殺人株式会社の攻撃が激しい。先ほどのC-4の爆発でテレポーターからもイタリアン・マフィアが雪崩込んできている。サムライの防衛網はグレネードで破られつつある。地上では九龍城砦の住民がチャイニーズ・マフィアと死闘を繰り広げている。
このままでは皆殺しにされてしまう。地上にはチャイニーズ・マフィアのボス――金仁豹もいるはずだ。狡猾な仁豹のことだ、部下に守られながら安全に移動していることだろう。こうなったら仁豹と取引して戦争を終結させるしかない。
仁豹を殺しても戦争は終わらない。チャイニーズ・マフィアのボスが代わり、また同じことが繰り返される。仁豹を追い詰めて、盗んだ金を返すという取引で納得させるより他に道はない。とてもではないが、やはり敵を全滅させることは不可能だ。いくら強気になったところで不可能を可能にすることはできなかったのだ。
「ルージュ、下に移動しよう。仁豹を狙う」
階段を下りようとしたところで、上空から頭部を狙った弾丸が飛んできた。スナイパーの狙撃だ。龍凜は反射的に居合い斬りで弾丸を弾いた。
ここまで正確無比な狙撃ができるのは一人しかいない。
「王龍凜」
「ドラグノフ・ルチアーノ」
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