人間ならざる者たちの戦争6

 夜の歌舞伎町。

 龍凜と紅姫はバーのカウンター席に座っていた。


「フランには困ったね。九龍城砦に居座るつもりなのかな?」


「恐らくな。フランには家がない。九龍城砦に住ませてやったらどうだ?」


「私の部屋に住ませるということかい?」


「見捨てるわけにはいかないだろう。フランはかわいそうな娘だ。わっちが世話をするから」


「なんだか犬を飼うみたいだね。いや、悪い意味ではないよ。ただ、状況が似ているからさ。また厄介なストーカーに付き纏われてしまったな。クイーンの生まれ変わりのようだ」


 案の定、テレポーテーションしてもフランはついてきた。何度テレポーテーションしても徒労に終わった。

 フランは九龍城砦の龍凜の部屋で待たせている。満腹になってまどろんでいたため、今頃は眠っていることだろう。


「明日、九龍城砦は戦場と化す。フランはどうする?」


「ドラゴンについていれば大丈夫だろう。わっちが無事でいることがその証拠だ」


「簡単そうに言うね。君一人でも守るのは大変なんだよ。二人に増えたらとても戦闘に集中できない。ルージュ、君がフランを守ってあげてくれ。それならなんとかなりそうだ」


「任せておけ。わっちも守られてばかりではつまらないからな」


「ふふふっ」


「何がおかしい?」


「いや、なんだかルージュがお母さんみたいだなぁ、と思って。フランは私たちの子供だね」


「なっ……!」


 紅姫は急上昇した体温を冷ますように水を一気に飲み干した。カクテルがあったら先日のようになっていただろう。

 間もなくして、二つのグラスがカウンターの上に置かれた。龍凜はキャロル、紅姫はスカーレット・レディー。二人はサムライを味方にできたことに乾杯した。


「君の説得のおかげだ。実を言うと、サムライを味方にできなければ君とどこかへ逃げようと思っていたんだ。すっかり弱気になりかけていた。君がサムライを説得してくれなければ、バッドエンドになってしまうところだった。私にとってのハッピーエンドは二つの約束を守ることだからね」


「お主の役に立ててよかった。いつまでもお主の足手まといは嫌だからな」


 口内でマラスキーノ・チェリーを転がす。シロップの甘ったるさとアルコールの風味が、マラスキーノ・チェリーによって口内に広がる。

 マラスキーノ・チェリーを何度か咀嚼して飲み込むと、キャロルを呷った。酔っておきたい気分だった。

 スカーレット・レディーも空になり、二人はお代わりを注文した。二人といっても、紅姫のカクテルは龍凜が決めた。

 キャロルは、マンハッタンというカクテルを元にしている。諸説あるが、ニューヨークのマンハッタンに落ちる夕日をイメージしたとされている。マンハッタンのレシピは、ライ・ウイスキー、スイート・ベルモット、アンゴスチュラ・ビターズ、マラスキーノ・チェリー。マンハッタンは通称カクテルの女王と呼ばれている。

 ライ・ウイスキーをブランデーで代用したのがキャロルだ。そして、ライ・ウイスキーをラム酒で代用したのがリトル・プリンセスだ。

 龍凜はキャロル、紅姫はリトル・プリンセス。二人はグラスの半分まで飲むと酔いが回ってきた。

 蓄音機にかけられたレコードは、マクファーデンとホワイトヘッドの『エイント・ノー・ストッピング・アス・ナウ』。ディスコの定番曲とも言える。


「ねぇ、ルージュ、踊らないか?」


「えっ? む、無理だ、わっちは踊れない」


「私だって踊れないよ。それでもいいんだ。ただステップを踏めばいい」


「むぅ、恥ずかしい……」


「平気だから。ほら、おいで」


 紅姫は渋っていたが、やがて龍凜の手を取った。

 両手を繋ぎ、ステップを合わせて踏む。下手くそだが、少しずつ呼吸が合っていく。

 酔いと恥ずかしさで頬を赤くしながら、紅姫はくすくすとおかしそうに笑った。つられて龍凜も笑った。


「これで踊れているのか? ふふふっ、わっちもお主も下手くそすぎだ」


「楽しければそれでいいのさ。まだ恥ずかしい?」


「少しな」


「では、もう一杯飲むといい。それで最後の一杯だよ。二日酔いにはもう懲りただろう」


 紅姫は残り半分のリトル・プリンセスを喉に通し、キャロルをお代わりとして注文した。

 細い腰に腕を回す。くるりと回転し、二人の黒髪が妖美に揺れる。


「ブルーともこうして踊ったことがある。私たちのように下手くそなステップを踏んで、酔っ払って足をもつらせながらね」


「また藍姫さまと踊りたかったか?」


「君と踊れたから満足さ」


 二人はキスをした。それは短くあっけないキスだった。

 明日、生きていたらまたキスをしよう。濃厚なキスは明日に取っておこう。

 龍凜が視線でそれを伝えると、紅姫は小さく頷いた。


「藍姫さまともこんなキスをしたのか?」


 龍凜は答えなかった。無言が答えだった。


「もう一度キスすることは叶わなかった。明日、ブルーの分も君にキスするよ」


 キャロルを嚥下し、龍凜は全てを忘れたくなった。

 だが、いくらアルコールの海に溺れても、藍姫の記憶は水の中をも明るく照らす月光のように忘れられないのであった。

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