人間ならざる者たちの戦争5
吉原にテレポーテーションした龍凜と紅姫。
遊郭の前では遊女とサムライの葬式が行われていた。
クイーンによる被害は甚大だった。
遊郭の火事で焼死した者もいれば、逃げようとして玄関で撃ち殺された者もいる。遊郭を消火しようとする者や遊女を助けようとする者もいたが、日本刀ではリボルバーには到底敵わない。クイーンの無慈悲な弾丸は、無抵抗の子供や女の心臓さえも躊躇なく穿つ。
龍凜は袴を着たサムライのボスらしき人物に一声かけた。二人の若い部下が日本刀に手をかけるが、ボスらしき人物の制止で二人は横に退いた。
「あなたがジャパニーズ・ヤクザのボス?」
「ジャパニーズ・ヤクザ、か。そうだが、サムライと呼んでほしいな。君は中国人かね?」
「香港人だ。失礼した。訂正しよう、サムライのボス。私の名は王龍凜。少し話をしたいのだが、時間をいただいてもよろしいかな?」
「この葬式よりも重要なことかね?」
貫禄のある眼光。サムライのボスは初老で白髪になっていたが、瞳はまだ黒くサムライの魂が宿っていた。
龍凜は毅然として頷いた。
「この葬式の元凶について話したい。よろしいかな?」
「いいだろう。私の名は
「殺人株式会社のメンバーは、子供でも女でも躊躇なく殺せるように特殊な訓練を受けている。それに、クイーン・ハートは特に狂っている」
「殺人株式会社のクイーン・ハートがやったというのか? しかし、何故? 遊郭の中に殺人の対象がいたというのか? いや、あり得ないだろう。遊女の殺人が依頼されるはずがない」
「私のせいだ。私が紅姫を身請けしたからこの遊郭が狙われた」
「どういうことだ?」
しかし、話は銃声によって遮られた。
通りにはエンフィールド・リボルバーを掲げたクイーンとその部下たちがいた。
移動先がばれたか? それとも、ただの勘か? いずれにせよまずい状況であることに変わりはない。
「どうして移動先がわかったのか、とでも言いたそうね、ダーリン。言ったでしょう、あなたはもう私から逃れられない、と」
「何かありそうだな。はぁ、あなたにはとことんうんざりさせられるね」
「あん、ひどい。それくらいダーリンを愛しているということよ。あなたたち、目障りなヤクザ共を片付けなさい」
この瞬間、吉原は戦場になった。サムライとクイーンの部下は火花を散らしてぶつかり合い、住民は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
龍凜は紅姫を住民に紛れさせて逃がした。
「どうして移動先がわかったんだい? 北京でドラグノフと出くわしたと言っていたが、恐らく私の後を追っていたのだろう?」
「ええ。さすがダーリン、勘が鋭いわね。ナチス・ドイツのベルリンで新しいおもちゃをもらってきたのよ。テレポーテーションした人間の移動先を把握できる便利なおもちゃよ。ほら、あれがそうよ」
クイーンが指差した先にいたのは、白髪の少女だった。
フランケンシュタインの怪物のようにつぎはぎだらけの身体を包むのはゴシック・アンド・ロリータのドレス。首輪から腸のようにぶら下がった手綱。人形のようなポーカーフェイス。
趣味の悪いおもちゃだ。緻密に作られているが、まるで死体のようだ。不気味の谷が生じている。
「ふふふっ、またさしで戦えるとはね。ダーリン、決着をつけましょう。九龍城砦で弾丸を消費してしまったから、残弾はあと六発よ。全て撃ち尽くしたら刃物と近接格闘で戦いましょう」
クイーンは太ももの弾帯を外した。
九龍城砦で弾幕を張っていたのだ、クイーンの部下も銃の残弾はそう多くないだろう。接近戦ならサムライの方が圧倒的に有利だ。
龍凜はナイフに爪をかけて刃を展開した。
「もう殺されてくれないのか?」
「ふふふっ、そんなに甘くないわよ。あの時、とどめを刺していればよかったのにね。あなたは最大の好機を逸した」
「今度はちゃんと殺してあげるよ。私の邪魔をする者は誰であろうと殺す――私は忠告したからね。あなたは私の邪魔をしすぎた」
「ああ、素敵よ、ダーリン。だけど、包帯まみれの身体で私を殺せるのかしら? それにしても……ダーリンが包帯で拘束されているのを想像したら興奮してきたわ! ダーリン、あなたが死体になったらずっと緊縛しておいてあげるわ! ああ、ショーツが大変なことに!」
興奮して鼻息を荒げるクイーンを無視して、龍凜は動き出していた。
弾道の曲がる弾丸。弾道を見極めてナイフで弾丸を断裁する。二発目と三発目の弾丸も同様に処理し、ひたすら前進する。切羽詰まったのか、四発目と五発目の弾丸は連続で発射される。頭部と心臓を的確に狙った弾丸だが、脇腹を掠らせるだけに留める。
ナイフが届く範囲になり、龍凜はエンフィールド・リボルバーを蹴り上げた。エンフィールド・リボルバーは暴発し、クイーンの部下の背中に弾丸をヒットさせて空中に舞い上がった。
クイーンはドレスのスリットから黒のショーツを覗かせながらダガーを手にした。龍凜はナイフを素早く逆手に持ち替えた。
「このダガーはね、フランスでカスタムした特注品なのよ。ダーリン専用のダガーよ。ダーリンにとどめを刺すダガーは美しくなければならないわ」
「あなたにとどめを刺すナイフはこれでいいかな?」
「コルト社製のナイフかぁ。美しくはないけれど、ダーリンの懐で十年も温められてきたナイフだからいいわ。ダーリンの体臭が染みついたナイフで殺されるのなら本望だわ」
刃が衝突するたびに耳障りな不協和音を奏でる。クイーンは隻眼、右が死角となっている。龍凜は執拗に右を攻める。右脇腹を蹴り、右腕を切りつける。間髪入れずに右太ももを切りつけ、ガーターベルトが切れる。
「いいわよ、ダーリン! 殺意をびんびん感じるわ! もっと私に殺意という名の愛をちょうだい! 殺意で私をいかせて!」
クイーンのダガーを全て躱し、隙あらばナイフを振るう。紫のドレスがところどころ血液で黒く彩られていく。それでも彼女は苦痛に表情を歪めることなく、もっと痛めつけてくれと言わんばかりに笑っている。
龍凜はクイーンの腹部を蹴り、一度距離を取った。
「おかしいな。クレイジー・クイーンはサディストだと耳にしていたが、本当はマゾヒストだったのかな?」
「いいえ、私は生粋のサディストよ。私の脳内を覗いたら、きっと驚いて腰を抜かすわよ。私の脳内ではダーリンがとんでもないことになっているから」
「想像したくもないね。そろそろとどめだ」
「このまま殺されてもいいのだけど、それではつまらないわ。私もそろそろ本気でいかせてもらうわ」
そう言って、クイーンは右目の眼帯を外した。
クイーンは隻眼ではなかった。
右目の瞳はエメラルドのごとき緑色で、瞳孔は爬虫類のように垂直のスリット状になっている。いわゆるオッドアイだ。
「この右目は突然変異したのよ。クリミア戦争で負傷し、私は失明したと思い込んでしばらく眼帯をつけていた。ある日、眼帯を外してみると、右目を失明していないことに気付いた。そして、右目の違和感に気付いた。鏡に映った右目は醜い爬虫類の瞳になっていた」
「だから眼帯を?」
「ええ。右が死角になるから初めはつけていなかったのだけど、怪物呼ばわりされたから。こんな瞳ではダーリンも気持ち悪がるでしょう?」
「そうかな。私は綺麗な瞳だと思うよ。猫の瞳みたいだ」
「えっ……ちょっと、ダーリンってば、やめてよ! 惚れ直しちゃう!」
「いや、惚れ直されても困る」
「もう遅いわよ。ダーリンがそう言ってくれるのなら眼帯なんてつけなかったのに。そうしたらもっと早くダーリンを殺せたのに」
クイーンはダガーの刀身に舌を這わせた。
太陽の光を反射して右目が怪しく輝く。
クイーンがダガーで突きを繰り出す。身体を捻って避けるが、ダガーはそれを想定した軌道を描いて脇腹を切り裂く。ナイフを振るうが掠りもしない。カウンターでじわじわと身体を傷付けられていく。
「あはははははっ、なんて愉快なのでしょう」
「ご機嫌だね。そんなに殺し合いが楽しいのかい?」
「ええ、人生で最も楽しい時だわ。ねぇ、ダーリン、冥土の土産に忠告しておいてあげる。明日、三つの勢力――チャイニーズ・マフィア、イタリアン・マフィア、殺人株式会社の総戦力を挙げて九龍城砦を陥落させることが決定したわ。チャイニーズ・マフィアのボス――金仁豹いわく、王龍凜が負傷しているこのチャンスを逃すわけにはいかない、だそうよ」
「それはありがたい忠告だ。だが、私に教えてしまってよかったのかい? これでは奇襲にならない」
「いいのよ。だって、あなたはこれから私に殺されるのだもの。安心して、あの貧乳ビッチもちゃんと殺しておいてあげるから。ああ、それではつまらないかしら。私のペットにするのもいいかもしれないわね。毎日いたぶってあげるわ」
鳩尾を狙って蹴りを放つが、足首を脇に挟まれてダガーで右脚を何度も切りつけられる。左足で頭部を狙うが、脛の肉にダガーが突き刺さる。
死角のないクイーンの動体視力は、龍凜の動作を完全に見切っていた。右目の眼帯を外されたことで形勢が逆転してしまった。
「あははっ、弱ってきたようね、ダーリン」
「あなたは平気なのか? 一つ一つの傷が浅いとはいえ、出血はそう少なくないはずだ」
「私、痛覚には鈍感なのよ。エッフェル塔のてっぺんから落ちたら誰だってこうなるわ。もっとも、生きていられるとは思えないけどね」
「クリミア戦争でも死にかけたらしいしね。それにしても、動体視力が格段に上がった。その右目には秘密がありそうだ」
「当たり。この右目は視力がよすぎるのよ。あなたの動作の機微が手に取るようにわかるわ」
「なるほど、ガスライターのドラゴンの刻印をお揃いにできたわけだ」
龍凜は煙草を一服しながら負傷の程度を確認する。
クイーンにやられた切り傷はそう多くないが、激しく動いたせいで縫合した弾痕が開いてしまっている。出血がひどい。
このままでは出血多量で意識を失ってしまう。やりたくはないが、最後の手段を試してみるか。クイーンには絶大な効果があるかもしれない。
龍凜は煙草を吐き捨てた。
クイーンの懐に入るために突貫する。フェイントでナイフを持った左手を突き出す。
しかし、ナイフの切っ先が腹部にめり込む直前で左手首を掴まれてしまった。
無防備な左腕にダガーを突き立てられる。刀身がゆっくりと回転し、刃が肉を抉る。
「ああ、痛そう。我慢しなくてもいいのよ。さあ、絶叫しなさいな」
龍凜は悲鳴を上げたくなるのをこらえて、不意に右腕でクイーンの身体を抱き寄せた。それから、強引に唇を奪った。
クイーンは目を見開いて静止し、ダガーから左手を離す。龍凜の左腕の力が抜ける。
龍凜は両腕でクイーンの身体を抱きしめた。彼女も火がついたように両腕を激しく腰に絡ませてきた。
口内に舌が入ってくる。舌で押し返そうとするが、かえってキスを濃厚なものにしてしまうばかりだ。飴でも舐めていたのか、クイーンの唾液は苺の味がする。
ルージュの視線が痛い。後で何をされるか想像がつく。
龍凜はクイーンの背後で左手のナイフを右手に渡した。刃で喉をなぞると、ほんのり甘い苺の味は錆びた鉄の味へと変わった。
血液が口内に流れ込んでくる。龍凜は唇を離して血液を吐き出す。
クイーンはぱっくりと喉に開いた口から血液を垂れ流しながら、恍惚とした表情で笑っていた。喉を切り裂かれた母の死に顔が脳裏を過ぎった。
クイーンは手を伸ばしたが、龍凜には届かなかった。クイーン・オブ・リボルバーともクレイジー・クイーンとも謳われた怪物がついに倒れた。
「クイーン、約束は守ったからね」
龍凜は手のひらでクイーンの瞼を閉じてやった。
まだ火のついた煙草を拾って大きく息を吸う。肺が煙で満たされて咳き込む。
サムライとクイーンの部下の戦闘も決着がついたようだった。案の定、クイーンの部下は全滅だった。
龍凜は左腕に刺さったダガーを引き抜き、駆け寄ってきた紅姫にハンカチを巻いてもらった。ハンカチは痛いくらいきつく結ばれた。
「随分と濃厚なキスだったなっ? そもそもキスをする必要があったのかっ?」
「い、痛いなぁ。キスでもしないとなぶり殺しにされていた。それに、濃厚なキスになったのは私の意志ではないよ。クイーンを倒せたのだからよしとしよう?」
「むぅ、納得できない……わっちとキスした時よりも濃厚だったではないか……」
ぶつぶつと不満そうにぼやく紅姫。龍凜は彼女の頬にキスをした。
「今はこれで許してくれ。今夜、カクテルをおごるよ」
「いっ、いきなりキスをするなんてずるいぞっ! わっちを殺すつもりなのかっ? 心臓に悪すぎるわっ!」
「キスは君にも絶大な効果があるみたいだね」
のぼせたように赤くなった紅姫を横目に振り返ると、景宗は二本の日本刀を鞘に収めてクイーンの死体を見下ろしていた。
葬式の元凶であるクイーンを殺したことで、サムライを私の味方につける理由がなくなってしまった。あとはルージュの説得次第だ。
「王、この死体が殺人株式会社のクイーン・ハートか?」
「そうだよ」
「では、君が復讐を果たしてくれたわけだ。感謝する」
「いや、感謝されるようなことはしていない。ただ、私のけじめをつけただけさ。むしろ、私は謝らなければならない」
龍凜は三つの勢力について説明した。明日、三つの勢力が九龍城砦に一挙に押し寄せてくることも話した。これには紅姫も驚いていたが、彼女の正体を知ったサムライたちの方がもっと驚いていた。
「私と九龍城砦の住民では全く歯が立たない。だから、あなたたちサムライの力を貸してほしい。九龍城砦を守りたいんだ」
景宗は両腕を組み、額に刻まれた皺を深くした。
「状況は理解できた。だが、君に協力したところで私たちに利益はない。ただ部下を失うことになるだけだ。王、君も逃げろ。九龍城砦を守るのは自殺するようなものだ」
「それはできない。正直、クイーンへの復讐があなたたちを釣る餌だった。その餌は私が自ら食べてしまった。ぶしつけなお願いであることは承知の上だ。私は九龍城砦を平和な居場所にしたい。頼む、藍姫と約束したんだ」
そう言って頭を下げようとすると、一人の若いサムライに胸ぐらを掴まれた。このサムライだけでなく他のサムライたちも殺気立っていた。
「藍姫さまを身請けしたのはお前か? 答えろ!」
「そうだ。十年前、チャイニーズ・マフィアから盗んだ金で身請けした」
「身請けしておいて藍姫さまを見捨てるとは許し難い! 紅姫さまを藍姫さまの代わりにしたのか? どうせ紅姫さまも見捨てるのだろう!」
怒りが込み上げてきた。龍凜は胸ぐらを掴む手を強く握った。
「あなたには関係ない! ルージュはブルーの代わりではない! 私はブルーを見捨てていないし、もう決してルージュを見捨てない!」
「藍姫さまの葬式にもいなかった者がよくそんなことを言えるな!」
サムライの拳が振り上げられたが、紅姫が割り込んで制止した。
「もういい。お主の代わりはわっちがやっておいた」
サムライがおずおずと後ろに下がると、景宗はふっと息を吐いた。
「王、部下の無礼を許してくれ。私たちサムライは藍姫さまの世話になっていてな。私たちは遊郭の用心棒として雇われていたが、妻子を養うのがやっとのはした金で生活していた。藍姫さまは貧しい私たちに食事を恵んでくださった。花魁道中の時には餅を撒いてくださった。遊郭の天守閣から弦楽器の美しい音色がすると、サムライたちは遊郭の前に集まった。子供ながら藍姫さまはサムライたちに慕われていた。それゆえに、藍姫さまの死をひどく悲しんだ。身請けした人間を恨む者もいた」
龍凜は力なくうなだれた。
きっとブルーの魂の重量は二十一グラムよりも重かったのだ。私はこれからもブルーの魂を背負って生きなければならない。ブルー、君の死は私にとって重すぎた。
龍凜に対して怒りを露わにするサムライたちを見回し、紅姫は静かに口を開いた。
「お主たちの怒りはよくわかる。わっちも藍姫さまを身請けした者を恨んでいたし、先ほどのサムライのように責めていた。藍姫さまを迎えに来たとほざいた時は思い切り頬を張ってやった。わっちは身請けされたが、どうやら藍姫さまの代わりになると思っていたらしい。挙句の果てには、戦いが終わったら別れるつもりだったというのだ」
紅姫はふっと頬を弛緩させて微笑んだ。
「だが、わっちはドラゴンから離れられなかった。居場所がないということもあったが、わっちはドラゴンと一緒にいたかったのだ。身請けされてから、わっちはドラゴンに振り回されっぱなしだった。外国にテレポーテーションしては初めてを体感させてくれた。ドラゴンと一緒にいると楽しくて、初めて生きているのだという心地がした。初めて己が人間なのだと実感できた。そして、ドラゴンは虚偽の愛を売ってきたわっちに初めて愛していると言ってくれた。わっちに真実の愛を教えてくれた。きっと藍姫さまもドラゴンのことを愛していたのだろうな、と思った」
サムライたちは紅姫の話に真面目に耳を傾けていた。龍凜はなんだかくすぐったくなって頬を掻いた。
「わっち同様、藍姫さまにも居場所はなかった。だから、ドラゴンは居場所を作ることにした。十年前、二人は再会を約束して一時の別れを決意した。ドラゴンは戦い続け、藍姫さまは待ち続けた。だが、藍姫さまは亡くなり、約束が果たされることはなかった。それでも、ドラゴンは藍姫さまとの約束を果たそうとしている。九龍城砦を平和にし、わっちと藍姫さまのために居場所を作ろうとしてくれている。だから、わっちも九龍城砦を諦めたくないのだ」
紅姫は唇を結んだ。それから、深呼吸した。
「わっちは無口で不愛想で、藍姫さまのように慕われる人間ではなかった。だが、わっちもドラゴンのおかげで変わることができた。やっと籠の中の鳥から人間へと生まれ変わることができたのだ。わっちも平和な居場所で幸せを享受したい。わっちと藍姫さまの約束のために戦ってくれぬか? お願いだ」
紅姫は深く頭を下げた。
高貴で高飛車な紅姫がへり下っている。サムライたちの間にざわめきが走る。
すると、先ほど龍凜の胸ぐらを掴んだサムライが前に進み出た。
「紅姫さまが頭を下げたんだ、俺は戦う。世話になって恩も返せないで何がサムライだ。藍姫さまの無念を晴らそう」
一人、二人とサムライたちが前に進み出る。その数はどんどん増えていく。
ついにはほとんどのサムライが戦おうと立ち上がっていた。景宗はこくこくと頷き、龍凜の前に手を差し出した。
「王、私たちサムライも共に戦おう。九龍城砦を守るのに協力しよう」
「ありがとう、二刀斎」
龍凜と景宗は固い握手を交わした。
紅姫に微笑みかけると、彼女はにっとはにかんだ。
まさか本当にサムライたちを説得してしまうとはね。一時はどうなることかと思ったが、これで心強い味方をつけることができた。さすがはルージュだ。
サムライたちは葬式に戻り、クイーンの部下の死体を片付けた。ちょうどこれから火葬するところだったので手間が省けた。
葬式が終わり、龍凜と紅姫は通りに佇む一人の少女に気付いた。
「なんだ、あれは?」
「クイーンはナチス・ドイツのベルリンでもらったおもちゃと言っていた。なんでもテレポーテーションした人間の移動先を把握できるらしい」
「だからクイーンはわっちたちを追ってこれたのか。それにしても、なんとも不気味な人形だな。まるで死体のようだ」
近付いてみると、碧眼がわずかに動いた。紅姫はびくりと震えて龍凜の背後に隠れた。
「人間だ。そういえば、ナチス・ドイツのベルリンでは残虐非道な人体実験が行われているという。この娘はその被害者なのかもしれない」
龍凜はナイフで首輪を切った。
「君の名前は?」
返事はない。少女は口を閉ざしたまま龍凜に視線を注いでいる。
少女の首には認識票がかけられていた。それを確認すると、「フラン」と刻まれていることがわかった。恐らくこれが彼女の名前だろう。
「フラン、君はもう自由だ。どこかで好きに暮らすといい」
龍凜と紅姫は歩き出したが、フランは足音も立てずにちょこちょこついてきた。路地裏で撒いてカフェでコーヒーを一服してから通りに出ると、彼女は手綱を繋がれた犬のように大人しく外で待っていた。
「フラン、私たちについてきても何もないよ」
しかし、フランは万年筆で手帳に何か書いて裏返した。手帳には機械的な字体で「よろしくお願いします、ご主人様」と書かれていた。
龍凜は困り果てて額に手を当てた。
「君のご主人様は死んだんだ。それに、私はご主人様ではないよ。ついてきてはいけない」
すると、フランの腹が小さく鳴った。
フランは恥ずかしがるでもなくぼーっと龍凜を見つめている。もし彼女が犬なら、舌を出しながら息を弾ませて尻尾を振っていたことだろう。
「腹が減っているのではないか? そうなのだろう?」
フランはこくりと首を縦に振った。
「なあ、ドラゴン、フランが食事をしている間にテレポーテーションして逃げるというのはどうだ? 本当にテレポーテーションした人間の移動先を把握できるのか試してやろう」
「そうだね、それしか方法がなさそうだ。もしそれでもついてきたら仕方がない。説得できそうにないしね」
「フラン、何を食べたいのだ?」
万年筆が手帳の紙を引っ掻いて小気味よくメロディーを奏でる。
手帳には「ドッグフード」と書かれていた。
フランは第二のアウシュヴィッツでドッグフードを食べさせられていた。常に首輪をつけられて、移動の際には手綱で引っ張られた。研究室の物置で直立の体勢で眠らされた。ゲシュタポに犯されることもあった。まだ名前がない頃、彼女はゲシュタポたちの間では
憐憫が龍凜と紅姫を無言にさせた。フランはあまりにも不憫な少女であった。
フランにはレストランで食事を取らせた。彼女は両手を使わずに料理にがっついた。まるで犬のように。当然ながら周囲の客はひどく驚いていた。
フランが必死になって料理を食べているうちに、龍凜と紅姫はレストランを後にした。
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