殺戮の王と狂気の女王5
いよいよ決勝戦だ。この試合に勝てば優勝できる。優勝したら、チャイニーズ・マフィアから盗んだ金を返すことができる。九龍城砦を平和にし、藍姫との約束を果たすことができる。
準決勝戦の相手も斬首して瞬殺した。観客席からの歓声は相変わらずで、あちこちからドラゴンの名が飛び交っていた。
龍凜がしたいのは殺戮ではない。何度も斬りつけて殺すのは残酷だ。一瞬で苦痛なくとどめを刺してやるのがせめてもの慈悲だ。
ガスマスクの穴から煙草を吸いながら、龍凜は観客席の紅姫を横目で見つめた。
お主がわっちを守れ。遊女を身請けするには責任が伴う。わっちを藍姫さまのように殺すな。
紅姫の言葉が重く胸にのしかかってきた。それは責任だった。
ルージュはブルーであってブルーでない。私が身請けしたのは、ブルーの能力――美貌を継承した高尾太夫だ。ルージュにはブルーと同じ美貌があった。だから、私は十年前のようにルージュに一目惚れした。だが、どうだろう。昨夜、瞳に映した寝顔はブルーではなかった。瞼を開いたとしても透き通るような碧眼が見つめ返してくれることはない。ルージュはブルーではない。やはり私は思い違いをしていたのだ。
龍凜の世界から歓声が消える。耳鳴りが脳をつんざく。
ルージュと別れたら彼女はどうなるのだろうか? 誰かと出会って、恋に落ちて、結婚して、子供ができて、どこかで幸せに暮らす? そんな都合のいい話があるか。これは最悪の結末からの逃避でしかない。最悪の結末――それは死だ。身請けした以上、ルージュが死んだら私は彼女を見捨てたことになってしまう。同じ過ちを繰り返すことになってしまう。
龍凜の世界に歓声が戻る。鯉口を切って気持ちを切り替える。
まだ時間はある。ルージュをどうするべきかもう少し思案した方がいい。熟考した上で結論を伝えよう。
龍凜は改めて相手を見据えた。
相手は武器を持っていないどころか、防具さえ装備していない。日本刀と素手でやり合おうというのだ。彼は強靭な肉体から繰り出される近接格闘で決勝戦まで上り詰めている。素手とはいえ、油断はできない。
武器のない相手にも容赦はしない。私はこの試合で優勝しなければならない。私の邪魔をする者は全て殺す。慈悲はない。
「ドラゴン、だったか。お前を殺すのだとしても、お前に殺されるのだとしても、お前と戦えるのはこれが最後だ。祈る時間がほしいか?」
「生憎、私は神を憎悪しているのでね。運命が変わるのならいくらでも祈ってやるが、残念ながら運命は『デウス・エクス・マキナ』が掌握している。所詮、私たち人間は『デウス・エクス・マキナ』の手のひらの上で踊らされているのさ」
「運命、か。俺とお前が戦うのも運命だというのか?」
「そうだ。既にどちらが死ぬのかも定められている。だが、それがわからないから人間は運命に抗おうとする」
「ふん、運命は変わらない。お前はここで死ぬ」
「それはどうかな」
龍凜は走りながら抜刀し、日本刀を脇構えにした。
狙うは首のみ。抵抗しようが腕と共に首を斬ればいい。よかった、決勝戦も一瞬で終わる。優勝はもらいだ。
ところが、刃は紙一重で首には届かなかった。日本刀は首の手前でぴたりと静止していた。
「真剣白刃取り」
刹那、頑丈な刀身が真っ二つに折れた。龍凜は折れた日本刀を放り捨て、回し蹴りを片腕で防いだ。
拳と蹴りの応酬。体格の差もあり、龍凜はじりじりと後退させられていた。近接格闘でも相手の方が一枚上手のようだ。
一撃一撃が重い。ガードしても衝撃が骨まで響く。私が攻撃しても筋肉の鎧に守られて大したダメージを与えることができない。このまま拳と蹴りの応酬を続けても私の方がもたないだろう。
「日本刀がなければ何もできないのか、サムライ!」
この状況を打開しなければならないが、日本刀は折れてしまった。武器も防具もこの肉体のみ。もはや相手の攻撃をガードすることしかできなかった。
九龍城砦で十年も戦ってきたではないか。刃物がなければ戦えないのか? このままサンドバックになって撲殺されるつもりか? ブルーとの約束はどうなる? ルージュを守るのではなかったのか?
拳と蹴りを受けてさらに後退しながら、観客席の紅姫を仰ぎ見る。眉尻を下げた不安そうな表情に、無性にやるせなくなる。
龍凜は舌打ちした。
「私の邪魔をするな!」
龍凜の中で何かがぷつりと切れた。
相手を上回る拳と蹴りで攻撃という名の防御を破る。少しずつ形勢が逆転していく。突き蹴りが腹部に炸裂し、男は大きくよろけて後退る。折れた日本刀の刀身の端をブーツの踵で踏み、それを地面で跳ね返らせて宙に浮かせる。峰を爪先で蹴り、刀身を回転させる。
折れた日本刀の刀身は男の鳩尾に突き刺さった。彼は膝をついて吐血した。
観客席の興奮が最高潮に達する。観客のほとんどが親指を立ててそれを下に向けている。とどめを刺せ、ということだ。
――人間を殺すのに感情はいらない。
龍凜は男の鳩尾から突き出た刀身を蹴り、さらに深くまで刃を押し入れた。それから、表情の浮かんでいない頭部を両手で鷲掴みにし、首を捻って頸椎を折った。鳥肌が立つくらい嫌な音だった。
「はぁ、はぁ……私の勝ちだ」
乱れた呼吸を整えながら、龍凜は優勝の余韻に浸ることもなく自問自答していた。
私はなんのために戦っている? 私はなんのために戦えばいい? ブルーのため? 約束のため? ルージュのため? 責任のため? それとも、私のため? ああ、もうわけがわからない! 私はどうすればいいのだ! 私は愛する者を殺す運命にあるのか? 真実の愛とはなんだ!
釈然としない混乱が優勝者を苛む中、年に一度の試合は龍凜に最強の称号を冠して幕を閉じたのだった。
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