殺戮の王と狂気の女王4
龍凜がキメラを瞬殺し、観客席は拍手喝采の嵐だった。
観客席の中でたった一人、紅姫はほっと安心していた。
龍凜が殺されてしまうのではないかと冷や冷やした。肉が噛みちぎられて骨が噛み砕かれる音を想像すると、ぞっとして肌が粟立った。
ひとまず龍凜はシードの権利を獲得したが、いずれにせよこれから猛者たちと殺し合いをしなければならない。これは命を賭けた試合だ。
予選が開始されて、紅姫は沈痛な面持ちで俯いていた。
ドラゴンが死んだらわっちはどうすればいいのだろう。ドラゴンと藍姫さま同様、わっちにも居場所がない。吉原には帰りたくもないし、異郷の地でうまくやっていける自信もない。いや、わっちが一人で生きていけるはずがない。
二十八歳になった遊女は、使い捨ての道具のように遊郭から追い出される。かつての客と結婚する遊女もいれば、金を稼ぐために私娼となって売春を続ける遊女もいる。遊郭に残って働く遊女もいる。
だが、孤独になった遊女は放浪の末に野垂れ死んだ。遊郭の外での生活を夢見ていた彼女たちは、外界の膨大な情報で圧死した。彼女たちは外界の広さに絶望したことだろう。紅姫もこの絶望を経験した。
ドラゴンには感謝している。わっちが尊敬していた藍姫さまを自由にしてくれたし、わっちも自由にしてくれた。わっちのために危険を承知でギャングと取引してくれたし、酩酊したわっちをベッドまで運んでくれた。ドラゴンは平和な居場所を作るために戦っている。藍姫さまとの約束を果たすためだとしても、わっちは感謝している。藍姫さまを見捨てたことは許せなかったが、こうして命を賭けて約束のために戦っているのだ、藍姫さまのことを心の底から愛していたのだろう。きっとわっちよりもひどく悲しんだのだろうな。
紅姫は今朝のことを思い出した。
ひどい吐き気で目覚めると、龍凜はソファーから立ち上がってあらかじめ自動販売機で購入しておいた熱いペットボトルのお茶を手渡してきた。紅姫はベッドの端に座ってお茶をすすり、隣に座ったきりだんまりの龍凜を横目でちらりと一瞥した。その表情は茫然自失としており、瞼は赤く泣き腫らしていた。恐らく藍姫のことで涙を流していたのだろう。
ドラゴンは非の打ちどころがない紳士だ。だが、ドラゴンには何かが欠けている。人間になくてはならない何かが欠けている。重要な何かのねじが欠けている。紳士としては完全でも、人間として不完全だ。
紅姫は膝に肘をつき、頬杖をついた。
「ドラゴンはわっちのことを……あ、愛していると言ってくれた。あれは本心だったのだろうか? 藍姫さまのことを心の底から愛していたのに、わっちを愛することができるのだろうか? むぅ、わからん!」
龍凜に欠けている何かは愛に関係しているのではないか――紅姫はなんとなくそう思った。
しかし、紅姫も愛については無知であった。遊郭で商品とされているのは虚偽の愛であり、遊女は真実の愛とは無縁なのだ。真実の愛に発展することもあるが、男を邪険にしてきた彼女はやはりそれとは無縁であった。
わっちはドラゴンのことをどう思っているのだろう? 容姿は中性的で麗しい。紳士的で物腰も柔らかい。一緒にいると楽しいし、笑顔を思い出すと全身が火照って熱くなってくる。これが恋なのだろうか? わっちも龍凜のことを愛しているということだろうか?
紅姫は両手で顔面を覆ってくねくねと身をよじらせた。
依存しなければならないのは確かであるが、紅姫は龍凜に恋をしていた。
身請けされたからにはお主を愛そう。虚偽の愛に付き合うのはもう飽きた。わっちは真実の愛をお主に捧げたい。
「わっちももう少し素直にならねばな。自分で言うのもなんだが、わっちはひねくれているからな。あ、愛していると言葉で伝えた方がいいのだろうか……? も、もっと大胆になった方がいいのだろうか……? くっ、そんなことをするくらいなら死んだ方がましだ!」
紅姫が妄想に悶絶していると、観客席がどよめいた。
コロッセオの中心では龍凜と巨人のような男が相対していた。観客席の歓声は、試合前のショーでキメラを瞬殺した龍凜の登場によるものだろう。一緒に歓声を浴びているような気がして、紅姫は鼻が高くなった。
だが、歓声には黄色い声も混じっている。どうやら女からの人気も高いようだ。筋骨隆々としたむさい男たちの中にほっそりとした爽やかな男がいるのだ、ある意味紅一点だ。
紅姫はむっと頬を膨らませた。
日本刀を携えた龍凜はサムライだ。正体を隠しているガスマスクがミステリアスな魅力を引き出している。それに対して、巨人は両手にトゥーハンデッドソードを持っている。トゥーハンデッドの意味を取り違えた使用方法だ。
両者はそれぞれの武器を構えた。
「ドラゴン、どうか勝ってくれ」
紅姫は両手の五指を組み合わせて龍凜の無事を祈った。戦闘が開始されると、再び不安が押し寄せてきた。
このコロッセオにおいて負けることは死だ。強者が生き、弱者が死ぬ。龍凜が生き残るには優勝するしかない。
龍凜は日本刀の柄と鞘に手をかけている。巨人はトゥーハンデッドソードの刃を交差させている。
両者は互いの行動を窺っていたが、ついに巨人が動き出した。トゥーハンデッドソードを交差させたまま前進した。トゥーハンデッドソードの重量の負荷が少ない上に、攻撃と防御に対応させやすい構えだ。
それでも龍凜は全く動じない。日本刀の柄と鞘に手をかけたまま微動だにしない。
――勝負は一瞬で決着した。
間合いが接触した瞬間、巨人は交差させていたトゥーハンデッドソードを振り抜いた。範囲は広く、隙のない斬撃だ。が、龍凜は跳躍して巨人の頭の上を飛び越えた。それから、振り向きざまに居合い斬りを放った。日本刀が頭部を切断し、巨体は膝から崩れ落ちた。
須臾の静寂の後、爆発的な歓声がコロッセオに響き渡った。黄色い声も一層大きくなり、観客席は熱狂に沸いた。
観客席の盛り上がりに気圧されつつ、紅姫は胸を撫で下ろした。心なしか、肩が凝っているような気がした。
「勝ったのはいいが……黄色い声が気に食わん」
紅姫は複雑な表情で頬杖をついた。
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