幸せとの邂逅2
行灯の火が不気味に揺らめいた。
夜が深まり、殷賑極まる吉原遊郭も閑静になった。
高尾太夫――
はだけた着物を整える。マッチを擦り、煙管の煙草に火をつける。
今夜は酌をしたくらいだ。着物の帯を解いた後、男はまどろみの波に飲まれて眠ってしまった。
おかげでわっちも安眠できる。もう二度と会うことはないだろう。
藍姫は白煙をふっと吐き出した。
大蛇のごとき白煙がとぐろを巻く。
ああ、つまらない。なんて退屈なのだろう。檻の中での生活にはもううんざりだ。
藍姫は十五年の人生をこの吉原遊郭で生きてきた。夜になるたびに虚偽の愛を演じなければならない。両親の記憶はない。想像している両親はひどく醜悪だ。生きるためなら子供さえも売る――きっと両親はそういう人間だったのだろう。
藍姫の人生は虚飾ばかりだ。己を美貌で装飾し、男にはたった一夜の夢を見せる。何一つとして真実がない。
わっちは籠の中の鳥だ。本来なら鳥は自由であって然るべきだが、籠の中ではもの同然だ。鑑賞されるために翼をもがれてしまった。
煙管の雁首を煙草盆にたたきつける。吸い殻がさっと落ちる。
藍姫はふと思い立った――ここから抜け出してしまおう、と。
遊郭から足を踏み出したことがないわけではない。花魁道中で何度か吉原の通りを闊歩したことがある。
だが、藍姫にとって遊郭の外は未知の世界であった。同時に、少なくともここよりも希望のある世界であった。
藍姫は立ち上がり、着物の帯を固く結んだ。それから、箪笥から予備の帯をいくつか引き出した。
帯同士を繋ぎ合わせて長い紐状にする。それを部屋の柱にきつく結びつけて窓の外へと垂らす。これで遊郭から脱出しようという寸法だ。
この窓は通りに面しているが、時間帯もあって幸い誰もいなかった。まあ、朝になれば逃げたことがすぐにばれてしまうだろうが。藍姫はそれでも構わなかった。たとえ折檻されるのだとしても怖くはなかった。
窓の縁に足をかけると、つんざくような寒風にさらされた。藍姫はぶるりと肩を竦ませて、今度は窓の縁に尻を載せて両脚をぶらつかせた。
もうすぐ夜が明ける。その前にできる限り遠くへ逃げなければ。
両手でしっかり帯を握りしめる。壁に交互に足をかけながら慎重に下りていく。手足がかじかむ。
地面に両足をつけて、藍姫はほっと胸を撫で下ろした。それから、裸足であることに気がついた。
玄関で下駄を履き、マッチで提灯の中の蝋燭に点火する。
外界の空気は新鮮だった。深呼吸すると肺が凍ってしまいそうだった。
どれくらい歩いただろうか。振り返ってももう遊郭は見当たらなかった。通りの両端に立ち並ぶ長屋ばかりが視線を惹いた。
藍姫は吉原に圧倒されていた。
吉原がこんなに広いとは思わなかった。日本は、いや、世界はもっと広いのだろうな。やはりわっちは井の中の蛙だったというわけだ。
藍姫は路地裏に足を踏み入れた。そして、間もなくして歩みを止めた。
「疲れた」
藍姫は絶望していた。
外界には希望があると思っていたのに。真実があると思っていたのに。居場所があると思っていたのに。
藍姫はうずくまり、嘆息した。涙で視界がぼやけてきた。
藍姫の足首には透明な枷がはめられていた。その鎖は遊郭に繋がれていた。
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