第3話●混乱しすぎた宇宙(タイムマシン)
「ふむ」昔のネイティブ・アメリカンの様な見事な羽飾りのボネットを身につけた、筋骨隆々のシロバカマ博士が唸った。「少々、部屋が狭くないか? それにまた、さっきより人が増えた様だが」
「博士、話しかけているのはそちらの宇宙の私ではありません」中世ヨーロッパ風の全身甲冑の上から白衣を着込んだナイアラト助手が遠くの壁際から声をかける。「と言っても私の宇宙の博士は何処へ行ったのでしょう……?」
広い研究室は混雑した満員電車の様に、あらゆる種類の服装の人間達でぎゅうぎゅう詰めの有様だった。
尤もこの部屋の人間はシロバカマ博士とナイアラト助手の2種類しかいない。
「タイムマシンを作った結果がこうだとはな……」
片眼に眼帯、片手に鉤爪をつけた海賊衣装のシロバカマ博士が、シャーロック・ホームズ風でパイプを吹かす、同じシロバカマ博士を押しのけながら言う。研究室は大勢の体温がこもって暑かった。
「どうしてこうなったんでしょうかね……」
銀ラメの全身タイツで頭に金魚鉢の様なバブルヘルメットをかぶったナイアラトが、半魚人風ウェットスーツで人造エラをつけた自分と、裸に一張羅の毛皮をまとう全身刺青の自分達に挟まれながら呟く。
ここにいる博士全員がどうしてこうなったのか過去を思い出そうとする、
研究室の空調はフル稼働して、蒸し蒸しとした空気をなんとか涼しくしようと焦りの作動音をたてていた。
時間的距離は15分ほど前の宇宙にさかのぼる。
その時、研究室には誰もいなかった。
やがて室内中央の空中にほのかな光がともり、発光は強く眩しくなりながら、虫の羽音の様なハム音も甲高くなっていく。
床近くで一瞬の稲妻に似た光が閃き、同時に2つの人影が出現した。
白衣を着たシロバカマ博士と助手のナイアラト。
2人は腰に巻いている銀色の機械的なベルトの発光するスイッチを切り、周囲からエアコンの静かな音以外が消えたのを確認した。そして研究室の壁掛け時計と自分の腕時計を見比べる。
「タイムマシンの操作実験は成功ですね、博士」
「ああ、計算通りだな」
「子供時代の事はおぼろげにしか憶えていませんでしたが、あの時に帽子をくれたのが、大人になった自分だとは微塵にも思いませんでしたよ」
「そうだな。これで過去と未来の因果の辻褄があったわけだ」
心躍って今にも跳びはねかねないといった様子のナイアラトに、シロバカマ博士は冷静に説明を返した。
「しかし、矛盾が出来ませんか、博士? あの帽子が過去の私が未来の私からもらった物だとするとあの帽子の始まりは何処にあるんですか? あの帽子は未来と過去がループしているじゃありませんか」
タイムマシンの操作実験。
助手ナイアラトには少年時代、見知らぬ大人の男性からある日、帽子をもらったという記憶があった。以来、ナイアラトはその帽子を大事に持っていた。
タイムマシンを発明したシロバカマ博士はナイアラト助手を連れて、ナイアラトの少年時代のまさにその時、その場所へと時間をさかのぼり、まだ帽子を持っていない子供のナイアラトに出会った。
助手ナイアラトは大人になっても持っていたその帽子を子供時代の少年ナイアラトに渡し、そしてまたタイムマシンで現在の研究室へと戻ってきたのだった。
2人は無事に出発したのとほぼ同じ空間的距離、時間的距離、意味的距離の現在のこの世界へ帰還した。
今、ここには帽子はない。
「あの帽子は一体、何処から出てきたんです?」ナイアラトの人差し指は空中に大きな円をぐるぐる描いた。「私があの帽子を買った事実がなく、過去から今まで帽子を受けついだと考えると、時間の流れの中にいつの間にかあの帽子が現れて、未来の私と過去の私の間で完全に閉じた堂々巡りしている事になるじゃありませんか。同じ帽子が。因果関係が破綻していますよ」
その言葉にシロバカマ博士は画家マウリッツ・エッシャーが描いていた、騙し絵的な絵画を思い出す。1枚の絵画の中に人工の水路が描かれ、それは滝から流れ落ちた水が下の水路に受け止められて、その水が傾斜をつけた水路を左へ左へと下っていく内に何故か最初の滝へと戻っていくという遠近法と上下感覚が混同されて一巡する超現実的絵画だ。入り口も出口もない。ナイアラトの説明では、最後の滝から最初の水路へと流れ落ちていく部分が時間移動の部分にあたる。
「いや、破綻していないというのが私の元よりの考えだ。理論通り、因果は補強されて保存されたのだ」だがシロバカマ博士は慌てる様子もなく言った。「全ては時間移動が成功したという事実から物語られる事なのだ」
「博士、そこの所がよく解らないのですが……」
「最初からきちんと話すと長い話になるが……まず、質量保存の法則について考えてみたまえ。私達の住むこの宇宙は1つの『系(システム)』だ。とりあえず宇宙をその外部との質量やエネルギーの交流がない、完全に閉じた系、『閉鎖系』だと考えてみる。……量子力学的には、宇宙は時空にあまねく存在する量子場にエネルギーが加えられる事によって励起する量子の瞬間瞬間の存在分布確率情報だと言える。つまり一見では、私達の宇宙は一瞬一瞬が独立した閉鎖した系だと思えるのだ。宇宙は過去から未来へと向かう、一瞬一瞬の薄紙の様な独立した時空の層が連続して重なった『時空連続体』を作っていると考える」
言いながら博士は自分の説明した宇宙観のビジュアルを研究室の大きなホワイトボードに書き殴りはじめた。
おおまかな輪郭でとりあえず宇宙を大雑把な2次元的に空想する。その一面には埋め尽くさん限りの膨大な量子があり、あらゆる方向に多くの仮想のバネでつながれている。それが宇宙のあまねく全てに敷き詰められた遥かなる量子場のイメージ。星も銀河も星雲も星間物質が存在しない空虚の全てが、宇宙地図に量子場として分散している。量子場はエネルギーを得て、バネをのばす様に量子という素粒子へと励起させる。1つのバネがのびれば周りのバネもつられてのびる。これが波としての量子の性質だ。
この静止した2次元地図を薄紙よりも薄い、時間の最小単位として捉える。一瞬一瞬の現在。2次元の宇宙地図は微妙に位置が違う量子の分布を見せながら過去方向から未来方向へと現在を重ねている。隙間なく連続する1本の柱の様に連なっているのが過去から未来へと続く137億年超の時空連続体のイメージだ。
今、この宇宙の一瞬一瞬、時間の最小単位を独立した閉鎖系だと想像してみる。
閉鎖系とは外部とエネルギーや質量の交流がない、独立した系。
閉鎖系の中でエネルギーや質量の量は一定でそれ以上、減りも増えもしない。
つまり、どれだけ未来の宇宙も過去の宇宙も、現在と総量が変わらない。
「……しかし、これでは時間移動に関して、1つの矛盾が生まれる」
この宇宙の姿だと時間移動というのは不可能に思えた。何故ならば、ある時間から他の過去や未来へと人間等物体が移動する事は、ある閉鎖系から他の閉鎖系へと質量が移動する事になるからだ。
「これが矛盾だ。ある系から質量が減り、ある系でその分の質量が増えるという事は、宇宙が個々の時間で独立した閉鎖系だという考えでは質量保存の法則に反する事になるのだよ」シロバカマ博士の言葉は語りかける様になる。「しかし、私達は実際に時間移動に成功してきた。……では、この現実をどう捉えるべきなのか?」
聴いているナイアラトは大人しく次の言葉を待っている。
博士は言った。
「と、いう事はこの宇宙は一瞬一瞬に独立した閉鎖系の連続ではない。宇宙は起源たる過去から悠久の未来まで時間的には貫通した、開放系なのだと」
博士はホワイトボードを黒ペンで切りつける様に図を描く。宇宙の図を貫通する1本の線。
「私達は既に時間移動を実現させた。ある現在から違う現在へと質量を移動させる事に成功したのだ。つまり、宇宙の時間はエネルギーや質量が自由に過去未来間を移動出来る連鎖した開放系なのだ。つながっているからにはある瞬間で質量が減り、ある瞬間に移動するという事は起こりえるのだ」
この宇宙の姿を更にシンプルにしてみようと博士は考えた。
「宇宙は量子場で満たされている」
エネルギーを与えられて、量子場は素粒子的な量子へと収斂する。量子の存在は不連続で確率的だ。ある瞬間の量子の位置、もしくは運動は観測された瞬間に決定し、確率的にしか推測出来ない。
宇宙とは情報だ。全量子の存在分布可能性の情報体。量子の存在確率の偏り。それが宇宙なのだ。
「宇宙の実態が確率的であるという事は、現在がこの宇宙とは多少、もしくははなはだしく違った形になる可能性が常に存在するという事だ」
『シュレディンガーの猫』という例えが量子論にはある。物理学者エルヴィン・シュレディンガーが提示した問題で、50%の確率で放射線を出し、それを感知すると致死性ガスを出す装置を猫と共に箱の中に入れて蓋を閉める。すると蓋を開けて観測した瞬間に半々の確率では猫は死んでいるか生きているかが確認されるのだが、蓋の閉められた箱の中の猫は確率50%ずつの生と死が重ね合わされた奇妙な現実状態で存在する事になる、というものだ。観測問題というミクロな量子論的確率問題を、猫の生死という日常的な感覚の問題に拡大した思考実験だが『多世界解釈』という1つの解釈では、箱の中の猫は観測された瞬間、それが死んだ世界と生きている世界に観測者共々に分岐するという。
量子力学には多数の宇宙が確率的に存在するという現実解釈が内包されるのだ。
幾つもの世界が重ね合わせ状態で同時に存在する。
理解する人の数だけ世界はある。
「では、この宇宙の一瞬とは一体、何なのか?」
シロバカマ博士は叩きつける様にホワイトボードに黒点を打った。
私達の『現在』は実現可能な宇宙を観測したものの1つなのかもしれない。
「過去と未来は確かに実在しているが、現在というものは私達の頭の中にしかない」とシロバカマ博士は言った。
「どういう事です、博士」
「それを説明するにはまず次の様に考えるのだ」
宇宙は『4次元の、相対的に等価である各座標の、量子場のエネルギー分布確率が記述された1つの系』という形に置きかえる事が出来る。4次元とは高さ、幅、奥行き、そして時間だ。
これは全ての過去から未来へと貫通する時間軸で一つながりになった宇宙の一瞬を1つの系とし、全ての量子がどの様な形で何処の位置に存在しているのかを記述している情報である。一瞬過去の宇宙、一瞬未来の宇宙の形という情報もこの中に確率的に含まれている事になる。
そして、これは時間経過と確率性を含むが故、自分達が所属する宇宙の全ての時間における一瞬の状態と、確率的に分岐してきた無数に存在するとされている別時間軸の多世界の一瞬をも同じ様に記述する事が出来るという推測が成り立つ。
宇宙は巨視的には相対性理論が、微視的には量子論が支配する。
相対性理論によれば、宇宙の全ては相対的だ。それは量子も同じだ。
宇宙に絶対座標はないので、量子の確率的な座標確定の結果として分岐してきた多世界のそれぞれの価値も相対的という事になる。
つまり、全ての可能性の宇宙は『一瞬』を時間の最小単位にして量子の存在確率情報として記述出来る。この『現在』と似た宇宙も、遥かに違っている宇宙も、それは確率の差による並行宇宙でしかない。勿論、あらゆる過去の宇宙も未来の宇宙も全く同じに表現出来る。
量子は不連続的だ。
自分達の宇宙と、他の並行宇宙の間に絶対的な価値差というものはないのだ。
あらゆる多世界。
過去。
未来。
全ての一瞬一瞬は並行宇宙として記述された1つのパターンにすぎない。
時間の流れがなければ、過去の宇宙の1つも、未来の宇宙の1つも、どれだけへだたった並行宇宙の一瞬も、量子の分布状況が違うだけの並行宇宙の3次元地図にすぎないのだ。よって私達の今いる宇宙も含め、全ての並行宇宙の過去と未来は等価であるといえる。
一瞬一瞬の時間の宇宙量子地図をレイヤーとして重ね合わせ、統合したものがこの全宇宙なのだ。
「では私達が体感し、観測し、記述する『時間』とは一体、何なのか? 時間の性質について説明するぞ。……まず、相対性理論によれば光速は有限である」
認識した情報の伝達速度は有限なので、外界の『現在』とそれを認識した後の脳内の『現在』は一致しない。更に脳内の意識に基づく動作もまた脳神経伝達と時差がある。わずかな時差だ。だが、時間差はあるのだ。人間が認識している『現在』とは、外界にある様々な事象の時間のずれを脳内で補正して合成した『脳内の仮想空間』の『今』である。
現在という体感時間と一致しない『仮想世界』を脳内で認識、言語化するという行為は、コペンハーゲン解釈の「認識とは客観的な記録として情報固定する事である」という概念と等しいと思える、と博士は言った。
正しい認識とは脳内での過去情報を元にした『予測』が、現在と合致したのだという事なのだ。
時間とは科学的には、複数の情報を比較検討した認識である。
単独で変化のない情報系を観察しても時間概念は生じない。
本来、宇宙とは量子レベルでは不連続な性質である。
「しかし宇宙を観測して成立せしめているとされる人間には、連続する時間の流れというものが意識されている。人間には宇宙を連続的なものとして認識する性質があり、言いかえれば『意識』は過去と未来という情報系をまたぎこし、情報を運ぶ事が出来るのだ。未来と過去にしみだす意識。つまり観測している宇宙に時間の流れという連続性を発生させているのは、観測者たる人間自身だという見方が出来るのだ」
断言する博士。そのシロバカマ博士の説明に正直なところ、ナイアラトは理解がついていかない様な、ちょっと困った表情をしている。
「人間の意識が宇宙の時間の流れを作っているのですか?」とナイアラトは訊いた。
「その事についてはまた、後で触れる」シロバカマ博士がイレーズボタンを押すと数式、図式、説明文に埋め尽くされて抽象絵画の様になっていたホワイトボードが全部クリアになった。 白く綺麗になったボードに、博士は新たに字を書き込みながら説明を再開する。「ちょっとより道するぞ。……理解する事によって情報は意味を持つ」
測定されていない量子は宇宙のあらゆる場所に存在する可能性がある。量子は確率的にしか記述出来ない非観測状態ではあらゆる座標の存在可能性をゼロには出来ず、確率的には宇宙にあまねく存在する事になる。実体がぼやけた波の性質なのだ。観測で座標確定される事で初めて他座標に存在する可能性をなくせるのだ。
量子論は未観測状態の宇宙は実体化していないはずなので、観測者である人間の存在こそが宇宙を実在させているという解釈もある。『人間原理』だ。量子論は観測情報を記録として客観的に固定する事により、量子が持つ可能性が現実の事象になるのだという解釈もある。
「実現を願った事は、それに対するアプローチが適確なほど実現しやすい。思い願う事もまたアプローチ手段の1つだ。頭に描ける事は全て実現する可能性がある。宇宙には並行世界という無限の『物語』がある。空想出来る物語は、必ず何処かの現実だ。空想と現実は区別がない。自分の現実は、誰かにとっての物語なのだ」
シロバカマ博士は祈祷師の呪文の様な言葉をつむいだ。
「次は人間という情報存在と進化についてだ。……ついてきているかね? 私達の脳は過去に得た認識を元にしてニューロン神経網の構成を発達させている。また生物の進化は自然選択説を真とするならば、人間を含め、全ての生物のDNAは自らの形質に対応する自然環境情報を含んでいる事になる。また認識機能である脳もDNAで作りあげられていると言っていい」
そして体内時計を始め、脳は身体機能の多様な変化を常にモニターしているはずなのだ。それらもやはり外部環境の変化に対応する事もある。
脳を持つ生物は神経や感覚器から獲得した宇宙の情報を肉体という器質に置きかえ、未来へと保存しているといえる。
大胆に発想すれば、生物というのは宇宙という情報系の、自己保存機能なのだという考え方すら出来る。
しかし、生き物は情報を完全な形で保存出来ない。
生物が情報を完全な形で保存する為には、対象を完全に理解する必要がある。そのためには情報を完全な形で全て取り込む必要があるが、それは不可能である。認識能力の限界もあり、情報は断片的にしか取り込めない。
取り込んだ情報の解釈が正しいのか、その保証も出来ない。
自分の判断が正しいかを自分だけで判断するには、自分の判断能力の正しさを前提にしなければならない。それは正しさの言及の堂々巡りとなり、無意味だ。
宇宙の状態変化を司っているらしい、生物の保存情報はこの様に不完全かつ主観的だという事になる。
生物が多種多様に進化して生息地域を広げ、個体数や種が増える事で、生物という器質に置き換わる保存情報は増えていく。
しかし情報保存形式に客観性が加わる革新がなければ、宇宙という情報系は時間の流れと共に過去情報との誤差、つまり事実との誤差が増えていく。
いずれ宇宙は情報の乱雑さ、エントロピー極大の凍結した終末を逃れ得ないのだ。
「ここで人間が特に発達させている能力の事を考えたい」
ホモ・サピエンスたる人間は他の生物種に比べ、推測能力とと道具使用と言語をいちじるしく発達させている。
推測とは情報構造のルールをさぐり、未知情報を確定する為の能力だ。
人間は全ての生物の中で最も、情報断片を合理的な形に構成出来る能力を持っているといえる。つまり正確な元の形への復元率が高いのだ。
しかし、それでもやはり情報解釈にミスがある可能性はぬぐいきれない。特に未来推測は、外れてしまったものは空想でしかないとされる。
推測能力を高める、つまり主観情報と客観情報のより合致を目指すには情報獲得能力と理解力を高める必要がある。
また人間は、用途に応じた道具を作成して使用する能力に優れている。
道具とは生来能力の不足を補って、実現可能性を広げるものだ。
道具により人間は、より確実でより強力な対象操作を可能にし、より精確で効率的な情報保存を可能にし、より広くスピーディに活動範囲を獲得し、そしてより自らにふさわしい環境を得る事が出来た。
人間は未来推測と現実性のギャップを、道具を使いこなす事で埋める事が出来る。
更に言語と文法を発明し、記号に置き換えた獲得情報を構文として、意味解釈を共有出来る。
容易になったコミュニケーションのおかげで、情報の共有や交換で不備を補える様になり、誤解や論理矛盾を正すといった作業もしやすくなった。個人多数の主観と客観的な現実のギャップは更に埋められる様になったのだ。
完全に一致したコミュニケーションこそ出来ないものの、他の生物種に比べ、けた違いに優れた情報理解、収集、そして保存して共用する事が出来るのは間違いがない。
人間という種は、最も客観的に現実を把握している観測者集団で、宇宙における最もノイズが少ない情報保存機能なのだ。
意識自体が宇宙時空にまたがっているのだと考えない限りは、これには情報保存機能が不可欠になる。
しかし、情報保存機能自体も独立した系の一部のはずだ。
連続する宇宙にまたがっている器質機能自体が超時間独立した意識を持っていると考えられる。
当然、人間自身も宇宙の一部なので、人間という存在は宇宙の時間を発生させる機能だともいえる。
意識は過去から未来へと情報を受け渡す最大要因でもあるはずだ。未来にあたる並行宇宙との『時間連続性』も人間が生じさせているのだ。
これが人間の意識が過去から未来へと流れていく『時間』というものが生じる最大要因であり、結果でもある。
「これが人間の意識と時間の関係だ。つまり時間とは人間原理が生じさせているのだと私は考える。少なくとも現在、時間の連続性のイニシアチブは人間の意識が握っているといえる」
宇宙に流れる『時間の連続性』は、生物の意識、特に高度に発達している人間のそれと深く関係しているらしい。
現在、まだ『意識』というものは解明されていない。
ただし、ここでは宇宙時間のイニシアチブを握る人間が高度に発達させている推測能力、道具使用、言語と関連が深いと推測し、既に公表されている様様な仮説等を参考に、時間相対性を持つ並行宇宙群モデルを成立させうる意識モデルを考えてみる。
人間は体質として情報を渇望する。
人間は全ての感覚器を自分で遮断する事は出来ず、常に新しい情報を取り入れている。
意識は情報をノイズと意味に主観的に分別し、言語は情報を客観的に固定する。
認識を自覚していない無意識情報もある。
外からだけに限らず体内からの情報もあり、眠っている時も外からの干渉が夢に反映される。全感覚が遮断されたり、情報がまるで与えられない様な環境に置かれると、脳が自ら幻覚という擬似情報を作り出す。
脳の情報獲得は本能的欲求だといえる。
認識した情報は区別し、整理し、解釈する。その情報の類型を推測し、ノイズを除去してディテールを確定し、知識にあるものとの関連を求める。
意味付けをするのだ。意味付け出来る範囲こそが自分自身である様に、事実だろうと憶測だろうと構わず、何かしらかの自分が知るものへと置きかえる。虚実確認が定かでない経験さえ誤解、錯覚という名を与えて理解しようとする。
認識し、記憶に置きかえる。
意味付けした記憶は想起しやすく、また他の関連情報と組み合わせて整理された状況を構築しやすい。
物語を作りやすい、という言い方も出来る。
人間は記憶そのままを何処かに蓄えるのではない。
『多文書理論』によれば、記憶は何処かに蓄えられるのではなく、状況に応じて脳内の各部所が同期し、有意味の情報として組み上げられるという。自己という概念はそれを錯覚して意識したものにすぎない。人間は経験情報を写実的に記憶するのではなく、認識を様様な要素に分解し、対応する脳の各部に散らばらせる様に保存するという。
記憶された花は写実的な花としてではなく、色味や輪郭、匂い、動き等の各情報に分解され、思い出す時はそれを再構成して花というものを再現する。
記憶は変質しないという保証がない。むしろ変質しやすさを裏づける事例は多い。
他人の指摘や物品的証拠などもなく、自分だけで変質してしまった記憶と実際の過去経験とを区別する事は出来ない。
そもそも様様な沢山の感覚器から同時に情報を取り入れ、それを解釈して脳内で1つの状況として認識するという構造は、記憶再現だけでなくリアルタイムな現在認識でも同じである。
人間という器質は、経験事実と、主観が作り出した物語を区別出来ない構造なのだ。
人間は自らの現実という物語を読み解きながら生きているものだといえる。
「では何故、人間はこの様な性質なのか?」
人間は多数の感覚器と連結された神経ネットワークの塊だと例えてみる。
単純な要素の複雑な作用。複雑系科学によれば、相互作用するカオス化した複雑な系はその周縁で乱流を自己組織化を始めて秩序化しようとする。
それを『散逸構造』という。そして。それはワンレベル上の管理システムを創発する。
神経ネットワークは複雑な情報を処理する為に『脳』を創発したのではないか。脳は高度な神経システムなのだ。
もしかしたら生物の進化原理は自然選択説だけではないのかもしれない。
情報系という姿をした宇宙の考察をしてみたい。情報系の一部としての意識を考えてみる。
情報とはエネルギーの一形態であるとすれば、物理法則に従う。
宇宙は絶えず混乱の度合いであるエントロピーが増大し、いずれ無秩序の極みに到達して終焉を迎えると言われている。これは不可避だとされている。
エントロピーは必ず増えるもので減らす事は不可能。
つまり、エントロピー増大方向が未来の方向とも言う事も出来る。
これは宇宙寿命の導火線の様な物で、いつかは必ず時間切れになる。
物理の乱流系は自己組織化してエントロピーを減らそうとする性質がある。
しかし自然界では、ある構造系の活動が臨界点を迎えた時、その不安定さがカタストロフィー的変化をうながして、新しい構造系を分岐させる事がある。この新しい系は自己を触媒にする形で構造変化の過程を加速させ、影響を及ぼしている周囲の影響を受けて新しい状態が決定する。
これが『複雑系科学』だ。自己組織化という安定。自己組織化には状況影響が不可避的な多大影響を持つ。
自己組織化は、その変化中の状態が更なる自己組織化を促進する。自己触媒。安定を目指す状態は自己を触媒として安定を促進する。
自己組織化というエントロピー最小状態への構造変化。
自己組織化はエントロピー軽減の現象だ。
「宇宙がエントロピーを減らす為に進化させた散逸構造体。それが人間だ。必然的な自然発生なのだ」
複雑な神経組織ネットワークが脳を創発させた様に、脳自体の複雑さ、単純な情報を複雑に関与させて管理させる仕組みが『意識』を発生させたのかもしれない。
「ライプニツの『モナド(単子)論』の新解釈と有効性を示したいと思う」シロバカマ博士は慎重そうな面持ちになって、ホワイトボードをイレーズしながら言った。
まず『全ての並行宇宙は等価』という命題の証明を試みてみる。
私達が知る宇宙というものを述語的に扱う為、そこに実在するものから意味を取り除き、言葉で述べた数学論理的モデルという形にまで還元してみたい。
すると宇宙は『4次元時空の、相対的に等価である各座標の、量子場のエネルギー分布確率が記述された1つの系』という形に置きかえる事が出来る。
これは全ての過去から未来へと貫通する時間軸で一つながりになった宇宙の一瞬を1つの系とし、全ての量子がどの様な形で何処の位置に存在しているのかを記述している情報である。一瞬過去の宇宙、一瞬未来の宇宙の形という情報もこの中に確率的に含まれている事になる。
この情報系と、時間が過去から未来へと流れている状態の宇宙を示している言語や公理は、意味性を取り除いた記号として等価という事だ。
そして、これは時間経過と確率性を含むが故、私達が所属する宇宙の全ての時間における一瞬の状態と、確率的に分岐してきた無数に存在するとされている別時間軸の並行宇宙の一瞬をも同じ様に記述する事が出来るのだ。
宇宙に絶対座標はないので、量子の確率的な座標確定の結果として分岐してきた並行宇宙のそれぞれの価値も相対的という事になる。
私達の宇宙と、他の並行宇宙の間に絶対的な価値差というものはないのだ。
過去も未来の様に不確定なのだ。現在の一瞬を過ぎ去った過去は再び未来と同じ様に拡散する。
私達が今いる宇宙も可能性から生じた並行世界のバリエーションの1つに他ならない。それは並行宇宙全ての過去未来の一瞬にも通用し、このような『4次元の情報系』という形へ還元出来る。
私達の宇宙も含め、すべての並行宇宙の過去と未来は等価であるといえる。
「量子の運動は不連続でランダムにふるまうとされるが、宇宙というものに時間の連続性が見出される限り、過去の事象に連続性をもたらしやすくなる様、確率的と考える方が現実的だと思われる。このモデルの宇宙を構成する量子の1つ1つに注目し、量子場の概念を当てはめてみる」
『場の量子論』で提唱されている量子場とは、量子そのものを次元のある空間、つまり場として扱い、空間内部のエネルギー潜在性が最も小さい状態が、現在の宇宙で観測された状態だとするものだ。
並行宇宙の概念を当てはめれば、空間内部のエネルギー潜在率の大きさとは、量子座標の運動幅つまり確率性であり、発生可能な並行宇宙の量を示している。エネルギー潜在性最小とはそれがゼロになった、つまり量子が確定されて私達の宇宙を実在させている事を示すのだ。
『4次元の情報系』を、量子場というものはエネルギーの潜在性として内在している事になる。
量子場は量子力学の理論と観測の矛盾を解消する為に提唱されたものだが、奇妙にも量子論成立のはるか以前に提唱された『モナド(単子)』と極めて類似している。シロバカマ博士はそう言った。
数学者ゴットフリート・ライプニツのモナド論とは「宇宙は単子というもので構成され、単子には多様な個性があって1つとして同じ物がなく、それぞれが独立し、それでいて距離に関係なく全てが相互に影響しあっている」という理論だ。
単子はそれぞれ唯一にして宇宙全てを構成している、全にして一の物だというのだ。
これは量子場の概念と非常に似ていると考える。少なくともシロバカマ博士はそう言いきった。
量子場はそれぞれ個性を持つ無限種類の並行宇宙を発生させる潜在性を示し、また量子1つが確定されてある並行宇宙が発生したならば、それはただちに他の量子へと影響し、それを構成するものであると確定してしまうからである。
モナド論は、単子は無限遠相互作用的な性質がある為、ある結果は他の状態に影響された必然なのだという予定調和の性質を抱えている。
予定調和は量子論の確率性と相反するものである。
しかし量子の確率性は無限種類の並行宇宙へと分岐する事が保証されている故に成立していると考えるなら、不確実性と予定調和は観点の違いでしかなくなる事になる。確率的な並行宇宙への到達は必然といえるからだ。偶然と運命は1つのものの二通りの見方なのだ。
「矛盾した2項を包括したまま、系が成立する事を数学者クルト・ゲーデル&アルフレット・タルスキーの発見した『不完全性定理』は証明している。そこで並行宇宙を含め全ての量子宇宙を客観的に説明したモデルとして、モナド・モデルは有効だといえるのだ」
不完全性定理という言葉を聞いた時、ナイアラトは慎重に慎重を重ねた面持ちになった。まるで「騙されないぞ」という風に。
博士は言った。「モナド論による宇宙モデルは、量子場によって構成されている宇宙モデルと概ね似ていると思われる。しかし何処まで似ているのか? モナド論は『私達の宇宙は、それぞれの人間の主観的なものの捉え方を、互いに観察しあっている状態なのだ』と説明する。宇宙に複数の観測者がいるならば、ある人間が観察している宇宙という情景には、自分を観察する他の人間も含まれる」
その相手からすれば、彼の観察する宇宙には彼を観測している自分も含まれる事になる。
モナド・モデルはこの様に実在する1つの宇宙が、複数観測者の主観が重ね合わせになった状態で出来ている事を示している。それこそが客観的な宇宙というものの様にだ。
しかし個人個人の主観は相反する事もある。
相反する主観を同時成立させた重ね合わせ状態の宇宙とは、具体的にどの様なものか? それは同じ量子が同時に別座標で観測されたり、実在が他の実在と同じ位置を占める事であるという確率が高いだろう。
宇宙に1つきりの物が別々の場所で同時に手に入ったり、幾つかの惑星が同じ空間を重なって占有する事がありえるのか?
これと似た様なパラドックスに『シュレディンガーの猫』が相当する。
この様な宇宙が真実なのだろうか。
全ての量子場の重ね合わせ状態。
私達は、宇宙のこの様な状態を経験した事があるのだろうか。
そもそも宇宙を構成する量子場の状態を左右してしまう『観測』とは一体、何なのか。
量子力学における観測とは、宇宙の極微規模を構成している量子の位置、もしくは運動を測定する事であり、量子は測定された時点で座標が確定される為、完全な予測は量子を操作する事にも等しくなる。
優れた予測に基づき、正しい手段でアプローチした未来は、実現度が高いはずだ。
優れた予測に基づく精度の高い量子観測は、予想された位置で量子を観測出来る可能性が高い。
人間の未来を実現させようという発想、努力が、それが適う未来宇宙を引き寄せているという考え方が出来る。
観測した時、確定された情報がそこに現れるのだ。
知は力だ。つまり宇宙という、4次元の情報系の全てを知り、また操れるものという事になるのだ。
その中には宇宙に存在する他の人間全ても含まれ、その脳の状態も知りえて、操作出来る事になる。その者達の思考、推測、観測さえも操れるならば、ますます宇宙の制御は思うままといえるだろう。
「絶対正確な観測の出来る者は、すなわち全知全能の存在なのだ」
「……神、だというのですか、博士?」
「科学者は言葉を慎重に選ぶべきだ、ナイアラト。……しかし全知全能者がいるとしたら最低限、そういうものだろうな、という予想は出来る」
「そういうものですかね」
「そういうものだろう」
「……シロバカマ博士。質問が思い浮かんだのですが」
「何だね。ナイアラト」
「全知全能の存在の、いや、それに限らず宇宙を観測しているという人間の意識は何処にあるのでしょうか? もし、この宇宙の中に、例えば脳の中にあるならばその観測している宇宙の中には『自分の意識』も含まれ、不完全性定理によれば『自分を含む系を正しく認識する事』は自分自身の正しさを自分自身の正しさで無限に検証し続ける事になって、実質的に不可能のはずですが」
「いい質問だ、ナイアラト。……私達の意識はこの宇宙の時空の内部では完結しない……宇宙の『外』にはみだしているのだ。にじみ出ていると言ってもいい。この感覚は日常的には理解し難いかもしれん。だが、こう考えると何故、私達はこの不連続な量子宇宙に時間の連続性というものを感じるかが説明出来るのだ。複雑系科学によれば、全体は部分の総和以上になれる。意識は宇宙にある情報全体の総和よりはみだした部分なのだ。人間の脳がワンレベル上位の系を創発したのだ」
「人間の意識はこの宇宙の外にあると? ……正直、理解出来ないです」
「それは意識は結局、この肉体の感覚器を使って、宇宙を感知しているからだよ。意識が外にあっても眼鼻耳肌で外部情報を捉え、内臓感覚で自分の内部を知り、脳で情報処理し、肉体筋肉を使って宇宙にアプローチするからな。意識と宇宙のインタフェースは脳であり、肉体なのだ。……とにかく意識はこの宇宙の外にあり、この宇宙を過去から未来へとまたぎこしていると私は考える。未来と過去にもある程度、はみだしているのだ。観測者である人間の意識は不連続である系を連続する時間としてつなぎあわせる。デジタルの宇宙をアナログの意識で観察する。意識こそがこの宇宙に時間の流れを発生させている『現在』という体験者そのものなのだ」
「そうなると、意識はむしろ『魂』と呼ぶ方がふさわしい様な……」
「『主観的体験』という言葉の方が、かもな」
「肉体、脳等の神経系が意識を生じさせているのでしょうか、博士? それとも脳は意識によって器質的に育っていく物なのでしょうか?」
「恐らくはその『どちらでもある』だろう」
「時間の流れが自己観察である自意識を生み出したのでしょうか? それとも、意識が時間を生じさせているのでしょうか?」
「それも『どちらでもある』だ」
「生物は自然選択によって偶然に宇宙を理解しようとする知的生命体へ進化したのでしょうか? それとも宇宙の情報を理解しようとする知的生命体が進化したのは複雑系科学による必然なのでしょうか?」
「それも『どちらでもある』だ。偶然と運命は同じものの2通りの見方だ。自然選択説も複雑系科学も同等に進化に作用しているのだ。……時間の順序さえ、この宇宙は不確実なのだよ、ナイアラト。私達は実際に時間移動に成功したという事実の上で語っているのだ」
「意識は宇宙という劇場の観客なのでしょうか?」
「宇宙という物語の読者なのかもな。それと同時に登場人物でもある」
「タイムマシンを作った事がこんな複雑で途方もない話になるとは……」
ナイアラトは自分が腰に巻いたタイムマシンを撫でながらトホホという顔をする。
博士はホワイトボードに書きつけながら続けた。
「現在と断続する未来宇宙へと移動出来る時間移動者は『未来は常に確率的な未決定状態であり観測者の認識がこれを決定する』という量子論を一見、否定する。ただし『確率的に存在するあらゆる未来は既に並行宇宙として実在し、観測者は認識範囲でしかこれを確認出来ない』と解釈すれば量子論と未来宇宙への時間移動は両立する。また現在過去未来の基準は相対的なので量子論的並行宇宙既存はあらゆる瞬間に適用が出来て、宇宙は過去未来全瞬間に量子論範囲内無限種類の並行宇宙が存在する事になる。これがこれまでの理論を肯定する。……これがこれまでの説明の流れだったな」
並行宇宙それぞれの『距離』は3次元的、つまり『空間的』なものではなく観測者の認識能力によるので、各宇宙に存在する観測者が1人きりでない以上は空間的にほぼ一致した重ね合わせ状態で別並行宇宙も同時存在するといえる。これら宇宙はその内包する全観測者の最大公約数的認識能力範囲を共有するが、各観測者個別の認識に対して適当な差異を与える。つまり宇宙にいる人間は世界観を共有、許容出来るものを『常識的な範囲』とし、同時に『個人的な範囲』で各々の認識する別世界の作用影響を受け、与えているのだ。
各宇宙は全観測者が共有する客観性、つまり『汎性』と各観測者個人による主観性、つまり『個性』の同時存在によって成り立つ。
「つまり、意識を持つ観測者が複数いれば、宇宙は各個人の主観する領域と客観的な情報によって補足されている、その他の領域の重ね合わせで存在する、という事だ。ついでにいえば心理学者カール・グスタフ・ユングの提唱する『集合無意識』の概念を以下のように解釈出来る」
博士は一息ついた。
「宇宙は全観測者が共有する認識、つまり客観的な情報を基盤とする。これこそが集合無意識だ。また集合無意識は各観測者個別の認識性能を鋳型とした主観的にも振る舞えて、これは個人の精神、性格となる。観測者個別の認識性能とは、個人の物理的肉体的性能限界とも言いかえられる」
博士はさらに呪文をつむいだ。。
「情報体構造の観点からの量子宇宙と、それによるユングの集合無意識論。量子場をモナドと考える事でシンクロニシティは肯定出来る。シンクロニシティは必ず自覚されるものではない、が。……伝達情報解釈による個人差。脳機能による解釈ギャップ。情報構造の中での肉体。『自己』を特定しようとする性質から生じる『意識』。情報宇宙の中での自己組織化。『自己』の特定。……つまり人間は常に無意識に自己考察をする、自分探しをしている存在なのだ」
ナイアラトはもう理解がついていけないといった、必死と平静がない交ぜになった複雑な表情をしている。そんな顔をするのが自分の義務であるかの様に。
「意識とは何か? 意識は人間の器質機能か、もしくは器質に依存するものだ。意識そのものは主観的で他人の意識を直接観察は出来ない。他人の意識内容を知るには観察による推測しか出来ず、必ず理解出来るという保証もない」
意識が情報宇宙の中で情報化出来ると考えると破綻が生じてしまう。だからこそも意識は『外部』なのだ、とシロバカマ博士は言い切った。
宇宙を観測する生物が誕生した時、並行宇宙の確率性、つまり乱雑さは格段と高まった、と博士は続ける。観測者が増える事で宇宙のポテンシャルを奪い、エントロピーを増したのだ。
「だから情報系は進化という形の自己組織化を始めた。人間は経験情報と認識機能を用いて、現在と時間的、空間的に一致しない情報を推測する。これが記憶想起であり、予想である」
だから、進化には自然選択だけではなく、複雑系科学も関与していると思われるのだ。
「ついに人間は高度に発達させた能力で、意識的な量子観測、つまり未来操作が出来る様になった。これを意識して使いこなせば、乱雑さは極小に出来る。一種の理想世界だ」と博士は言う。自分の理論の確実さを信じている様だ。
現代物理学では、閉鎖した1つの世界の無秩序度合いを示す『エントロピー』がある程度以上増えれば、世界はエネルギー切れを起こし、復活は完全不可能になって滅亡する。
「ただし、時間移動者だけが出来る宇宙延命の手段が存在すると思われる。過去に行ってエントロピー発生要因である時空の混乱を整理、曖昧な部分の因果関係を肯定的に補強する等すれば、起こる筈の混乱はなかった事になる。つまりその分のエントロピーは『増えていなかった』事に出来る。例えば、自分の少年時代へ跳んで、自分が持っているはずの帽子を過去の自分に渡す様な行為だよ、ナイアラト。子供の頃から同じ帽子を被り続けている君が、過去に時間移動して子供の自分に帽子を渡すという行為は因果成立を補強し、事実となる。……ここで『不完全性定理』だ。不完全性定理は主観的認識に現実の実効性を持たせて理論自体の正誤を問わないので『帽子の年代を調べる』等、誰かが客観的矛盾を指摘しない限りはそれは現実でいられるはずなのだ」
博士は何処か晴れやかな表情でホワイトボードをまたオール・イレーズした。もう何回、文章図画をイレーズしただろう。尤も消去した図画はボードが自動記録していて、過去の図画は容易に復活出来るのだが。
「……一見、矛盾を起こす様な過去改変でも、不完全性定理に違反しなければパラドックスは発生しないと思われる。因果の補強、つまり『積極的肯定』ですか」
「そうだ。その通りだ。かつてシュレディンガーが『ネゲントロピー』と呼んだネガ・エントロピーという現象がこの様な情報系においては成り立つのだ」ナイアラトの言葉に、シロバカマはきっぱりと答えた。
この閉鎖した1つのものと考えられる宇宙を、人間が物語を整理して乱雑な『自然』を減らすのだ。
「並行宇宙の内『不完全性定理』を原則とするものが私達の並行宇宙だ。不完全性定理は『無矛盾の公理がそれ自体のみで正誤を証明するのは、際限ない自己言及を繰り返すので不可能である事』を数学的に証明したものだ。これを大雑把に『理の辻褄さえ合っていれば、客観的矛盾を指摘されない限り主観的現実は現実である』と解釈する」
宇宙は客観性と主観性が同時存在する。客観は『常識的認識』であり、認識である以上また主観の一態でもある。個別認識である主観は、その正誤を証明するには客観的な矛盾指摘が必要というレベルにおいて不完全性定理と相当性を持つ。
つまり量子論における未来決定は認識によって成されるので全並行宇宙の内、『不完全性定理』の成立するものしか選択出来ない。自分達の宇宙は不完全性定理を原則にするとも解釈出来る。
他の宇宙と比較する事により各情報の差異から因果関係の順序を構築する事が出来るのだ。
時間とは、物理的には状態変化を比較するものだ。
比較出来る複数の状態がある事で初めて時間という概念に意味が生じる。単一や不変の状態では時間というものは意味がない。
それをふまえ、存在する全ての並行宇宙を、それぞれ独立した、完全に相対的な単独の系として考えてみる。無限種類の並行宇宙がそれぞれ関連なく、まるで瞬間を凍結させた写真記録のような光景として、無数に点在しているものとして考えるのである。
「宇宙が有限ならば、自然と並行宇宙の数も有限に決まる事になるか」
確定された量子が大きさを持てば座標位置は有限に思えるが、実際は量子は大きさを持たないに等しい。不完全性定理が示す通り、曖昧な性質の量子がそこにない可能性は完全排除出来ない。つまり量子の座標は常に有限の宇宙にも無限に存在する事になる。よって並行宇宙の存在可能性数は宇宙の有限無限に関わらず無限である。
人間全ては意識の時間移動を行ない続ける『時間の旅人』だと言える。現代物理学それ自体は時間順序が必ずしも過去から未来へと移行、つまり『時間の不可逆性』を保障していない。にも関わらず、不可逆のみが真であると本能的に確信してしまうのは、自己の大脳を構成する情報蓄積こそが過去であり、現実であるという脳生理の問題があるのかもしれない。脳という肉体的束縛の中にある限り、未来とは経験情報ではない推測、想像によってのみしか感知出来ない。
「また、これらは以下の様に言えるのだ。全並行宇宙は過去未来通じて1つの系であるので集合無意識は全時間が共有する1つのものである。ただし各瞬間の宇宙が並行宇宙として独立する以上、観測者個人の認識性能も各瞬間に独立する。観測者の意識に未来方向への連続性があるのは主観的な過去全情報を持つ主体、つまり『自己』という鋳型へ集合無意識の認識性能が移行するからだ。現状の『次の瞬間』としてふさわしい条件を持つ自己という情報体へと、最も飛びやすい浮島へジャンプする如く『意識を移行させる』という言い方も出来る。意識移行に成功した対象を自己と認識するのだ」
「自分、もしくは他の存在の影響により『最も実現可能性が高くなった』宇宙の『自分』へと、自己の『意識』が憑依するのですね?」
「そうだよ、ナイアラト」
「そして、それも『意識が外にある』という理由なのですね」
「そうだよ、その通りだよ、ナイアラト」
「では意識はそれ自体が過去未来に飛翔し続ける、天然のタイムマシンだというのですか?」
「進化生物学者リチャード・ドーキンスは昔『生物はDNAの乗り物である』と言ったが、生物は意識の乗り物であると言えるかもしれないな」
これまでの論により、と博士はあらためて続けた。不完全性定理の成立する並行宇宙は無限種類既存する。
これによれば例え創作であろうともあらゆる『想像』や『論説』も理の辻褄さえ合っているなら相当する並行宇宙は既存し、その想像や論説の『記述・記録』は即ちそれに相当する並行宇宙の『記述・記録』となる。つまり創作物語の読解はそれ相当の宇宙の理解であり、その認識は主観的現実である故に客観的矛盾を指摘されない限り実効性を持つ。
その情報体『書物』に観測者つまり読者を受け入れる準備があれば、それを鋳型として読者の意識は書物の内的宇宙に移行する事も可能だろう。
「結論として、過去未来の全瞬間、あらゆる状態の宇宙は並行宇宙として既に存在している。並行宇宙は砂時計の砂だ」博士はくびれた砂時計の絵を描く。「過去も未来もバラバラの宇宙。それらが現在という狭隘な一瞬を通り過ぎるのだ。人々の意識は認識で選択された未来方向の宇宙にある自己へと移行していく。各並行宇宙は不完全性定理を原則とし、観測者の客観と主観を同時存在させた重ね合わせ状態で存在している。理に矛盾さえなければどんな状態でも現実として実効性を持つ。人々が想像出来る限りの物語は全て、何処かの並行宇宙の現実である」
言いながらシロバカマ博士は更に自分の言葉をホワイトボードに書きつける。
「さらに……」
「結論じゃなかったんですか」
「……さらに」
自分は誰かに観測されて存在化する、とシロバカマ博士は言った。誰かは自分に観測されて存在する。これが宇宙を形作っていると考えるのは感覚的に因果矛盾を起こしているかの様に考えられるが、しかしこの循環規模が相対性理論から求められる超時空規模で為されているとされていれば矛盾はなくなる。
人間認識を為さしめるマインドの問題がまさにこの超時空規模での循環で発生せしめられていると理論化出来れば、前の理論の礎となる。
「人間の脳が超時間的な連結を持つとすれば、脳は超時間的な情報伝達、検出が出来る器官という事になる。更に宇宙というものが瞬間瞬間で独立した情報系だとすれば、人間脳はそれをまたがった超時空認識系だといえる。人間の現在は過去と未来推測の差分である。各人間はそれぞれの脳機能として認識出来る並行宇宙を主観的に実在として感覚している」
現在とは宇宙に存在する各人の認識性能が認識出来る範囲だ。各人が他人を認識する場合はそれは一部を抽象的にしか認知出来ない。完全理解はそのものにならない限り不可能。人間にとって『他』はシンボル、アイコンにすぎない。だからその抽象情報を主観、例えば推測や経験則、状況情報等で補う。他人とは外からしか観察するしか出来ない。他人とは1つのミクロコスモスなのだ。
「不完全性定理に基づくメタ宇宙構造とは……」
量子は存在を確率的にしか表せず、観測でのみ位置が特定される。
観測者は確実に0、1、2…といった自然数で数えられる実在であるが故、観測された量子状態も対応する自然数で決定され、観測された量子論宇宙は自然数の実在因子によって構成される事になる。この様に量子論の宇宙は数学的に、自然数を扱うペアノ算術の形式的体系で扱え、その体系で成立する不完全性定理も理論的実効性を持つ。
量子宇宙は『時空間における全量子の存在分布確率の情報を記録したもの』であって、その情報構成原理が不完全性定理なのだ。この記録を機構を純粋情報として認識、利用する為には宇宙外からの客観的観点が必要であり、つまり宇宙の外側には更に宇宙が存在する事を暗示する。またその宇宙も同じ理論を以って更に外側の宇宙の存在を示し、無限なる包括連鎖のメタ構造がある事を示唆する。またこれは内側へと向かう方向に関しても同等で、全ての宇宙は情報体としてメタ的フラクタル構造の中途点である事が示される。
「ホロン構造。端的に、各宇宙という情報体は『物語』、ワンレベル上位の外宇宙からの視点は『読者』とも表せる。全ての読者はワンレベル上位の宇宙の読者にとって物語の登場人物なのだ」
宇宙に保存されている情報を収集し、解釈して意味を見出す器官が脳。感覚器官が情報収集器。もしくは外界と内界のインタフェース。
時間の流れが観察者個人の主観によって生じるとすれば、その認識機能に依存する事になり、肉体機能的な限界が生じる。例え、意識が宇宙の『外』でもこれからは逃れ得ない。宇宙は観察者が観測出来うる範囲内でしか事実になりえていない事になる。道具などの補助によって情報獲得能力を補強する事も出来るが、いずれにせよ器質に依存する認識限界を超えて宇宙を理解する事は出来ない。自らが知りうる以上を知りえないのだ。
「人間は情報宇宙の意味認識端末なのかもしれない。情報を解釈し、自分を解釈する。情報解釈の精度を上げる為には状況情報、経験情報を集め、自己の入力器官の信頼性を試し続ける。自分を知る。自己解析。過去と自分の違いを知る。更に過去に作った未来予想自己と現在の自己の差を求める。それらの情報を区別する為、現在の自分を『実』とし、それ以外を『偽』とする認識システムを持っている……」
私達が存在する宇宙の、過去から現在まで継続してきた時間を1本の樹だと考えると、可能性としてありえた宇宙を無数の枝として思い浮かべる事が出来る。その枝からもまた同じ理由で同じような無数の枝がのび、想像が及ばないほどにそれらは無限に繰り返される事になる。
傍からこの宇宙樹を眺められるならば、幹は継続する時間の瞬間瞬間という分節から宇宙を構成する全量子が内包する可能性の数だけ枝をのばし、さらにその1本1本も同じように時間分節と可能性の積だけ枝をのばす……というフラクタル構造の無限拡大に圧倒されるだろう。それはそもそもの幹と枝を区別するのも出来なくなるほど空間を埋めつくしているはずで、しかも客観的に見れば、最初の幹も確率的に選ばれた可能性の1つにすぎず、枝となった宇宙との違いは可能性の幅であり、その分岐繰り返しの結果にすぎない。
非決定論のルールでは、これら宇宙は相対的で、主と副の区別は無意味である。どれか1つの並行宇宙から眺めれば、私達が今いる宇宙も可能性の枝にすぎない。
この様に私達が存在する宇宙は、過去に分岐を繰り返して無数の宇宙を生じさせてきたという推測が量子論から求められる。
それらは並行宇宙である。これらは量子論の規則が共通する無限種類の多様なバリエーションを持って無数個存在すると考えられる。
私達が想像可能な全て、いまだ想像する事も出来ない物事や事象は無限の並行宇宙のどれかで現実として実在すると考えられる。
外れた予言が、実は外れてはいなかった宇宙が何処かにあるかもしれない。架空の物事について述べた時、論理整合性があるならばそれは虚構ではなく、ある並行宇宙で起こった事実を知らずに述べていると言える。
並行宇宙というものを範疇に含めて考えた時、現実と虚構の区分は曖昧になってしまうのである。
また観察者が宇宙に1人きりしか存在するのでもなければ、宇宙は複数の観察者の主観にさらされる事になり、同じ対象が同時に複数の観察者に観測される様な事態もありえる。
異なる状態をそれぞれの事実とする並行世界が重ね合わせで存在しうるという多世界仮説へとつながる話だが、複数の観察者が同時に事実確認をしたならば、対象は1つの主観を事実だとせざるをえない。
それまでそれぞれの観察者に同時に真だった状態が、事実確認された瞬間、真と誤に分かれてしまうのだ。事実が誤へと変容するのであり、さかのぼって考えるとその観察者のそもそもの認識が間違っていたのだというパラドックスが生じてしまう。
では、このような状況で自分の認識こそが真であると事前に知る事は出来るだろうか?
「出来ない。観察者が自分の認識している事実が真か誤かを確認する事は主観だけでは不可能という事が、不完全性定理から求められるからだ。だが、不完全性定理は、完全でなくてもパラドックスを内包していても全体の系は成立する事を証明している。それらを組みこんでも宇宙を説明するモデルとしての形は破綻しない」
観察者の意識はこのような宇宙をまたぎこして時間の流れという連続性を生じさせている。
人間原理の主役である観測者たる人間は、自らが認識出来る宇宙が矛盾に満ち、不完全である事を受け入れなければならないのだ。
「それが結論なのですか、博士」
「これが1つの結論だが、話はまだ別にある。これが時間移動したという事実から進展する論なのだよ」
シロバカマ博士はナイアラトに向かって、左手の3本の指を突き出した。
「私達の宇宙は相対的にどれだけ座標が離れているかで位置を示す事が出来る。私達は一瞬後の状態はその距離をどれだけ離れた相対座標に存在する可能性が大きいかで未来位置に移行出来るのだ。つまり私達を作っている量子の『運動』だよ。意識は静止していない限りは自動的にそれらの距離を跳躍する……その座標、つまり相対距離であり、到達する宇宙は3種類ある」
博士は人差し指の1本だけを宙に突き立てた。
「まずは『時間的距離』。……私達の今いる宇宙から時間的にどれだけ離れた距離に行けるかというものだ。一瞬後の私達の意識は時間跳躍でもしなければ、一瞬後に存在する可能性が最も高い並行宇宙に移動する。その宇宙は、1分後なら1分後の距離座標、1年後なら1年後の距離座標だ。未来も過去も同じ並行宇宙の一瞬の状態にすぎない。その時間的距離を意識が跳躍する事によって時間の流れを感じる。全く同じに見える宇宙でもエントロピーの状態によって時間の順序をつけられる。エントロピーは時間経過と共に乱雑さを増す傾向にある。つまり、エントロピーの少ない方が過去であり、増えているのは未来だ。私達の意識は通常、現在と過去未来に染み出す様に存在するはずだ」
人差し指の横に中指を開き、2本の指を立てる。
「そして『空間的距離』。……私達の今いる宇宙からどれだけ空間的に離れた距離にいるかというものだ。これが一番理解しやすいだろう。1歩歩けば、その1歩分の距離を、1光年動けば1光年分の時間的距離を動いた宇宙へと私達は移行する。私達のありとあらゆる動きに対応した宇宙へと自分達は移動するのだ。私達が両手を挙げようとすれば、宇宙はその状態めざして運動する。勿論、宇宙にある、ありとあらゆる存在の動きにこれが対応する。量子力学上、次の一瞬には宇宙のありとあらゆる場所に移動可能なのだが、現在から最も移動出来る可能性が高い場所に移動しやすい」
そして3本目の薬指が他の2本に指に沿う様に突き立った。
「そして、3番目が宇宙が人間の意識に依存する、人間原理ならではの最も重要な距離、『意味的距離』だ」
シロバカマ博士の眼はこれこそが本命だという様に輝いていた。
「これは『呪術的距離』という呼び方をしてもいいだろう。……情報から情報へ。物語から物語へ。その時の観測者の意識に最も意味が近い並行宇宙、仏教的に言えば、最も『縁』が近い宇宙へと移動するベクトルだ。連続する時間に意味を見出すのは観察者たる人間の仕業だ。意味を作り上げようとするのは人間の本能だ。脳が情報を処理し解釈する以上、宇宙という情報体に棲む私達の意識は連想という文字、言葉、アイコン、シンボルの意味性からは完全に逃れる事は出来ない。脳は直感的に他の存在、並行宇宙をアイコンとして理解していると言っていい。そのアイコンの操作だ。これは量子場論が無限距離まで影響が届く単子である故、宇宙の隅々まで一瞬に傾向が届く、言わばシンクロニティ。魔術の様な儀式。呪術の様な言葉。フェティッシュを介した遠隔操作。祈念に応える奇跡。コンピュータのインタフェース。超能力。韻を踏む言葉。言霊。記憶。体験。イマジネーション。ミーム。因から果へ。……時間的距離、空間的距離とは違う、人の想いが生み出すベクトルだ。情報量の近似性が一見、ツェノンの逆説空間を飛び越え、距離的に曖昧な量子同士で出来ているはずの実体同士を触れ合わせる事を可能にするのかもしれん」
博士の声はうわずっている
「あの、博士、少々解りづらいのですが」ナイアラトが小さく挙手しながら尋ねる。「それはシンボルを操ったり、アイテムを使ったり、魔法的に意味ある言葉を唱えたりして、その効果が現れる未来の宇宙へと自分達が移動していく、その手段だと考えていいのでしょうか。言い詰めれば猫に向かって『ネコがねこんだ』と言えば、その猫は体調を悪くしてしまう様な、そんな駄洒落的な……」
「馬鹿馬鹿しい駄洒落の例えを持ち出して、感想を陳腐化しようとするつもりかもしれんが、ナイアラト、君の問いかけにはイエスと答えておくぞ。ただ、これにも実現可能性というものがある。宇宙の操作はそれにより適した儀式の方が、そうでないものより遥かに実現しやすいのだ。人形を使って人を呪うより、その人間に面と向かって罵倒して気分を害させる方が実現しやすいという風にな。勿論、これには実行者の技量や道具も関係する。体験、解釈、実行。その精度だ」
「オカルトの肯定ですか、博士」
「理論で万人納得の客観的な肯定が出来れば、それは科学だよ、ナイアラト」
シロバカマ博士は突き立てた3本の指に、黒ペンを絡ませ、ホワイトボードにXYZ軸に伸びる3本の矢印を書いた。
「時間、空間、意味。私達の一瞬後はこの3本の合成ベクトルによって決まるのだ」
「…………」
「私達の宇宙は脳で意識される現在に収束するが、過去も未来と同じ様に不確定だ。現在が過ぎ去って過去になった宇宙は再び、霧の如き可能性の量子場の分布図に戻るのだ」
「しかし、それでは博士、私達が体験してきた過去がまたほぐれてしまうのでは私達の記憶の中の過去宇宙はどうなってしまうのですか? 人間によって記録された情報は? 私達が辿ってきた時間の世界線は保存されるのではないですか?」
「保存されるとも。情報体である自分達の記憶としてな」
「もしかして、最初の時間移動実験に私の過去が選ばれたのはそれが理由なんでしょうか? 私の子供の頃の記憶、それを辿って、少年の私に会いに行った、と」
「それは大いに関係があるのだ、ナイアラト。君の記憶を時間移動の為の指標に使ったのだ。意味的移動、時間的移動、空間的移動は可能性の高い『次』へと変移する。ナイアラト、君の記憶によれば、君は子供の頃に帽子を誰かから譲りうけた。しかし、君はその帽子を渡してくれた相手が誰だかは知らない。その話を聞いた時、私は最初のタイムマシンの実験は、その記憶をなぞろうと決めたのだ。私達のタイムマシンの実験として成功しやすいのは助手である君の記憶に基づいて、その過去へ行く事だ。記憶のある本人と一緒に行くのだからな。その過去が最も成功の可能性が高いと思われたのだ」
シロバカマ博士は一瞬、眼を閉じた。博士の記憶の中に、全てを塗りこめる様にあふれる夕陽の光と共に、ナイアラト助手が子供の頃の自分に帽子を手渡した情景のシルエットが思い浮かんでくる。それはついぞさっき体験した、20年以上前の時間的距離、空間的距離、意味的距離の宇宙の出来事だ。
「わざわざ辻褄を合わせに行ったから成功の確率は高くなった。少年時代の記憶を持った君が到着する事で、霧の様に不確定だった量子場に意味が想起され、少年時代の宇宙が再現出されたのだ。つまり、君の意味的距離が最も近かったのだよ」
「博士、それだと現在の私が未来の宇宙からその帽子を持ってきたという事になります。一体、どういう事なんですか? それでそもそも私が抱いていた疑問に戻ります。……私があの帽子を買った事実がなく、過去から今まで帽子を受けついで、その帽子を過去の私にまた届けに行ったと考えると、時間の流れの中にいつの間にかあの帽子が現れて、未来の私と過去の私の間で完全に閉じた堂々巡りしている事になるじゃありませんか。同じ帽子が。因果関係が破綻していますよ」
「だから、因果関係は破綻していないだろう。不完全性定理は、完全でなくてもパラドックスを内包していても全体の系は成立する事を証明している。それらを組みこんでも宇宙を説明するモデルとしての形は破綻しない。この世界は多少、ずるをしてもそれを客観的に証明されなければ……例えば、あの帽子が当時に存在してなかった化学繊維等で出来ていて、それを証明したりしなければ……宇宙は破綻しないのだ。麻雀は反則をしてもそれが見破られない限りはゲームは通常通りに成立し、進行する。それと同じ様に少々の反則は客観的な指摘がなければ矛盾と認められず、時間の流れは破綻しないのだろう。私の考えていた通りだ」
シロバカマ博士が一息吸って、続けた。
「時間移動者だけが出来る宇宙延命の手段が存在するとさっき言ったな。過去に行ってエントロピー発生要因である時空の雑然さを整理、曖昧な部分の因果関係を肯定的に補強する等すれば、起こるはずの混乱はなかった事になる。つまりその分のエントロピーは『増えていなかった』と出来る。固定された物語はもう霧散しない。子供の頃から同じ帽子を被り続けている君が、過去に時間移動して子供の自分に帽子を渡すという行為は因果成立を補強し、事実となる」
「……一見、矛盾を起こす様な過去改変でも、不完全性定理に違反しなければパラドックスは発生しない。……因果の補強、つまり『積極的肯定』ですか」
「そうだ。その通りだ。シュレディンガーが『ネゲントロピー』と呼んだ現象がこの様な情報系においては成り立つのだ。この閉鎖した1つのものと考えられる宇宙を、人間が物語を整理して乱雑な『自然』を減らすのだ。意識的なエントロピーの減少だよ」
シロバカマ博士は見えない観客を意識するかの様にしばし眼を閉じた。
霧の様に不確定な時間の流れの中に、自分達が因果が循環した、完結した『物語』を作る。
物語は情報体としての宇宙に現実化して保存されるのだ。
「博士。しかし私達が一番最初にそれを考えて実行した今回の前には、帽子を手渡した過去はなかったはずですよね。現在の私達がそれを考えついて実行する前は、あの過去は誰の『物語』だったんでしょうか」
「私達が最初だったのだよ。ナイアラト。私達がそれをやる前は君が1回限りの過去として体験した後は、君との『距離』が離れるにつれ、やがては不確定の霧として宇宙の量子場のただの存在可能性の情報となっていたのだ」
「それを私達の知性が補強して因果のある『物語』として固定させた、と」
ナイアラトもしばし眼を閉じ、やがて開いた。
「博士、突飛な話かもしれませんが、もしかしてこの宇宙には私達の他に知的生命体がいるのではないでしょうか。彼らは既にタイムマシンを発明していて、私達が今こうやって話している『現在』も彼らがとうの昔に作った『物語』だとしたら……」
「突飛な話ではないな。その可能性は十分にある。ただ確かめようがないがな」
「誰が最初かは解りませんか……」
「私達が宇宙の知性体の進化というレースのトップランナーである可能性も十分にあるのだよ。少なくとも私達のタイムマシンは私達のオリジナルだ。そして、多分、同じ『観測者』であるその異星人と観測者同士による主観が衝突したら、相手自体も含めて、より宇宙を情報体として精緻に理解している方が勝つだろう」
「もう一つ、疑問があります。過去に行った私達はどうして同じ『現在』に戻ってこれたのでしょうか。まがりなりにも過去をいじってきた私達は、それによって流れが変化してしまった未来、つまりこことは違う現在へ到着する可能性がありえたのではないでしょうか」
「……ナイアラト、『ドラえもん』を知っているかね」
「知ってるも何も同人版の最終回まで読んでますよ」」
「あれの原作の第1話に『例え、時間移動によって歴史が改ざんされても結局は同じ未来に辿りつく事が保障されている』といった様な科白があったのを憶えているかね」
「確か、のび太がジャイアンの妹、ジャイ子と結婚する事を阻止しに来た孫の孫のセワシに『運命を変えたら君は生まれてこなくなる』と言ったら、彼は『自分は結局、生まれてくる。目的地に着くまでは色々な道筋があったとしても、方角さえ正しければいつかは目的地に着くんだ』と返す場面ですね」
「そうだ。どうしてその様な事が言えるか? 私はそれがセワシのいる未来から来たドラえもんという知性体その物が、彼のやってきた未来へ辿りつく保証になっているからだと思うのだ。セワシの来た22世紀の記憶を持っていたドラえもんが意味的座標を自分がいる未来へと時間の流れを引っ張り上げ、やがて訪れるべきドラえもんが生まれた未来の『現在』へと流れつく様にしている、というのが私の理論に則った解釈なのだ」
「ドラえもんという『物語』が、ですか……。私達もそれと同じ様に未来である現在の記憶を持っていた。だからこの現在へ戻ってこれたというわけですか」
「イエスだ、ナイアラト」シロバカマ博士はナイアラト助手に指を突きつけた。「このタイムマシンはドラえもんの世界へ行けるだろう。頭で想像出来る世界は全て、無数にある並行宇宙の1つだからな。ただ、自分達の今のタイムマシンでは完全フィクションの物語世界への跳躍にはエネルギーや意味的距離、その他の困難があるかもしれない。だから、今回は成功しやすい過去宇宙への跳躍実験にすませた。ドラえもんの世界への挑戦は次からの実験の5番目辺りには試みてみてみよう」
ナイアラトは深長な面持ちをしていた。
そして『100パーセント当たる推測』『必ず当たる予知能力』と『起こってしまった偶然』『必然』は、その結果だけを見ても区別出来ない、と博士は言った。
未来予測の正確さは、未来へ現在時間軸をロックオンする可能性の高さだといえる。仮に100%正確な未来予測が出来るならば、それは100%の確率で現在をその未来へと固定する未来実現と区別をつける事は出来ない。
未来予測と将来実現を同一にする事は、未来の結果によって過去の原因が成立する事も肯定し原因から結果への因果関係を否定する。しかしシロバカマ博士によれば、相対性理論による宇宙像は、そもそも未来と過去すら相対的であり、因果関係は従来の公理を成立させる為の仮説に過ぎないという。
「過去と未来は相対的だがな。しかしタイムトラベルで未来の宇宙へ辿りつけたならば、出発した時点にあった未来が確率的に分岐するという可能性は、1つの未来が選ばれた事で消えてしまった事になる。この様にタイムトラベルは可能性を1つに集約させ、時間を閉じたものにしてしまう性質を持っている。未来から過去へ来た場合、さっき述べたドラえもんの様に因果は保証される。尤もその因果順序は時間移動した者の体験や行動に左右されてしまう。……タイムトラベルは常に因果矛盾の可能性、いわゆる親殺しのパラドックスを生じさせる可能性も含んでいる。自分が生まれる前の過去にタイムトラベルし、生む前の親を殺してしまえば、その将来に自分がタイムトラベルして親を殺しにいくという事実が消えてしまう。そんな、相反する事実を帯の両面として半分ひねり、タイムトラベルという接着剤で因果の端をつないだ、メビウスの輪のようなパラドックスだ。しかし、これらの超時間のパラドックスを直感的に非現実だとして理論を破棄してしまうのは短絡がすぎると思える。可能性は……」
「あのー、博士」ナイアラトが申し訳なさそうな口調で口を挟む。
「どうかね、ナイアラト。感極まったか? 私達が時間移動に成功したという事実からこれだけの理論が肯定されるのだぞ」
「いや、それより博士、さっきから変な音が聞こえているのですが……」
その時だった。
いつからか聴こえていたハム音がにわかに高まり、2人の確実な可聴域になり、耳をつんざいた。
研究室での2人の前でフラッシュを焚いたかの如き眩しい光が爆発し、一瞬、眼を奪う。
研究室のホワイトボードの前に新たな2人の人影が出現した。
大きく白い五芒星をシンボルとして染め抜いた黒いローブをまとったシロバカマ博士そっくりの人物。
灰色の粗末なローブをまとったナイアラト助手そっくりの人物。
この2人は現れてすぐには研究室内部に一言漏らした。
「どうやら実験は成功の様だな。ナイアラト」
「そうですね、シロバカマ博士」
日本語だった。
「タイムマシンの実動は成功したな」
シロバカマ博士そっくりの男は右手に持った星の光を閉じ込めたカンテラを眼の高さまで持ち上げる。その時になって初めて元からこの部屋にいたもう2人に気づいた様だ。
「何者だ、お前達。……未来人か」
「博士、私と博士にそっくりな男達がいますよ」
「何者だとは何ものだ」
「博士、もしかして違う並行宇宙の私達じゃないでしょうか」
4人の会話は混乱から即座に状況理解へと働いた事を示していた。。
その会話が交わされてすぐに研究室内で新たなハム音が響き、プラズマの様な眩い光が瞬くと共にまた2人の男が出現する。
今度は身の丈2メートルを遥かに超える、くたびれた上着を着たフランケンシュタインの怪物めいたシロバカマ博士と、その肩に乗った小柄なぼさぼさ頭のナイアラトだった。
「時空を超える、煙草葉の生成には、成功した様だ、な」
「そうですな、博士。ケケケ」
新たな2人は言いながら紙巻煙草の紫煙をくゆらせた。
そして、また研究室の一角で2つのフラッシュが同時に瞬き、幾何学模様の空飛ぶ絨毯に乗ったアラビアンなシロバカマとナイアラトが出現する。
「アッラーフ・アクバル! 成功したぞ、ナイアラト」
「果たして、ここは我らがアッラーのご加護が届く所でしょうか、シロバカマ博士」
研究室内で8人の眼線が交錯する。
それからは加速しながら連続するフラッシュ群と研究室内に充満して巻き起こるハム音の甲高い破裂だった。
コスプレパーティの様に様々な格好をしたシロバカマ博士とナイアラト助手の2人セットが次々と出現し、研究室の空きスペースを埋めていく。
それは全く、局所的な人口爆発だった。
物語の宇宙は15分、未来方向へ時間的移動をした。
空間的移動は主に研究室内部からしてはいない。
意味的移動もこの研究室内にロックオンされていた。
研究室は何人いるかも数えられないほどの異装のシロバカマ博士とナイアラト助手に埋め尽くされ、しかもまだまだ増えていく。限りというものが見えない。
SF。ファンタジー。正装。野蛮。甲冑。刺青。軟体。赤鱗。鬼。縄文時代。サムライニンジャ。サイボーグ。ウェディングドレス。
「成功したぞ、ナイアラト」「え、そういう博士は何処に」「こっちだ、ナイアラト」「違う、そっちの私じゃない。私はこっちだ」「違う、こっちだ」「こっち、こっちだーよ」「博士ー……」い「少なくともここは鬼が島ではない」「この服装だと浮くな……」「ドンマイですよ、博士」「違う、違うんだ。科学的探究心というのはな」「よし、成功だ。多分」「私の宇宙の博士はいずこ……」「科学者でいる為には科学者の心というものが必要だ」「段々と爪先立ちの余地すらなくなっていきますね」「インシャラー」
部屋の床が抜けるのを心配するか、酸素の消費が呼吸に追いつかなくなっていくのを心配するか、あまりの体温のこもり具合に熱中症を心配するかという事態になっているこの研究室で、腰にベルト状のタイムマシンを巻いたシロバカマ博士が声を挙げた。
「聴こえるか? ナイアラト!」
「はい、シロバカマ博士!」同じく腰にタイムベルトを巻いたナイアラト助手が答えた。「どうしてこんな事態になったんですか?」
「この宇宙以外のそれぞれの並行宇宙にいる私と君が、時間移動のタイムマシンを発明して、次々とこの研究室に実験で集まってきたんだ! 今、一番、各宇宙で存在する可能性が大きいのはこの世界と同じ様にタイムマシンを発明し、他の世界を訪れている私達だからな!」
「何故に私達のこの研究室のこの瞬間に集中っ? もっと他にもこの宇宙に似た宇宙もあるでしょうに?」
「それは宇宙の自分達が紛れもなくトップランナーだからだ! 各並行宇宙の中で私達が一番最初にタイムマシンを発明し、宇宙理解の競争でトップに立っていたという証拠だ! だから意味的距離が最も未来の先端にいる私達の宇宙に次の発明者がやってきて、後は3番手、4番手と続いて来たんだ! 後はもう止まらん! 今、意味的密度が最も『濃い』のはこの宇宙だ! 重力に引かれる様に時間的距離、空間的距離、意味的距離が極めて近い、この宇宙のこの実験室のこのタイムマシンが作られた、この現在の瞬間に集まってくる!」
「博士! このままでは圧縮されて死んでしまいます!」
「ナイアラト、タイムベルトをシンクロさせろ!」
「はい! 博士!」
博士はぎゅうぎゅう詰めの雑踏の中で苦労しながらタイムベルトを調整し、スイッチを入れる。
フラッシュ。
この猛混雑の研究室内で1組のシロバカマ博士とナイアラトが何よりも眩い輝きを放ち、次の一瞬、重力から解き放たれる。
ちょっとだけ気が遠くなり、気がつくと2人以外の全てのシロバカマ博士とナイアラト助手が一斉に消え去っていた。空気が涼しい。あっけないほどの開放感。
研究室のホワイトボードはまっさらの白いままだ。
「……皆、消えた……」
しわくちゃの白衣のナイアラトが呟いた。
「皆が何処かへ行ったのではない、ナイアラト」と同じしわくちゃ白衣の博士が言う。「私達が意味的距離が遠く離れた宇宙へとタイムマシンでジャンプしたのだ。……この宇宙の私達は既に飛び立った後みたいだな」
「ここは元の研究室とは違う宇宙なんですか……。別の宇宙だなんて、何か気持ち悪くないですか」
「別に。宇宙が違うとはいえ、同じ研究室だ」
「もう、私達めがけて他の宇宙の私達がてんこ盛りに集まってくる事はないんでしょうか」
「ふむ」
それだけ言うとシロバカマ博士はしばし眼を閉じて、無言で白い天井を仰いだ。
ナイアラトは時間をもてあます。
「……ふむ。こちらには来ない様だな。多分、皆、元の研究所に殺到し続けているのだろう。あそこの意味的密度がもう、それほど濃いのだ」
「あの研究室と人間達が今頃どうなっているか、考えたくないですね。……でも、シロバカマ博士」
「何だね、ナイアラト」
「どうでしょう、あの研究室をトラップとして、並行世界のシロバカマ博士と助手である私、ナイアラトを自分以外、皆殺しに……おほん、殲滅させる事が出来れば、私達は全宇宙で唯一のシロバカマとナイアラトとして君臨する事が出来るんじゃないでしょうか?」
顔を伏せがちのナイアラトだが、何故か眼がぎらぎらとした異様な輝きを帯びているのがシロバカマ博士には何故か解った。その声は普通の音量ながら不思議な高揚さえある。
「放っておけばタイムマシンを発明出来るほどに知性を高めた人間はあの部屋に集まり、そしてぎゅうぎゅう詰めの果てに全員『プチッ!』ですよ。私達が手を下すまでもない。……そして私達は永遠のトップランナーになるんです。全並行宇宙で最も宇宙を理解した、唯一の存在……それはか」
「待て、ナイアラト!」博士は慌てて彼の言葉をさえぎった。「科学者は言葉を選ぶべきだと言ったろう。……それに私は間接的にも大量殺人をする気はない。前の研究室の事については何か対策を考えよう」
「科学者らしい思考ですか……。それなら、もう一度、タイムマシンで少年時代の過去の私に会って、例の帽子を奪ってくるのはどうです。あるべきはずの帽子がない過去が生じる。これは時間の物語性の積極的否定、親殺しのパラドックスですよ」
紅色の輝きを思わせる瞳。滑らかなナイアラトの声に狂気があるのをシロバカマ博士は感じる。
「……どうでしょう、博士? それでも今の記憶がある私がいるんだから、私達はこの現在に帰ってこれると思いますが、それでも宇宙の雑然さは高まるでしょう。せっかく物語の秩序が芽生えた過去の宇宙をまた混乱させるんです。そういう事を次々と行えば、宇宙は混乱し、エントロピーはやがて……。私達はこの宇宙を生かすも殺すも思いのままに出来ますよ。どうです? 宇宙が私達を生んだというのなら造物主への反乱なんていかにも空想科学的じゃないですか。すぐにやろう。今すぐに試しましょう。科学者のテーマとして実地実験で試してみる価値がある事だと……」
「試すなッ!」
一喝がナイアラトの論説を断ち切った。
ナイアラトは肝が冷えた様に、言葉を失って、ただ博士を見つめるだけになる。
「……でも、博士……」
細い声がようやく絞り出される。
「さっき、博士は人間が知性を得る為に進化したみたいな事を言いましたけれども、その言葉には恐ろしい可能性が秘められている事に気がついていますか? この世の中には生まれつきにも後天的な病気や事故でも知……」
「……言うな。ナイアラト」
「でも……」
「それは科学者の領分ではない。その問題に向き合わなければならないのは、科学者よりもむしろ……宗教者、哲学者、政治家の仕事だ……」
言いながらシロバカマ博士は傍らのホワイトボードに黒ペンで『Q.E.D.(証明終了)』と大きく書き、そして、しばし考えて、その文字を二重線で書き消した。
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