第2話●映画・狂的感想

 Aランチのトレイをテーブルに乗せると、白衣を着たナイアラトは食堂のプラスチック製の椅子に腰を下ろした。

 陽の射す窓際の、研究所の遅い午後の昼食。白衣のシロバカマ博士もAランチのトレイと共にその向かいに腰を下ろした。

「やっぱり双子のアンデッドとの戦いがスピーディで緊迫していて面白かったですね、博士。普通の武器だと攻撃無効な辺りが何とも。テーブルトークRPGやっていた学生の頃を思い出しましたよ」

「テーブルトークRPGかね。古風だな。君はどんなゲームをやっていたのかね?」

「主に『クトゥルフの呼び声』です」ナイアラト助手がテーブルトークRPGのゲーム名を答えた。「尤もファンタジー物もやりこみましたが」

 シロバカマ博士と助手ナイアラトは最近DVDをレンタルして観た、前世紀のSF映画について話していた。本職の研究の事ではない、互いの趣味についてのざっくばらんとしたよもやま話。今はちょっとテーブルトークRPGについて脱線していたが。

「ふむ」

 博士は唸る。

 2人は映画『マトリックス』シリーズの2作目『マトリックス・リローデッド』について会話を交わしていた。

「しかし、マトリックスは主人公側の方が全身黒ずくめで悪役っぽいですね」

「管理社会に対するテロリストのイメージがあるな。あの映画の構造はぶっちゃけて言ってしまえば、天使と悪魔との対決だ」シロバカマ博士がウェットティッシュで手を拭きながら言った。「主人公の側が『悪魔』だがな」

 普段、研究室で上司と部下の関係にある2人は、ランチに手をつけながら話を進める。

「主人公が悪魔ですか。では彼らが棲む地下都市『ザイオン』は地の底の悪魔がひしめく『地獄』ですか」

「そうだな。……主人公『ネオ』が『マトリックス』で出会う『設計者(アーキテクト)』という人物がいるだろう。彼は『この世界は6番目だ』とネオに話す。この時に私はピン!ときたのだ。これは地球史の5回の『大絶滅』について言っているのだと。過去に地球では5回の生物の大量絶滅が起こっている。この事だ。5回、世界を作り直した『設計者』の正体とはこの地球システムの『設計者』……つまり『神』なのだ。そう映画の監督ウオシャウスキー兄弟(姉妹)は暗に語っているのだと。未来の管理システム『マトリックス』は人間を究極的に管理した、ディストピアとしての『天国』なのだ」」

「じゃあ、スミス達エージェントは『天使』ですか?」

 ナイアラトは海老の味がするプディングをすくったスプーンを口に運びながら訊いた。

「天使……だな」

「混沌と秩序の戦い……エターナル・チャンピオンの世界の様ですね、博士?」

「またテーブルトークRPGかね?」

「別にエターナル・チャンピオンの話はテーブルトークRPGに限りませんよ」

「……そうだな。……映画3作目『マトリックス・レボリューションズ』では、マトリックス・システムと有線で接続したネオの死の間際、12対程のコードが光を放ちながら輝くシーンがある。これは魔王『サタン』の輝く12枚の翼と対応していると思わんかね? これはネオとサタンが同一視出来る事の暗喩だと思うんだが」

「それはさすがに考えすぎじゃないですか、博士? 12枚ではなく、12対では24枚になってしまうじゃないですか。それにあのシーンは輝くコードの数がきっちり数えられるのかも怪しいと思いますよ」

「私はそう思うんだがな……」

「まあ、ネオがシステムに反逆を起こすサタンだとしても結局は勝てなかったですね」

「……そこ、そこだよ、ナイアラト。ネオ達は勝てなかった。だが、世界は生まれ変わった。パラダイムシフトしたのだよ。世界が全てエージェント・スミスだけになってもマトリックスは死んでいた。……管理秩序が最大限になり、閉塞した世界のシステムチェンジ、それこそがネオ達の役割だったのだ」

「ネオ達は動脈硬化した世界を生まれ変わらせる為に必要だった、変革のパワーだったというのですか?」

「嗚呼、そうだ。私はそれが悪魔の存在理由だと思っている。サタンやユダ、ダイバダッタに与えられた役割だ。完全な秩序システムはやがて硬直し、滅んでしまう。彼らは硬化したシステムに試練を与える為に外部の……」

「ちょっと待って下さい、シロバカマ博士。映画の話だか現実の宗教の話だか解らなくなってきますよ。それ以上は映画の感想ではなく、博士の宗教的私見です。科学者としての職業的意見からはかなり外れますよね」

「…………」

 シロバカマ博士は言葉を切って、冷たく甘いカフェオレをあおった。

「……ともかくだ。映画マトリックスシリーズは主人公側を悪魔と見なしたハルマゲドンのカリカチュアだというのが私の意見だ。そういう意図でウォシャウスキー兄弟はこの作品を作ったのだと」

 2人はしばらく無言で遅い昼食を進めた。

 窓の外から小鳥の心地よいさえずりが聞える。研究所員のリラクゼーションの為の合成音声だ。

「映画の私的意見と言えば、私はこの間『スターシップ・トルゥーパーズ』を観直したんですけど……」

 パンをちぎって、皿に残ったミートソースをぬぐい取りながら、ナイアラトが切り出した。

「バーホーベン監督のかね。パワードスーツの出ない第一作目?」

「……ええ。やっぱりテーマは原作と真逆ですね。ハインラインの原作は軍隊賛美でしたが」

「映画の方も軍隊賛美物に観えもするが」

「そう、そこ。そこなんですよ。最初観た時、漠然と感じていたものが、それに気をつけて観直す事で確信になりました」

 今にも身を乗りださんとするナイアラト助手の態度。シロバカマ博士は「フムン」という言葉だけで受け流す。

「あの映画は未来世界の状況説明も兼ねて、途中途中にネット検索のTVとか情報メディアの番組とかのシーンがはさまりますよね」

「うむ。記録映像とかな。『ロボコップ』でもやっていた、バーホーベン監督の得意とする演出の一つだな」

「仮想と現実が交錯する様な効果もありますね」ナイアラトの言葉は静かに熱を帯びる。「で、それを観ているとですね、マスメディアへの批判というか、この映画に、ある裏テーマがあるんじゃないかと気がついたんです」

「裏テーマ?」シロバカマ博士が怪訝そうな表情になった。

「……何というか、人間の心の移り変わりやすさというか、主体性のなさですね」何故か、ナイアラトはしたり顔になる。「マインドコントロールとか」

「マインドコントロール……?

 シロバカマ博士は何か危険物を取り扱う時の様に慎重な声を出した。

「人間の主体性など状況に応じて、我知らずの内に心変わりしているという事ですよ」ソースをパンにぬぐいつける手を皿の上でグルグル回しながらナイアラト。「人間は自分の決意を自分自身で作り上げている様に見えて、実は周囲の状況によって容易に変わってるという事です。そして、大概はそれに気づかない。主体性というのは一種の幻想ではないのかと」

「ほう。君は何をどう見て、その様な意見を導き出したのだ?

「例えば、主人公『ジョニー』の意思決定ですね」とナイアラトが博士の言葉に答える。「軍隊での訓練で、徹底的に軍隊向けに洗脳される。まあ、これはキューブリックの『フルメタル・ジャケット』でよく知られる様になった事ですが。主人公は実弾訓練で友を亡くし、軍隊を去る事を決意しながら、バグの攻撃で故郷を襲われて父母を殺されたと解った途端、前言を撤回して隊に復帰する。それまでの決意は何だったんだという自然さで。……状況によって主体性などコロリと変わるんですよ」

「それが軍隊のマインドコントロールだと言うのかね? 主人公の復讐心が? それは人間の意識では普通にある事と思うのだが」

「そこで映画の、情報番組の場面に映像が映り変わる演出ですよ。……いいですか、観客の心理を考えてみて下さい。勿論、自分を含めた上で、です。面白い映画ですから、観客は感情移入して映画に没入しています。行為者の視点、つまり主観は物語の中にあります。映画の中の登場人物みたいに、軍事学校ではジョニー達のつらい訓練を同じ様に味わい、友の死に衝撃と悲しみを覚え、バグの攻撃に対して卑劣と思い、報復と反撃を夢見るのです。物語の参加者ですよ。上映されている状況に身を置いた様にそれを疑似体験しているんです」ナイアラト助手は語り続ける。「……と、そこで画面にネット画面である事を示す『タイトル』がインし、映画の場面は『没入していた物語の実況』から『メディアのインフォメーション画面』に切り替わります。すると、それまでの観客の映画との心理的な一体感は断ち切られ、一歩退いて視聴者の客観的な観点に変化するんです。観客自身が自覚出来ないほどスムーズに。……『番組』である事を示すタイトルは言ってみればコミックスの登場人物が彼らが実在の人物ではなく、決してストーリーから脱出出来ない架空のキャラクターである事を示す『コマ』なんです」

「コマ割りかね? 漫画みたいな」シロバカマ博士がふと独り言の様に口を挟んだ。「そういえばシャマラン監督の『アンブレイカブル』にも画面をコマ割りの様にする演出があったな。映画のメインテーマである『アメコミ』と印象を重ねる様に、鏡に映して登場人物を鏡枠の内側の、まるで漫画のコマの中にいる様に表現したりする。または主人公のいる空間を四角く切り取る構図。画面を枠線で縁取る様に。主人公達のアメコミのキャラクターらしさを印象的に強調しているのだな。映画自体が1冊のアメコミか」

「アンブレイカブルですか」ナイアラトの口調が少し変わる。「……あの映画にも私なりに思うところがありまして。あれはアメコミのヒーロー様な主人公達が超能力を発揮して活躍する映画でしたね。いや、活躍というには地味すぎるかもしれませんが、……アメコミ……漫画は、基本的に作家と読者の間で成り立つ関係性、読者という『観る者』がいるから漫画が漫画として意味を持つ。言わば、主人公達を信じる『読者』と、スーパーパワーを発揮するは切り離せないと思うんですよ」

「フムン?」博士が唸る。

 ナイアラトは手に持っていたパンのかけらを咀嚼した。「……ヒーローと読者の関係ですよ。周りにスーパーパワーを信じる人間達がいる時、主人公達はパワーを発揮出来る。例えば、主人公『デヴィッド』をヒーローだと息子が信じてくれるから、彼が怪力を発揮出来た様に」

「『信じれば奇跡は起きる』かね? まるでティンカーベルを信じる子供達が彼女を復活させた様に」

「そうです。そうなんです。デヴィッドがスーパーパワーを発揮する時、信じる者が傍にいるんです。その事に私は気づいたんです」ナイアラトの言葉は少し弾んでいた。「信じてくれる子供がいるから不死身の超人でいられる。しかし、信じてくれない者がいたならば、普通の人間でしかいられない。それがこの映画のヒーローの条件なんです……どうです、それを念頭に置いて観ると、デヴィッドの息子が彼に銃を向けたシーンの緊迫度が全く意味合いが違ったサスペンスになると思うんですが。彼をヒーローだと信じる息子と信じない妻が共に在る、あのシーンが」

「そうかね……まあ、私もそこに気をつけて、今度、観直してみよう」

「……また、ちょっと脱線しましたね」ナイアラト助手は小さな深呼吸をし、のり出し気味だった姿勢を椅子の背もたれに預けた。「話を戻しましょう。……スターシップ・トゥルーパーズでは画面内容が情報番組に切り替わると、観客の主観はそれまでの映画との心理的な一体感を断ち切られ、一歩退いた視聴者の客観的な観点に変化するんです。インターネットを渡り歩く情報収集者の視点ですよ。しかし、このマスコミは歪んだマスコミです。牛がむごたらしく殺されるシーンは放送禁止で、人の死体をあからさまに映すのはOKという。まあ、放送禁止として画面を隠蔽した方が残酷に見えるんですけどね。ブラックユーモアです。観る側の視聴者はゴキブリをバグに見立てて踏み潰す様な光景を放送する番組に対してクールになるでしょう。プロパガンダだ、馬鹿馬鹿しい、と。つまり物語の達観者です。異国のTV番組を観る様に。……しかし実際にこの戦争に参加している映画の中の地球人だったら、それを馬鹿な事とは思わないでしょう。何か感情的なものを持って受け止めると思います」

「君はこう言いたいのかね? 物語に熱中している観客はマインドコントロールされた状態で、一歩退いた物語の達観者はそれが解けた状態だと?」

 博士はウェットティッシュでトレイにこぼれたパン屑を拭き取りながら言う。

 ナイアラトは両手の指を突き合わせた。いびつな笑顔を浮かべる。そして。

「まあ、そうなんですけどね。ただ、それですまないのがバーホーベンの達者な所でしてね。忘れてはならないのは我々の視点や感情は、この映画の中の地球人類の思考と同調しているという事なんです。……客観的な情報収集者から、戦場の当事者に戻る所もあります。アラクニドの母星『クレンダス星』に侵入した軍隊達を取材するマスコミの記者達がバグに襲われるシーンは、LIVEの中継場面からスムーズにそのまま内蔵の臭いでむせかえる現実の無残な戦場へ突入します。その臨場感が面白い。ここまで死体を執拗に描写した映画は当時のメジャーでは珍しいでしょう」

「あれには正直退いたな。『プライベート・ライアン』はほぼ同年代か。戦争物ならば正しい演出かもしれん」

「戦場で不時着したヒロイン『カルメン』を救出しにバグの巣穴の中に突入していった時、ジョニーは彼女を襲おうとしているバグの住処へと乗り込んでいきます。この時に親友の超能力者が彼の思念に干渉して、カルメンの元へと誘導していたのではないかという疑念が後に出てきますが、この疑いがなければ、超能力の誘導による自分の意識の変化には気づかないままだったでしょう。これも一種のマインドコントロール。自分の意識主体の変化に意識自体は気づけないわけです。そしてジョニーは親友の超能力による意思への干渉を受け入れています。ラズチャックが言っていた『自分で決めろ』という言葉がここで微妙に嘘臭くなってくるわけです

「……………………」

 シロバカマ博士は黙っていた。

 ナイアラト助手は静かに息を吐き、自分の感想を締めくくるのに必要と思われるためを作る。

「それでスターシップ・トゥルーパーズの最後の場面ですが、博士、ここにバーホーベン一流の仕込みがあると私は睨んでいます。捕虜になった頭脳バグを軍研究所に連行されるのを映画のスクリーンで観た時、観客を含めた地球人類は胸のすく様な想いに捉われたでしょう。何せ、さんざん戦力差を見せつけられ、大いに苦戦したアラクニドの親玉を捕らえ、その秘密を暴き、反撃に出る為の足がかりを手に入れたのですから。そして頭脳バグへの残虐な拷問めいた研究が始まるシーンは、観客を含む人類の勝利のカタルシスが最高潮になるはずなんですが。……しかし、そこで突然、例の演出ですよ。ここで画面にマスコミの情報番組画面である事を示すタイトルがインしてくるんです。『放送禁止』の警告文字。熱狂的な感動にあった観客の心理は、一歩退いた客観的な視聴者へと後退する事を余儀なくされ、軍が頭脳バグに対して『拷問』を加えるシーンに対する感情は乾いて冷めたものになるでしょう。映画の中の人類の感動と観客の感想の間で『ズレ』が生じるんですよ。『軍のプロパガンダだ』『嗚呼、なんて軍隊は大真面目にこんな下らない事を喧伝しているんだろう』。社会派のブラックジョークめいて『なんて非人道的で残酷なんだ』と。これでこの映画は一見、軍隊賛美映画に見せて、実は反戦映画というすわりの悪い後味を観客の心理に残す事になるんです。……ここまでが私の考えた、スターシップ・トルゥーパーズの、観客も含めた、全ての人類の心の移り変わりやすさ、主体性のなさの説明ですよ。感想。マインドコントロールです」

 シロバカマ博士は空になったトレイをテーブルに置いたまま、ナイアラトを見つめた。

 ナイアラトの笑顔は悪戯を成功させた子供の様だった。

 「……………………」

 「……………………」

 「……ところでですね」ナイアラトが口を開いた。「どうでしょう、博士。人間はマインドコントロールされるべきだと思いませんか?」

「……? 突然、何を言い出すのかね、ナイアラト?」

「2011年の東日本大震災の時、外国人は列車に乗っての避難や配給を受ける現地日本人がきちんと列を作り、順番を守っている様子にひどく感銘を受けたそうなんです。そりゃそうですよね。普通はこんな大災害が起きたら混乱して暴動、略奪が起きるのが当たり前ですからね。ところがこんな時でも日本人はマナーを守り、秩序を重んじた。どうです? これは日本人が誇ってもいい美徳だと思いませんか?」

「うむ……」

「その事をある日、ネットに書き込んだらこういうレスがあったんですよ。『日本人は飼い慣らされているからな』と。……まるで日本人全員が政府に洗脳されてマインドコントロールで従順になっている、という風でしたよ」ナイアラトは言いながらウェットティッシュを掌で丸める。「私は思ったんですよ。なら、いっそマインドコントロールされてしまえ、とッ! いざという時、自由意思という名の下に他人に迷惑をかける無秩序が横行するよりも、従順にルールを守り、他人を助けようとするマインドコントロールを積極的に受け入れた方がまだマシだとッ!」

「……その考えは……」

「その考えは過激ですかッ? 極端ですかッ? では一体、今、この世界に何もマインドコントロールを受けていない、まっさらな主体性を持った人間なんて幾人存在しますかねッ? 思想、教育、メディア、ネット、言語様式、祖先からの因習、社会通念、伝統……周囲から全く影響を受けてない人間なんかいますかッ? ……人間は無意識にマインドコントロールを受けたがってる生き物だという説もあります。街を歩いていて道端にゴミや空き缶、吸い殻なんかが捨てられてたのを見る度、思うんですよッ! 少なくともゴミのポイ捨てやイジメなんかしない程度には人間の心は矯正されるべきだと思うんですッ!」

 ナイアラトの言葉が独裁者の演説めいてきた。

「人の完全な主体性なんて幻ですよ。どうせ、多かれ少なかれ自意識が何らかの影響下で出来上がってるのが人間ならば、犯罪や地球温暖化やエネルギー危機を防ぐ程度にはあえて心理操作されておくべきなのではないかとッ! どうです、博士ッ? 人類はマインドコントロールされるべきですかッ? されるべきではないと言うのですかッ?」

「待て、ナイアラト。中間意識を認めない極端な選択肢の質問で相手の心理を束縛しようとするのは『ポラライズ』というマインドコントロール法の一つだぞ。解っていてやっているのか? 特定の思想教条を押しつけようとするものなら、私は忌避するぞ。大体、行きすぎた管理の行き着く先はディストピアだ。完全な秩序はやがて動脈硬化を起こし、滅んでしまう」

「ならば『ロボット工学3原則』を組み込んだ超人工知性に人間を管理してもらいましょうッ! 人間に従いながら世界全てを達観し、守る、人間が作った超知能ですッ! なーに、幾ら洗脳以前にそれが悪法だと非難されても、一旦、施行されれば人間の意識なんて変容しますよッ! そして、その変容に自分達自身は気づかないでしょうッ! 善き洗脳を」

「ナイアラト、正気で言ってるのか?」

「これが人類から永遠に戦争をなくす手段だとしても、博士は忌避しますかッ?」

「…………」

「…………」

「ナイアラト、君は『アイ・ロボット』を観たかね?」

「博士は『宇宙船ビーグル号』を読んだ事はありますか?」

「…………」

 シロバカマ博士には研究所の食堂で自分の言説を吐く旧知の人物が、火を噴く悪魔に見えた。あるいは神でもない何か、か。

 夢想する。完全にマインドコントロールされた全人類を。彼らは国籍や年齢、肌の色や宗教の違いに関わらず、現在よりも事故や事件を大幅に減らし、従順であり、秩序を守り、それでいてこれからの自己の主体意識の危機や政府にマインドコントロールされる危険性を今と同じ様に大真面目に語るのだ。自分達が変容ずみだとは気づかずに。

「1万人が洗脳されれば社会的驚異ですが、全人類が一度にマインドコントロールされれば誰も気づきません。……どうです? 午後一番に我が研究所のスーパーコンピュータを総動員させて、全人類の速やかなマインドコントロールをシミュレーションしましょうッ! いつ、誰からどの様に流布すれば、最も効率的に人類社会へ伝染するのかッ? プログラムコードは私が急いで仕上げますッ! とりあえずコンピュータを必要とする各研究室の案件を延期する命令を出して……」

 明らかに何かにとりつかれている風のナイアラトに対し、シロバカマ博士は一つの言葉を吐き出した。

「試すなッ!」

 一喝。

 ナイアラトは熱が冷めた様、身体を椅子に落とした。

 二人は食べる物がなくなったトレイへと眼線を下げる。

 シロバカマ博士は息苦しかったかの如く、シャツの襟元を手で緩めた。

「ネットには、人間は優秀なコンピュータに管理された方がいい、という意見が結構ありましてね……我々は意外と」ナイアラトは笑顔を作る。「少数派じゃないんですよ」

 食堂の窓の外で小鳥が鳴いた。

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